「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
2022年本屋大賞受賞作品。第二次世界大戦中のドイツの侵攻によって故郷を失ったセラフィマはロシアの女性狙撃手としての訓練を受けることなる。

進行してきたドイツ軍に村を焼き払われたセラフィマが、女性狙撃手の英雄リュドミラ・パヴリチェンコと共の同志であるイリーナに拾われ、狙撃兵となる訓練受けることとなる。そんなセラフィマの狙撃手としての訓練の様子と、戦場で仲間と共に狙撃兵として成長していく様子を描く。

コサックのオリガや貴族を嫌悪するシャルロッタなど、さまざま背景や歴史から集まった仲間たちの多様性も物語を面白くしている。

途中、セラフィマたち女性狙撃手と前線で戦う男性兵士の考え方や性格の違いなどに度々触れていて、同じ村の幼馴染のミハイルと再会するシーンでは、女性であるが故に、戦場で女性に暴行を加える男性兵士に嫌悪感を抱く様子が見てとれる。

同じ年にKate Quinnの「The Diamond Eyes」でもロシアの狙撃手を扱っており、かなり内容が重なっている。おそらく「The Diamond Eyes」を読んでいなかったら、もっと本書の新鮮さを感じられたことだろう。「The Diamond Eyes」の主人公で実在した人物であるリュドミラ・パヴリチェンコは本書でも登場しているので、引き続きロシアの狙撃手の物語にさらに触れたい人は「The Diamond Eyes」を読むのもいいだろう。

【楽天ブックス】「同志少女よ敵を撃て」
【amazon】「同志少女よ敵を撃て」

「The Diamond Eye」Kate Quinn

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
父親のいない息子に射撃を教えるために、射撃のコースを受けていたMila Pavlichenkoは、ドイツがソ連に侵攻したことで歴史家になる夢を保留して祖国を守るために兵士に志願する。

若くしてシングルマザーとなったMilaが狙撃手としてドイツ兵と戦う物語である。物語は若くして子を持ち夫との離婚手続きを進めながらも歴史家を目指すMilaが、ドイツがソ連への侵攻を開始したことによって大きく人生を狂わされ、やがて多くの仲間と共に狙撃手として活躍する様子と、一方でその数年後、Milaを含むソ連の兵士たちがアメリカのホワイトハウスを訪れる様子を並行して描いている。

「The Diamond Eye」Kate Quinn

ドイツ兵と戦う戦場での物語では、少しずつ信頼できる仲間と出会い、女性ながらも確固たる地位を築いていく様子が描かれる。一方、ホワイトハウスででは、女性が戦場で狙撃手として戦うことに理解のないアメリカ人を相手に、ヨーロッパ戦線にアメリカも加わってもらうことの必要性を各地で訴えるMilaと、それを理解しようとするルーズベルト夫人の様子が描かれ、また、Milaを大統領殺人の犯人に仕立て上げようとするる悪意ある視線が描かれていく。

序盤はオデッサが美しい。本書はロシアのウクライナ侵攻以前に執筆されたということであるが、Milaがウクライナ出身でありながらもロシア人として埃を持って戦っている点が、現在の状況を考えるとなんとも悲しく感じる。

全体を通じて、Milaはどこにでもいる普通の母親だったことがわかる。普通の母親が、息子、友人、家族のためにできることをしようとした結果、狙撃手となったのである。最初はフィクションだと思って読み進めていたが、あとがきによると実はかなり実話に近く、実際にMilaはエレノア・ルーズベルトと親しくしていたことがわかる。エレノア・ルーズベルトという人物に対してももっと知りたくなった。

また、The HuntressのNinaもそうだが、ソ連は女性を兵士として戦場に送り出していた数少ない国だったのだと知った。今回の物語のなかでまたMilaの友人たちで魅力的な登場人物が出ており、著者もあとがきでそのうちその女性たちを主人公に物語を書きたいと書いてあったので楽しみである。

「All the Light We Cannot See」Anthony Doerr

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第二次世界大戦下、フランスで生きる目の見えない少女Marie-Laureと、ドイツで妹とともに生きる少年Werner Pfenningを描く。

パリの美術館で働く父のもとで過ごす、目の見えない少女と、ドイツで妹ともに貧しい生活を送りながら、ある日見つけたラジオに魅了される少年を交互に描く。過去と今を行ったり来たりしながら物語は進む。

Marie-Laureの父は目の見えない娘のために、自分たちが住んでいる地域の詳細な模型を作って娘に覚えさせる。やがてそれによってMarie-Laureは外に出歩くことができるようになる。やがて戦争が始まり、パリから海岸近くの街に住むk親戚のもとへと避難する。その際、父親は一つの宝石を預かるのである。持っているものは死なない代わりに、その周囲の人が不幸になるという宝石である。父親はその宝石が本物かどうかを疑問に思いながらも託されたものとして大切に扱う。

一方でWernerは妹のJuttaとともに他の孤児たちとともに生活するなか、ラジオに魅了され、分解、組み立てを繰り返しながらその技術を伸ばし、やがてその技術を必要とするドイツ軍の前線へと派遣される。ドイツ軍の行いを知らずに自らの技術が評価されたことを喜ぶWernerと、禁止されているラジオでドイツ軍の行いを知って疑問に思う妹Juttaは少しずつ距離を置いていく。

Is it right to do something only because everyone else is doing it?
みんながやっているかという理由だけでするのは正しいの?

また、ドイツ人将校Von Rumlpelは少しずつ体に不調をきたすなか、戦乱に乗じて噂を聞いた命を永らえさせるその宝石を見つけようと務める。やがて、少しずつMarie-Laureへと近づいていく。宝石の奇跡を信じるVon Rumlpelは父の教えに従って行動するのである。

See obstacles as inspirations.
障害を良い刺激として見るようにしなさい。

不可思議な宝石Sea of Flames、目の見えない少女、ラジオの好きな少年、やがてそれぞれの人生が近づいていく。

第二次世界大戦のヨーロッパの様子を描いた作品は、どちらかというとアメリカ視点のものに出会う機会が多いので、本書のように、ドイツ人、フランス人目線で描かれたものは新鮮である。戦時下の情報統制の中必死で生きる少年少女を描いた優しい物語。

「二つの祖国」山崎豊子

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
真珠湾攻撃によって日本とアメリカの戦争が始まった。アメリカに住む日系人たちは収容所への移動を強いられる。日本とアメリカの間で翻弄される日系アメリカ人たちを描く。

日系二世の天羽賢治(あもうけんじ)はロサンゼルスにある日本人向けの新聞社で働いていたが、開戦をきっかけに家族とともに強制収容所に収容される。末の弟の勇(いさむ)はそんななか日系人の地位の向上を目指してアメリカ兵として戦争に参加することを決意する。もう一人の弟の忠(ただし)は開戦当時日本で学んでいたために、やがて日本兵としてせんそうにさんかすることになる。そして、賢治(けんじ)自身も自らの日本語能力を活かして戦争に参加し、前線へと送られていく。

戦争中のアメリカに滞在する日系人の複雑な心のうちを描く。あるものは日本に帰国し、またあるものはアメリカへ忠誠を誓うために戦争への参加を志願する。本書のように兄弟で別々の国から戦争に参加したケースが実際にあったかはわからないが、単純に日本とアメリカという国だけでは割り切れない複雑な人間関係があったことは間違いないだろう。

物語の前半はそのように真珠湾攻撃からポツダム宣言および原爆投下の戦争の終結までを描く。そして、後半2冊、日本の敗戦後の東京裁判に費やされる。東條英機を中心とする日本の責任者たちが連合国に裁かれる様子が細かく描かれるのである。

日本語と英語に明るい賢治(けんじ)はその東京裁判に翻訳の正誤をチェックするモニターとして参加する。人の人生にかかわる裁判の過程で、英語と翻訳された日本の微妙なニュアンスの違いに神経をすり減らす賢治(けんじ)の様子に、東京裁判の歴史的重要性だけでなく、むしろ言葉の奥深さを感じさせられる。

只今、肝をmind(精神)と表現しましたが、この場合はもっと強い意味で、will(意思)、intention(意図)、conviction(確信)の方が適役です。

また、真珠湾攻撃にあたって宣戦布告をしないで行った奇襲攻撃である、ということがアメリカ側が戦意向上のために使った話で実際には日本側は真珠湾攻撃に間に合うように最後通告を行っていたこと、11月26日のハルノート自体が実質的な宣戦布告という捉え方があるということなど今回初めて知った。

最後の山場は最終論告と最終弁論である。

被告らは、彼らが自衛のために行動したのであることをしばしば弁明したが、誰一人として日本を攻撃したり、侵略するという脅しを他国から受けたと主張した者はいなかった。

最終論告が自衛のための戦争という主張を否定するのに対して、最終弁論は自衛のための戦争の定義の曖昧さや、その法律の存在に疑問を投げかけるのである。

戦争を犯罪とせず、侵略戦争だけを犯罪として、その計画、準備、開始、実行の行為を犯罪とした場合、それが国際刑法上の原則として容認されるとすれば、侵略戦争と、戦争との限界が明確に示されねばならぬ。
法は共通の義務意識である。刑法はこれを無視すれば罰を受ける義務を伴う共通の義務意識である。政治家はこれまで国際法上の義務に違反すれば、軍法上の刑罰を科せられるという共通の義務意識の下には、その任務を行っていなかったのである。

やがて東京裁判は数人の戦争責任者への判決で幕を閉じる。東條英機を含む戦争の責任者たちが死刑になったことは知識としては知っていたが、このような過程を経て判決が出たことを知って、その問題の複雑さを改めて認識することができた。そもそも裁判とはなんのために行われるべきなのだろう。そんなことを考えさせられた。

これまでも山崎豊子の作品にはいくつか触れており、いずれも膨大な取材に裏打ちされた物語ですばらしいものだったが、本書こそその作家人生の集大成だと感じた。本書はアメリカと日本語という二つの国の間で翻弄される人々を描いているが、日系人をジャップと呼びながらその活躍を感謝したり、勝ったアメリカの人でありながらもアメリカの正義に疑問を投げかける人がいたりと、改めて人は多様なのだと気付かされた。決して所属や国籍から人を判断することはできないのだ。

もっと早く読んでおくべけばよかった。教科書で学んだだけの太平洋戦争のイメージが大きく変わるだろう。

【楽天ブックス】「二つの祖国(一)」「二つの祖国(二)」「二つの祖国(三)」「二つの祖国(四)」

「ベルリンは晴れているか」深緑野分

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
アウグステはベルリンに駐在するロシア軍の人物から、殺人容疑のかかったある人物エーリヒを探すことを依頼される。自らもエーリヒに伝えたいことがあることから、荒地となったベルリンでエーリヒを探し始めるのである。

時々挟み込まれる対戦中のアウグステとまだ健在だった父と母の様子が痛ましい。そんな過去の描写の中では少しずつナチスが力をつけていき、ユダヤ人や反政府を叫ぶ人への弾圧が強まっていくのである。

また、旅の共となったユダヤ人のカフカとアウグステがエーリヒを探す中で少しずつ打ち解けていき、お互いの過去を語るようになる。カフカだけでなく、ロシア人、ユダヤ人、イギリス人が行き交う戦後の混乱のなかで、辛い過去を抱えた人々と出会い時に助け合いながらエーリヒを見つけようとするのである。

第二次世界大戦中、そして大戦後のドイツの様子を丹念に調べてあることは、物語の中から感じるが、物語自体に展開の遅さやながながしさを感じてしまった。もう少しコンパクトに話を展開したら綺麗にまとまったのではないかと感じてしまった。

【楽天ブックス】「ベルリンは晴れているか」

「The Huntress」Kate Quinn

オススメ度 ★★★☆☆ 4/5
第二次世界大戦後、多くのドイツ人将校たちがニュルンベルク裁判で有罪判決を受けたが、小規模な戦争犯罪者たちは名前を変え、国外で普通の暮らしに戻っていた。そんな戦争犯罪者に弟を殺された戦争ジャーナリストのIanと仲間たちは世界中に逃亡した戦争犯罪者たちを正義のもとに引き出そうとしていた。

物語は三つの物語が織り混ざって進む。IanとTonyは戦争犯罪者を追い詰める組織を維持しながら、Ianの弟を殺したLorelei Vogtの足取りを探していく。一方、時代を遡ってソビエト連邦の東の果て、バイカル湖の近くの田舎町で育ったNinaは、やがてパイロットとを目指して西へと向かう。アメリカのボストンに父とクラス女性Jordanは父の再婚相手に不信を感じながらも少しずつ新しい生活に馴染んでいく。

まず何よりも戦争犯罪というと、ナチスのヒトラーや映画にもなったアドルフアイヒマンという大量殺戮に関わった人物しか考えたことがなく、本書で扱っている数人程度を殺害した戦争犯罪者という存在事態を考えたこともなかった。そんな小さな戦争犯罪者たちをIanとTonyは探し出し裁判を受けさせるようと活動しているのである。本書ではやがて、Lorelei Vogtという女性一人に絞って、Ianの妻Ninaと3人でアメリカに渡るのである。

一方で、ソビエト連邦のパイロットのNinaの物語が、この物語だけで一冊できそうなほどの濃密なのも驚きである。Ninaの物語は、バイカル湖周辺という首都モスクワから遠く離れた田舎で始まり、不時着した飛行機のパイロットに遭遇したNinaはパイロットになることを夢にみて西へ西へといくのである。日本から見たらどんな文化があるのかまったく想像できない地の描写も魅力的だが、戦時中のソビエト連邦の女性パイロットの物語としても秀逸である。Kate Quinnにはこの物語に絞ってぜひもう一冊描いて欲しいところである。

最初はなぜIanの書類上の妻でしかないNinaをここまで詳細に描くのかわからなかったが、物語が終盤に進み、Lorelei Vogtを追い詰める中で少しずつNinaの存在感が高まっていく。Kate Quinnの作品を全部読んでみたいと思わせてくれた一冊である。

和訳版はこちら。

「永遠の0」百田尚樹

オススメ度 ★★★★★ 5/5
祖母が亡くなって、実は祖父だと思っていた人が血の繋がらない人だと知った。本当の祖父は戦争中に特攻で死んだのだという。ニートの「ぼく」はライターの姉とともに、実の祖父のことを調べ始める。

太平洋戦争中に特攻で死んだ実の父宮部久蔵(みやべきゅうぞう)を探して、宮部(みやべ)を知る老人たちに話を聞くことで、少しずつ宮部(みやべ)の人柄が見えてくる。物語は存命中の老人たちが昔を語るシーンで大部分を占めている。そして、宮部(みやべ)はどうやら零戦のパイロットだったらしいと知る。

話を聞かせてくれる老人たちは必ずしも宮部(みやべ)に好意的な人たちばかりではない、「命の恩人」というものもいれば、宮部(みやべ)を「臆病者」と言うものもいる。いったい真実はどうだったのか。

「永遠の0」百田尚樹

数人の老人たちが異なる目線から太平洋戦争を語り進められていく。戦争とは多くの物語や映画などで何度も取り上げられるテーマではあるが、それでも今回またいくつもの新しいことを知ることができた。まずは、零(ゼロ)戦という戦闘機がどれだけずば抜けて優れていたかに驚くだろう。戦後の経済成長のずっと前の、まだ日本など小さな島国だったころに、その技術の結晶の戦闘機が大国の戦闘機を凌駕したのである。

そして、ミッドウェー、ガダルカナルの末に戦況は悪化し、その犠牲となった若者たち。そして特攻。経験者目線で語られる言葉に重みを感じる。

戦後になって、この時の状況が書かれた本を読んだ。士官の言葉に搭乗員たちが我先に「行かせてください」と進み出たことになっていたが、大嘘だ!そう、あれは命令ではない命令だった。考えて判断する暇など与えてくれなかった。

出世を意識するがゆえにアメリカへの勝機を逃しただけでなく、敗戦を認めることなく無意味な作戦を取り続け、結果として多くの若者たちが犠牲となった。あの状況の中で「勇気」とはなんだったのだろう。「特攻は勇敢だ」と言うが、それが「勇気」なのだろうか。

しかし今、確信します。「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった──と。自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意思で決めた男こそ、本当の男だったと思います。
死ぬ勇気があるなら、なぜ「自分の命と引き換えても、特攻に反対する」と言って腹を切らなかったのだ。

そして物語は終盤に進むにつれて、宮部(みやべ)の人柄と、その恐ろしいほどの零戦の操縦技術が見えてくる。

なぜ奴が真珠湾から今日まで生き延びてきたかがわかった。こんな技を持った奴が米軍のパイロットに堕とされるわけがない。まさに阿修羅のような戦闘機乗りだ。

読者に与えてくれる知識や、忘れてはならない歴史を再確認させてくれる。この悲劇は遠い昔の出来事ではなく、僕らが確かにその延長線上にいるのだということこを意識させてくれる。

戦後、民主主義の名の下に戦前の行為を否定し、今では日本をけなして外国を賞賛する人のほうがかっこいいという風潮まで出来上がっている。太平洋戦争の悲劇や、そこで生きた勇敢な人たちの生き様に触れて僕らは考えるだろう。「僕らの生き方はどうあるべきなのだろうか。」と。

物語の面白さだけでなく、読者に投げかけるテーマも含めてなんの文句もない。こういう本に出会うために読書をしているのだ、と思った。

瀬越憲作
大正、昭和時代の囲碁棋士。(Wikipedia「瀬越憲作」
ラバウル
パプアニューギニア領ニューブリテン島のガゼル半島東側、良港シンプソン湾を臨む都市。東ニューブリテン州の州都である。ラボールとも。(Wikipedia「ラバウル」
インパール作戦
1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞として、しばしば引用される。(Wikipedia「インパール作戦」
桜花
大日本帝国海軍が太平洋戦争(大東亜戦争)中の昭和19年(1944年)に開発した特攻兵器。(Wikipedia「桜花」
参考サイト
Wikipedia「ガダルカナル島」
Wikipedia「F6F (航空機)」

【楽天ブックス】「永遠の0」

「栄光なき凱旋」真保裕一

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第二次世界大戦中のアメリカ側から描いた物語。アメリカに住む日系二世の3人の若者に焦点を当てている。

物語はアメリカから見た太平洋戦争であるが、三人の日系2世、しかもいずれも日本で生活した経験を持ち、多少なりとも日本語を話せる青年に焦点をあてているからこそ、今までと違った角度で改めて太平洋戦争を見ることができる。

ヘンリー・カワバタとジロー・モリタは幼馴染でともにリトル・トーキョーに住みながら、白人から受ける日系人の差別に苦しむ。一方、マット・フジワラはハワイで生活し白人の女性を恋人に持ちながらも、日本の真珠湾攻撃で彼らの生活は大きく変わっていく。

僕らが第二次世界大戦を振り返るとき、その印象は、日本は愚かな突撃を繰り返し、アメリカはそれを緻密な戦略で対応したというものであるが、本作品を見て改めて理解できたのは、戦争は勝とうが負けようが愚かな行為でしかなく、それは多くの不条理な死によって構成されるという事実である。

アメリカで過ごす日系人の目を通して、アメリカで起こっている多くの人種差別を理解することになるだろう。以上に迫害されていた黒人たちもいたという。主張するように黒人席へ座り「ぜんぜん汚くない」と主張する日系人の姿が印象的だ。こんな人が実際にいたなら誇るべきことなのだろう。

終盤のヘンリーが戦場で戦うシーンは、小説という媒体でありながらも、活字を追うことで脳裏にそのシーンがリアルに浮かんでくる、そして戦場の、不条理さ、無意味さ、愚かさ、そういったものを感じずにはいられない。少しずつ壊れていく自分の心を意識しながら、それまで信じていなかった神に訴えるシーンが強烈である。

神よ。見ていますか。
ここにはただ祖国を愛する純粋な男たちがいます。白人や日系人という分け方は関係なく、ドイツ兵という敵も存在はしない。国のために戦うという意味で、ここにいる者は皆、同じ覚悟と志を抱く同胞だった。
だから神よ。せめて苦痛を与えずに天へ呼び、安らかな眠りを与えたまえ。

3人の強く信念を持っていきている立派な日系人が、戦争という大きな力の前で、自分に無力さに失望し、自分の醜さを知り、それでもそんな自分自身と向き合って自分なりの答えを出そうとする生きかたは誰もが感銘を受けるだろう。

すでにいくつかの作品で栄光をつかんだであろう著者、真保裕一が描きたかった作品の一つなのだろう。その詳細な描写からそんな心構えが伝わってくる。

【楽天ブックス】「栄光なき凱旋(上)」「栄光なき凱旋(中)」「栄光なき凱旋(下)」