「イクサガミ 天」今村翔吾

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
大金を求めて多くの武芸に秀でるものが京都の寺に集まった。そこで始まったのは、命をかけた戦いであった。

すでにこちらの物語はドラマにもなっているらしく、今村翔吾作品のなかではめずらしく、ややフィクションの要素が強いドラマ向きの物語である。家族を救うためにお金が必要な嵯峨愁二郎(さがしゅうじろう)と同じくそこに参加していた12歳の少女双葉(ふたば)とともに、主催者から与えられた掟にしたがって、東京を目指す様子を描く。

その掟とは、与えられた札を奪い合うというもので、関門ごとに指定の枚数以上の札を持っていないと通過できないという、つまり実質の殺し合いである。

愁二郎(しゅうじろう)と双葉(ふたば)は他の参加者と協力などもしながら、可能な限り人を殺さずにゴールを目指すこととする。そして、その過程で、愁二郎(しゅうじろう)の過去が明らかになっていくとともに、他の参加者たちの素顔が明らかになっていく。

まだ物語が始まったばかりなので全体的な感想は言いようがないが、とりあえず続きも読もうと思った。

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「じんかん」今村翔吾

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第11回山田風太郎賞受賞作品。織田信長(おだのぶなが)に謀反を企てている松永秀久(まつながひでひさ)の過去について、信長(のぶなが)は家臣の又九郎(またくろう)語り始める。そこから見えてくるのは平和な世の中を目指した信念を持った生き方だった。

本書は信長(のぶなが)が謀反に対応する様子と、その信長自身が松永秀久(まつながひでひさ)について知っていることを語る内容、つまり過去の九兵衛(くへい)の成り上がっていく様子を交互に描く。

過去の九兵衛(くへい)の描写からは、不幸な少年期のなかで仲間を失い、やがて三好元長(みよしもとなが)の描く理想の世界に共感して、それを実現することを目的として生きていく様子を描く。それは、武士を消し去り、民の支配する世の中を作るというものであった。

中盤以降は元長(もとなが)と九兵衛(くへい)の思い通りことが運ばない様子が描かれる。

戦国時代の歴史を知ると、なぜこんなにも長く、多くの死傷者を生む戦いを繰り返していたのだろう。と不思議に思うだろう。同じように現代でも、独裁政権が倒れたら平和が訪れると思っていた国が、結局同じような紛争を繰り返すのを不思議に思うだろう。結局大部分の人間は、嫉妬、欲望、疑心暗鬼からは逃れられないのである。本書はまさにそんな人間(じんかん)の本質示してくれる。

長年敵対していた高国(こうこく)が九兵衛の問いに答える場面はまさに人間の本質を捉えている。

お主は武士が天下を乱していると、民を苦しめていると思っているのではないか?…民は支配されることを望んでいるのだ…日々の暮らしが楽になるのは望んでいる。しかし、そのために自らが動くのを極めて厭う。それが民というものだ。

やがて年齢を重ねながら、多くの仲間を失いながら、思いをなかなか達成することができずに、九兵衛も少しずつ悟ることとなる。

本当のところ、理想を追い求めようとする者など、この人間(じんかん)には一厘しかおらぬ。残りの九割九部九厘は、ただ変革を恐れて大きな流れに身をゆだねるだけではないか

現代の政治家と重なって見える。結局いつの時代も人は同じことを繰り返しているのである。自分の生活が脅かされれば反抗したり文句を言うが、本書の言葉を借りるならば、九割九分九厘の人間はは自らの責任で世の中を改善しようとしないのである。

自分は世の中を良くするために行動できる残りの一厘の人間だろうか、それとも不平を言いつつ動こうとしない残りの九割九分九厘の人間だろうか。そんなことを考えさせられる一冊である。

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「幸村を討て」今村翔吾

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
豊臣家の最後の生き残りをかけた大坂の陣、徳川軍と豊臣軍参加した武将たちはそれぞれの思惑を持ちながら参加する。そんななか鍵となるが幸村を筆頭とする真田家であった。

それぞれの武将の目から大坂の陣を語る。織田家、豊臣家、徳川家、によって少しずつ戦の機会が減り、戦国の世の中が終わりに近づく中で、自らの名を上げる機会を求める者、家の名を歴史に刻もうと努める者、自らの信念を貫く者、いまだに天下をとる夢を捨てられない者など、さまざまな思惑をもった武将たちが大坂での最後の決戦に臨む。

これまで触れてきた今村翔吾作品とは少し趣が異なる作品。それぞれの武将たちが自分の目的のために、さまざまな手段を駆使して情報を集め、さまざまな駆け引きをする様子は、「デスノート」や「ライアーゲーム」のような緊張感を感じさせる。

同時に、400年以上前の人々を想像力豊かに、深く描くその人物描写の力量に驚かされる。戦国時代の武将たち一人一人も、現代を生きる人間たちを同じように、自らの信念や世間体や子供たちの未来を考えて生きる生身の人間であったことを思い知らせてくれる。歴史的事実に分厚い人物描写を組み合わせて、これまで体験したことのない見事な歴史小説に仕上がっている。歴史小説嫌いな人も一読の価値ありである。

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「八本目の槍」今村翔吾

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
16世紀後半、徳川家康が勢力を増すなか、賤ヶ岳の七本槍とよばれた豊臣家に仕える七人の武将が過去の思い出や現在の思いを語る。

賤ヶ岳の七本槍とよばれた武将たちは、羽柴秀吉が少しずつ大名として地位を向上させる過程で家臣を増やす必要があり、そこに集ってきた似た境遇の若者たちである。賤ヶ岳の戦いで7人は一気に名を広めたが、それ以降は順当に地位を上げていくものもいれば、逆に期待された活躍をできなかったものもいる。そんな少しずつ異なる道をいく7人が、豊臣家と7人の仲間であった佐吉(さきち)つまりのちの石田三成について語る、という形で物語が進む。

「八本目の槍」今村翔吾

7人はいずれも、立派な人間になることを目指して豊臣家に仕えることを選んだが、学問に秀でているものもいれば武芸に自信を持つものもいる。いずれの人生にも、佐吉(さきち)の存在が多少なりとも影響を与えており、それぞれの語る言葉からは佐吉(さきち)が、どれほど仲間を想い、どれほど先の未来を見据えていたかが伝わってくる。

最終的に佐吉(さきち)視点で物語が語られることはないが、物語全体から佐吉(さきち)、つまり石田三成に対する憧憬の念が伝わってくる。

僕ら現代の人間が遠い過去の物語に触れる時、どうしても当時の人々を若干下に見がちである。それは現代では当然のこととして知っている技術や自然現象を、当時の人々は知らなかった、など知識や情報不足によるところが大きい。しかし、本書を読むと、いつの時代にも人は、家族や未来を憂い、自分の技術や地位を周囲の人と比べ悩んだりしながら生きているのだと感じた。

今年読んだ中で最高の作品であるし、これまで読んだ江戸時代以前を舞台にした物語の中でももっとも深みを感じた作品。

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「塞王の楯」今村翔吾

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第166回直木賞受賞作品。戦国時代の戦乱の中、親を失い、石垣造りを生業とする飛田屋の頭源斎(げんさい)に拾われた匡介(きょうすけ)が飛田屋の頭として成長していく様子を描く。

何よりもまず、石垣造りという職業に魅了される。戦乱の時代だからこそニーズがあったその職業と、石を積むという作業の深さを味わえる。石垣造り職人は、積方、山方、荷方の3つに分けられ、それぞれ、石を積む人、切り出す人、運ぶ人としてそれぞれの分野で技術を磨き、共同して石垣造りをするのである。

豊臣家によって世の平穏が訪れ、戦国時代の終わりを感じさせる中、源斎(げんさい)がその立場を匡介(きょうすけ)に譲りわたしていく過程を描く。飛田屋の家に生まれながらも匡介(きょうすけ)に立場を譲った玲次(れいじ)の存在も面白い。匡介(きょうすけ)と玲次(れいじ)は互いの技術を尊重しながら共に飛田屋に尽くすのである。

物語は大津城の城主、京極家からの依頼によって大津城と京極家と飛田屋は関わっていくこととなる。また、鉄砲作りの彦九郎(ひこくろう)の存在も物語を面白くしている。石垣造りに飛田屋が頑丈な石垣を作ることで世の中の平和に貢献できると信じる一方、鉄砲造りに賭ける彦九郎(ひこくろう)は、強い武器をつくってこそ、人は戦いをやめると信じている点が面白い。

物語はやがて大津城を舞台に東西の決戦の時を迎える。そしてそこは、石垣、鉄砲と手段は異なれど自分達の仕事を通じて平和な世界を作ろうとする匡介(きょうすけ)と彦九郎(ひこくろう)の一騎討ちの場ともなるのである。

非常に楽しめた。現代は失われた石垣造りや鉄砲造りという職業を、当時の人々の葛藤を巧みに絡めて素敵な物語に仕上げている。

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