「スロウハイツの神様」辻村深月

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
スロウハイツでは、6人の男女がそれぞれ夢を追い、お互いに刺激を与えながら生活をしていた。そんな6人の間で繰り広げられる日々を描いている。
一つ屋根の下で6人もの男女が共同生活をするという設定に関してはやや現実離れしている感はあるが、そこで描かれる、上下関係や友情、才能や成功に対する妬みや、友情から来る厳しさなど、随所に辻村深月らしい、鋭くえげつないまでの感情の描写が見て取れる。
他の5人が中学生の頃から小説家として作品を世に出していたチヨダ・コーキという作家と、脚本家としてすでに成功している赤羽環(あかばねたまき)の2人はやや異質な存在として描かれていて、その2人を中心にスロウハイツは回っている。
チヨダ・コーキは人付き合いが苦手で、自分の作品が人々に影響を与えることに喜びを見出すようなタイプで、赤羽環(あかばねたまき)は自分にも他人にも厳しく、見ていて痛々しさを感じさせるような決して弱音を吐かないで生きていくタイプである。
物語中ではチヨダ・コーキの作品の影響で起こったとされる15人の少年が死んだ事件が大きな出来事として描かれている。そこには物事の悪い部分ばかりに注目する世のメディアや評論家達の傾向が見える。
痛々しいのは一読者がメディア宛てに送ったこんな手紙。

派手な事件を起こして、死んでしまわなければ、声を届けてもらえませんか。生きているだけではニュースになりませんか。今日も学校に行けることが「平和」だったり、「幸福」であるのなら、私は、死んだりせずに問題が起こっていない今の幸せがとても嬉しい。……功罪の功の方はほとんど表に出ることはありません。

物語は現在を中心に話は進むが、ときどき過去に戻ってその背景を説明していく。しだいに見えない糸によって彼らがスロウハイツという場所に集ったことが見えてくるだろう。
辻村深月にはここ2作品ばかり、やや期待を裏切られたような印象とともに受け止めていたのだが、本作品には最初の頃の良さがよみがえってきたような印象を受けた。なんといっても、相変わらず伏線の散りばめ方に上手さを感じる。前半になにげなく読み過ぎていった内容が後半部分で描かれた重要事項にぴったりはまる。この感覚を味わえるのは僕の知る限り辻村深月作品だけだろう。また、女性著者ならではの人の感情の描写力もその大きな魅力である。
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「ぼくのメジャースプーン」辻村深月

オススメ度 ★★★☆☆
人を操る不思議な力をもつ「ぼく」は、学校で起きた事件のために言葉を失った幼馴染み「ふみちゃん」のために、その犯人と会うことなった。不思議な力を使って犯人に罰を与えるために。
基本的に物語は、不思議な力を持ちながらその力の使い方を知らない小学四年生の「ぼく」と、同じ力を持って過去に何度かその力をつかったことがある大学教授の秋(あき)先生との間の会話が軸となって進む。
学校のウサギを殺した犯人と一週間後に面会する約束をとりつけ、2人は犯人にどんな罰がふさわしいかを話し合う。
物語は大人である秋(あき)先生が、小学生の「ぼく」の気持ちに対して、いくつかの疑問をなげかけ、時にはいろんなたとえ話や経験談を交えながら進むのが、それが「ぼく」と20歳以上も歳の離れた僕の心にもここまで響くのは、その問題が決して答えの出ない問題だからだろう。物語の中でもその場にいないほかの人物の意見としていくつかの考えが紹介されている。

復讐しても、元通りにはならない。すごく悔しいし、悲しいけど、その感情に縛られてしまうこと自体が、犯人に対して負けてしまうことなんだ。
犯人を、うさぎと同じ目に遇わせる。自分のために犯人がひどい暴力を受けることは、その子だって望まないかもしれない。だけど、自分のために狂って、誰かが大声を上げて泣いてくれる。必死になって間違ったことをしてくれる誰かがいることを知って欲しい。

生きているうちに知らぬ間に組み立てられていた自分の心の中の常識、生命の価値だったり、正義の形だったり、強さの形だったり、人を想う坑道だったり、そういった、今までとりたてて疑問に想ってこなかったものに対して、「もう一度考え直してみよう…本当にこれでいいのか、本当にこれは正しいのか…」。そう思わせてくれる作品である。
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「凍りのくじら」辻村深月

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
高校生の理帆子(りほこ)は、失踪した父を持ち、病気で入院している母の見舞いに病院へ通い続ける。そしてある日、図書館で一人の青年と出会う。
幼い頃から読書が好きだった理帆子(りほこ)は、周囲と自分との温度差を感じながら生きている。そして、そう意識するからこそさらに周囲に溶け込めない自分を感じる。それでも周囲の雰囲気を乱すようなことはせずに、自分の求められる役割を演じることに努める。

自分が一人「違う」ことはこの場所では絶対に伏せる。彼らにわからない言葉や熟語は使わないし、必要以上に自分の意見も言わない。意見や感想っていうのは、それを受け止めることができる頭を持ってる人間相手じゃなければ、上滑りをして不快なだけだ。

そして、心の奥では場を楽しめない自分を感じながらも、自分なりの退屈しのぎに周囲の人間を観察してはSFの言葉を当てはめている。友人は「少し不安」「少し憤慨」、母親は「少し不幸」、そして理帆子(りほこ)自身は「少し不在」。
そうやって自分の居場所のないことを認識しながら、自分を含めて客観的に世の中を見つめるからこそ、その人間関係は次第に手遅れなほどいびつになっていく。そんんな、理帆子(りほこ)の招いた不幸によって、徐々に周囲にあるもの、あったものの大切さに気付いていく。

女のストーカーは相手に対する曲がった愛情によってそうなる。そして、男のストーカーというのは、自尊心の高さによってそうなる。

本作品で特徴的なのは、国民的なアニメであるドラえもんの道具やエピソードを物語に取り入れている点だろう。「先取り約束機」、「悪魔のパスポート」、「かわいそメダル」…、たびたび引用されるドラえもんの道具の数々、思わず「そんな道具もあったな」と懐かしさにまたドラえもんを読み直したくなってしまうだろう。

僕らはラブストーリーもSFも、一番最初は全部「ドラえもん」からなんだろう。大事なことは全部そこで教わった。

今まで読んだ二作品「冷たい校舎の時は止まる」「子どもたちは夜と遊ぶ」とはやや趣の違ったややゆっくりした展開。スリルやスピード感より、りほこのまわりを流れる「今」、今はいない父との思い出、という静かに存在する何かに重きを置いているように感じた。
主人公である理帆子(りほこ)から、視点を最後まで別の人間に移さない点も、他の辻村作品とは異なる点だろう。個人的には、この著者の、怖いほどにリアルに描き出してしまう心情描写が好きなだけに、もっと多くの登場人物へ目線を移して、各々にの気持ちやその結果として起こす行動までの過程を仔細に描いてほしかったと感じた。(本作品は設定上無理だったのかもしれないが)。
辻村作品らしく、終盤には心地の良い衝撃が待っていたが、それでも期待値が高いだけに、物足りなさを感じてしまった。
そういえば我が家のドラえもんのコミックはどこにいったのだろう。
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「子どもたちは夜と遊ぶ」辻村深月

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
始まりは論文コンクールでもっとも高い評価を受けた匿名の応募i(アイ)の登場だった。最優秀賞を逃した、狐塚(こづか)、浅葱(あさぎ)とその友人たちの間で起こった出来事を描く。
昨年衝撃を受けた作品の一つである「冷たい校舎の時は止まる」の作者であることから、同じような強いインパクトを求めて本作品を手にとった。本作品も数人の学生たちとそこに関わる大人たちを描いた物語であり、人間関係を形成する引力である、人の気持ちについて非常にシビアな描写がいくつも見られる。その悲しいほどに客観的な人間関係の表現が、辻村深月作品に独特な雰囲気を持たせているような気がする。

それを見たら、駄目でした。ああ、この人は本当はこんなに弱くてかっこ悪いんだ。そう思ったら駄目でした。私、彼を好きになってしまった。そばにいたいと思ってしまった。
彼女が泣けば泣くほど、気持ちはどんどん頑なになっていく。所詮、俺と真剣に関わる気持ちなんかない癖に。その必死な声の裏側には、帰ることのできる居場所を用意しているくせに。

そんな中、指導役である秋山教授の言葉はどれも非常に印象的である。

恋と愛の違いはなんでしょう。昔「恋は落ちるもので、愛は陥るものだ」と答えた女性がいました。彼女が言っていたのは、どういう意味だったのかと…。
目の届く範囲の人々の幸せしか、僕には関心がない。難民の飢餓、傷ましい動物実験、世界のどこかで起こる戦争。僕はそれらを率先して見ることは絶対にしない。

序盤から感じ続けていた不思議な違和感。それは終盤になって一つの事実になる。そしてその事実は大きな惨劇を生む。

どうして誰も、最悪の状態を考えてそれに向けて準備しないのだろう。今からそれを考えなければ、到底耐えられないのに…

物語の面白さを損なわない範囲で計算尽くされた驚きの展開。この衝撃は癖になる。また間にちりばめられたこばなしも魅力的。特に寄生蜂の話と、「かごめかごめ」の解釈にはぞっとさせられた。
どうやらしばらく辻村作品のチェックを怠ることはできなくなったようだ。


野口雨情(のぐちうじょう)
詩人、童謡・民謡作詞家。「赤い靴」「しゃぼん玉」「七つの子」などが有名。(Wikipedia「野口雨情」
参考サイト
Herend ヘレンド
寄生バチ

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「冷たい校舎の時は止まる」辻村深月

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第31回メフィスト賞受賞作品。
大雪の冬の日。青南学院高校の生徒8人はいつものように教室に登校してから、自分たち8人以外に誰も校舎内にいないことに気づく。窓もドアも開かずに校舎の外にでることのできない不思議な状況の中で、2ヶ月前の学園祭の最終日に同じクラスの生徒が自殺したという記憶に思い至るが、自殺者が誰だったかが思い出せない。そして、鳴らなかったチャイムが響く度に、8人の中から1人、また1人と消えていく。
爽やかな学園モノだと思った序盤。チープなホラー小説だと思った中盤。最後には、途中で抱いたそんな懸念をすべて吹き飛ばして、読後の心地よい満足感を与えてくれる。
物語を通じて、8人の生徒達と、個々の回想シーンの中で想起される人々の描写の緻密さが読者をひき込むだろう。才女も秀才もクラスのヒーローも。どんな人であれ、その生きてきた長さに比例した辛い過去や悩みを持っていて、その事実と向き合いながら成長する様が巧みに描かれている。学校や教室、そういった狭い世界の中だからこそ目立つ人と人との争いや嫉妬。それらは学校を卒業して社会という広い世界に出た僕のような大人にとっても決して無関係なものではない。

人にかけられた言葉の裏の裏まで読んで気を使い、溜め込んでそして泣いてしまう。投げつけられた小石を自分から鉛弾に変えて、しかもわざわざ心臓に突き刺してしまうような傾向がある。自分自身のことを、そうやって限界まで責める。
優しいわけではない。単に、他人に対する責任を放棄したいだけなのだ。人を傷つけてしまうのが怖い。ただそれだけだ。相手の声を否定せず、他人の言いつけを素直に聞いてさえいれば、誰のことを傷つける心配もない。だから断らない。それはとても楽な方法で、とても臆病な生き方だ。
言葉の遣り取りや他人とのふれあいの中で誰かを知らずに傷つけてしまったとしても、そんなものはおよそ悪意とはかけ離れたものだ。たとえどんな人間であっても、そうした衝突なしに生きていくことはまずできない。
努力の方向が下手な奴っていうのはいるもんでね。勉強してないわけじゃないのに成績が上がらない。そしてそれが自分ことを追いつめる。

時には執拗なまでの登場人物の性格の描写。時の止まった校舎の中や中学生時代の経験。描かれる時間が頻繁に変わることで、本筋の進行の遅さに戸惑うこともあったが、終わってみれば、その詳細な描写のすべてがラストのために必要なものだったと気づくだろう。
集団失踪事件という歴史上の謎の事件に、作者自身の解釈とアレンジを加えて物語の舞台となる時の止まった校舎に説得力を持たせている。そして、それによって時の止まった校舎が、自殺した誰かが作り出した世界、という結論に落ち着いたからこそ、8人の生徒たちは「罪の意識」というものについて考えることになるのだ。自殺したのは誰だったのか。なぜその人の名前を忘れたのか。自分はそんなにも軽薄な人間だったのか、と。

どうかきちんと死んでいて。死んでしまっていて、お願いだから。

社会が責める罪、法律が課す罪。被害者の恨みや社会の記憶が消えても、心に残った罪悪感は決して消えることはない。
ややじれったさを覚える中盤の展開だが、そこにはクライマックスへ向けた様々な伏線が散りばめられている。ラストでそれらのパズルのピースが一気に組みあがっていく。多くの材料を緻密に散りばめてラストに向けって一気にくみ上げるその展開力は「見事」の一言に尽きる。この本を読み終えた今。誰かとこの内容の話で盛り上がりたい気持ちで一杯である。
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