「冷たい校舎の時は止まる」辻村深月

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第31回メフィスト賞受賞作品。
大雪の冬の日。青南学院高校の生徒8人はいつものように教室に登校してから、自分たち8人以外に誰も校舎内にいないことに気づく。窓もドアも開かずに校舎の外にでることのできない不思議な状況の中で、2ヶ月前の学園祭の最終日に同じクラスの生徒が自殺したという記憶に思い至るが、自殺者が誰だったかが思い出せない。そして、鳴らなかったチャイムが響く度に、8人の中から1人、また1人と消えていく。
爽やかな学園モノだと思った序盤。チープなホラー小説だと思った中盤。最後には、途中で抱いたそんな懸念をすべて吹き飛ばして、読後の心地よい満足感を与えてくれる。
物語を通じて、8人の生徒達と、個々の回想シーンの中で想起される人々の描写の緻密さが読者をひき込むだろう。才女も秀才もクラスのヒーローも。どんな人であれ、その生きてきた長さに比例した辛い過去や悩みを持っていて、その事実と向き合いながら成長する様が巧みに描かれている。学校や教室、そういった狭い世界の中だからこそ目立つ人と人との争いや嫉妬。それらは学校を卒業して社会という広い世界に出た僕のような大人にとっても決して無関係なものではない。

人にかけられた言葉の裏の裏まで読んで気を使い、溜め込んでそして泣いてしまう。投げつけられた小石を自分から鉛弾に変えて、しかもわざわざ心臓に突き刺してしまうような傾向がある。自分自身のことを、そうやって限界まで責める。
優しいわけではない。単に、他人に対する責任を放棄したいだけなのだ。人を傷つけてしまうのが怖い。ただそれだけだ。相手の声を否定せず、他人の言いつけを素直に聞いてさえいれば、誰のことを傷つける心配もない。だから断らない。それはとても楽な方法で、とても臆病な生き方だ。
言葉の遣り取りや他人とのふれあいの中で誰かを知らずに傷つけてしまったとしても、そんなものはおよそ悪意とはかけ離れたものだ。たとえどんな人間であっても、そうした衝突なしに生きていくことはまずできない。
努力の方向が下手な奴っていうのはいるもんでね。勉強してないわけじゃないのに成績が上がらない。そしてそれが自分ことを追いつめる。

時には執拗なまでの登場人物の性格の描写。時の止まった校舎の中や中学生時代の経験。描かれる時間が頻繁に変わることで、本筋の進行の遅さに戸惑うこともあったが、終わってみれば、その詳細な描写のすべてがラストのために必要なものだったと気づくだろう。
集団失踪事件という歴史上の謎の事件に、作者自身の解釈とアレンジを加えて物語の舞台となる時の止まった校舎に説得力を持たせている。そして、それによって時の止まった校舎が、自殺した誰かが作り出した世界、という結論に落ち着いたからこそ、8人の生徒たちは「罪の意識」というものについて考えることになるのだ。自殺したのは誰だったのか。なぜその人の名前を忘れたのか。自分はそんなにも軽薄な人間だったのか、と。

どうかきちんと死んでいて。死んでしまっていて、お願いだから。

社会が責める罪、法律が課す罪。被害者の恨みや社会の記憶が消えても、心に残った罪悪感は決して消えることはない。
ややじれったさを覚える中盤の展開だが、そこにはクライマックスへ向けた様々な伏線が散りばめられている。ラストでそれらのパズルのピースが一気に組みあがっていく。多くの材料を緻密に散りばめてラストに向けって一気にくみ上げるその展開力は「見事」の一言に尽きる。この本を読み終えた今。誰かとこの内容の話で盛り上がりたい気持ちで一杯である。
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「ハサミ男」殊能将之

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第13回メフィスト賞受賞作品。すでに3人の少女を殺害し、殺人の際には研ぎ上げたハサミを被害者の首に突き刺すハサミ男である主人公の「わたし」。3人目の獲物を求めて歩き回が、ハサミ男の模倣犯が現れてしまう。
「わたし」は妄想癖を持っているため常に博識な「医師」と呼ばれる想像上の人との会話を繰り返す。その博識ぶりはや考えの斬新さは、物語の展開以外の刺激を与えてくれる。

自殺未遂者が嫌われる理由はふたつある。ひとつは、自殺未遂によって他人を支配しようとするからだ。別れるくらいなら死んでやる、とか叫んで、剃刀で手首を切って見せるやつが典型的な例だね。わたしは自殺という普通の人間にはできない行為を試みた。ゆえに他人はわたしの言うことを聞かなければならない。そんな馬鹿げた論理を押しつけようとする

加えて、事件の真相を追うフリーライターやハサミ男を追う警察関係者達の会話も面白い。

高校生の男の子が年上の女性と何人もつきあったら、かっこいい、あいつもやるなあ、って言われるのに、女の子だといきなりインランだもの。やってることは、なんにも変わらないのにね
犯罪を犯す「普通の動機」なんて、本当にあるのだろうか。それに、保険金殺人は納得できるが、快楽作人は納得できないというのも妙な話です。まるで、金のためなら人を殺してもしかたがない、と言っているみたいだ

物語は、警察関係者目線、「わたし」目線を交互に繰り返していく、読者の誰もが終盤には「わたし」に一杯くわされることだろう。
この手の手法を用いる作品は、この状況を作り出すために、話の展開だけに重点を置きすぎて、心理描写などが薄くなりがちだが、この作品はそんなことがなかった。ただ、唯一この物語のために作られた「偶然」は、あまりにも確率の低いもので、「作られた物語」という感覚は読んでいる最中に常に付きまとわれてしまった。
また、妄想癖と自殺願望を持つ「わたし」を主人公にした以上、そのような心理を持った原因などにも少し言及して欲しかった。


ポルシチ
ウクライナからロシアに入った色に特長のあるスープの一種。スビヨークラ(赤い砂糖大根)が入っている。
バゲット
フランスパンの一種で、細長い形をしたパンのこと。バゲットはフランス語で杖や棒という意味。
ハインリヒ・ハイネ
ドイツの著名な詩人、作家、ジャーナリスト。1797年12月13日-1856年2月17日

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「龍は眠る」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第45回日本推理作家協会賞受賞作品。10年ぶり2回目の読了である。
雑誌記者の高坂昭吾(こうさかしょうご)は、車で東京に向かう途中で、自転車をパンクさせ立ち往生していた高校生の少年、稲村慎司(いなむらしんじ)を拾った。これが高坂(こうさか)と超能力者との出会いであり、不思議な体験の始まりであった。
宮部みゆきの初期の作品には超能力者が多く登場する。「魔術はささやく」「蒲生邸事件」「クロスファイア」などがそれである。超能力者を描いた作品と言えば筒井康隆の七瀬が印象に残っているが、宮部みゆきの描く超能力者の物語もまた例外なく面白い。この物語に登場するのは二人のサイコメトラーである。
稲村慎司(いなむらしんじ)は超能力を持ったからこそ他の人にはできない何かをしなければいけないと考え、さらに優れた超能力を持った織田直也(おだなおや)は超能力を持ってしまったからこそ人生を狂わされ、その力を隠して普通の人間として生きようとする。そんな二人の過去の経験がリアルに描かれているためどちらの考え方にも共感できることだろう。二人の周囲の人間の考え方もまた印象的である。
稲村慎司(いなむらしんじ)の父親は言う。

信じる、信じないの問題ではなのですよ。私と家内にとっては、それがそこにあるんです

織田直也(おだなおや)の友人で幼い頃に声を失った女性は言う。

わたしみたいに、あったはずの能力が消えてしまったからじゃなくて、余計な能力があるから、あの人は苦労しているんです

物語展開の面白さ以外にも随所に宮部みゆきらしい心に突き刺さる表現が見られる。

男でも女でも、傷ついて優しくなるタイプと、残酷になるタイプとがいるそうだ。おまえは前の方だ
信じてやりたい、などと逃げてはいけない。そんなふうに思うのは、彼らに本当に騙されていた場合、自分に言い訳したいからです。それでは駄目だ。信じるか、信じないか、あるいはまったくデータを集めるだけの機械になりきって、すべての予断や感情移入を捨てるか、どれかに徹することです

人間としての心構えまで教えてもらっているようだ。

すぐうしろに立っている主婦が、怪しまれずに姑を殺してしまうにはどうしたらいいかしきりと考えている−−その人たちを追いかけていって、そんな恐ろしいことはやめなさいって言ったところで、どうにもならないでしょ?黙って見過ごすしかなかったんです。それだけだって、死ぬほど辛いことだった

過去アニメやドラマなどで数多くの超能力者が描かれてきた。それらを目にして、誰でも一度は超能力というものに憧れを持ったことだろう。しかし本作品を読めば、それが決して羨ましいものではないことがわかるはずだ。10年ほど前、この作品で宮部みゆきに初めて触れた。今思うと、これが僕を読書の世界へ引き込んだきっかけだったかもしれない。
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「博士の愛した数式」小川洋子

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第55回読売文学小説賞受賞作品。第1回本屋大賞受賞作品。
家政婦を務める主人公は、家政婦紹介組合からの紹介でとある男性の世話をすることになった。その男性はその男性は数学の博士で、交通事故により80分間しか記憶を保持することができない。博士と主人公の私、そしてその息子のルート、3人の不思議な物語である。
素数、友愛数、完全数など昔習ったような記憶を持ちながらも忘れてしまった数学の言葉が多々出てくる。この物語は理系の人間が読むか、文型の人間が読むかで大きく印象が異なるかもしれない。また、80分しか記憶が持たない人間がどのような気持ちになるのか物語を読み進めるうちに考えることだろう。たった80分間のために何かを学ぼうと思うだろうか、向上心がわくだろうか。人と会話をしようと思うだろうか、と。普段考えないことを考えさせてくれる作品ではあったが、この物語が世間で受けている評価ほどすばらしい作品とは思えなかった。
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「らせん」鈴木光司

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第17回吉川英治文学新人賞受賞作品。10年ぶり2回目の読了である。
幼い息子を海で亡くした監察医の安藤満男(あんどうみつお)は謎の死をとげた友人、高山竜司(たかやまりゅうじ)の解剖を担当する。冠動脈から正体不明の肉腫が発見されたことで、その原因に興味を抱くことになる。
この物語はもちろん前作「リング」を読んでこそ楽しむことができる。「リング」と比較すると読者に恐怖心与える箇所は少ないだろう。DNA、塩基配列など瀬名英明の「パラサイト・イヴ」と似た理系的な物語の印象を受ける。未だ解明できていない科学的な分野を巧妙に利用し、非現実的な出来事を説明しながら展開していく。

現代の科学では根本的な問いには何ひとつ答えることはできないんだ。地球上に最初の生命がどのようにして誕生したのか、進化はどのようにしてなされるのか、進化は偶然の連続なのかそれとも目的論的に方向が定まっているのか・・・様々な説はあれども何ひとつ証明はされていない。

ストレスが胃壁に穴を開ける例などを挙げて、質量を持たない心の状態が肉体に様々な影響を与えるという前提で物語は構築されている。

人間の眼は恐ろしく複雑なメカニズムを持っている。偶然、皮膚の一部が角膜や瞳孔へと変化し、眼球から視神経が脳に延び、見ることになったとは到底考えられない。見たいという意思が生命の内部から浮上してこなければ、ああいった複雑なメカニズムなど形成されるはずがない。

一部の展開には「そうかもしれない」と受け入れられ、人間の新たな可能性に心を刺激されるが、一部では大胆すぎる発想に受け入れ難い箇所もあった。そして、「リング」で作り上げられた山村貞子(やまむらさだこ)の崇高な印象も本作によって大きく修正せざるを得なくなる。「リング」との繋がりに対しても違和感を感じずにはいられない。
また、本作品からは「リング」のようなテンポの良さは感じられない。著者があとがきでも「これほど苦労した作品はない」と書いているが、読んでいても感じられる。それは無駄に長く、受け入れ難い展開として読者に伝わってしまうだろう。
終盤は話を大きくしすぎて「なんでもあり」のような印象を受ける。それによって前作「リング」と本作の途中まで読者に抱かせていた「どこかで現実に起こっているかもしれない」という気持ちから来る恐怖心があっけなく壊されてしまっている点が非常に残念で、本作品の評価を落としている気がする。もちろん、現在の僕にはこの不満が「ループ」によって見事に払拭されることを知っているのであるが、「リング」「らせん」と読み終えた読者の多くは同じような感想を抱くことだろう。
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「夜のピクニック」恩田陸

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第26回吉川英治文学新人賞受賞作品。第2回本屋大賞受賞作品。
高校生活最後を飾る「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統の行事である。互いに意識し合う西脇融(にしわきとおる)と甲田貴子(こうだたかこ)の2人も各々いろいろな想いを抱えながら高校最後の「歩行祭」がスタートする。
物語の視点は融(とおる)と貴子(たかこ)に交互に切り替わる。それぞれの目に映るもの、記憶、友人達との会話、気持ちの描写だけで物語は展開されていく。
スタートしたばかりの前半は余裕から会話も弾む。転校していった友達の話。学校内で広がっている噂話。友人の恋愛の話。そして、そんな中で3年生である融(とおる)や貴子(たかこ)は歩行祭が人生で得難い機会であることを実感している。

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。

物語中盤からは、距離を歩いたことで疲労が増しそれぞれが無駄な会話を辞め、夜が訪れると共に気持ちが昂ぶり、本当に語りたいことを語り始める。そして人の言葉に対しても自分を偽らない素直な反応しかできなくなる。
学生時代の部活の合宿や、旅行の夜の妙な高揚感を思い出す。人の気持ちを素直にさせるのは非現実的な環境なのかもしれない。
そして、そんな状況で、普段言えないことを素直に口に出した、融(とおる)や貴子(たかこ)の友人達の言葉が心に残る。融(とおる)の友人の忍(しのぶ)、貴子(たかこ)の友人の美和子(みわこ)は物語の中で特に重要な役割を果たしているように感じる。

雑音をシャットアウトして、さっさと階段を上りきりたい気持ちは痛いほど分かるけどさ、雑音だって、おまえを作っているんだよ。おまえにはノイズにしか聞こえないだろうけど、このノイズが聞こえるのって、今だけだから、あとからテープを巻き戻して聞こうと思った時にはもう聞こえない。いつか絶対、あの時聞いておけばよかったって後悔する日が来ると思う。

高校生の恋愛感についても鋭い視点が見える。僕が中学生の頃に感じていた恋愛感、周囲の女性達に感じていた違和感。例えばそれは恋に恋する気持ちだったり、思い出として恋愛したい気持ちだったりする。それらの感情を融(とおる)や忍(しのぶ)が代弁してくれているようだ。

何か変だよ。愛がない。打算だよ、打算。青春したいだけだよ。あたし彼氏いますって言いたいだけ

物語は歩行祭の80キロの道のりのみを描き、言い換えるなら登場人物はひたすら歩くだけである。それでも思い出や気持ち、友人達との会話を巧妙に織り交ぜて読者を飽きさせることがない。大人になってからはめったに味わうことのできない懐かしく甘い気持ちにさせてくれる作品だった。「六番目の小夜子」「ネバーランド」に代表されるように、恩田陸のこの世代を主人公とした作品にはいい作品が多いが、そんな中でも最もオススメの作品になった。
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「火車」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第6回山本周五郎賞受賞作品。9年程前に初めて読んで以来、今回で4回目の読了である。
休職中の刑事、本間俊介(ほんましゅんすけ)は、遠縁の男性からの依頼により、その男性の失踪した婚約者関根彰子(せきねしょうこ)の行方を探すことになった。本間(ほんま)は関根彰子(せきねしょうこ)の過去を知る過程で、別の一人の女性の存在を知るとともに、社会が作り出した悲しい現実と向き合っていくことになる。
この物語は常に本間(ほんま)の目線に立って進められていく。捜索の過程で見せる本間(ほんま)の人間観察眼に驚かされる。
物語は関根彰子(せきねしょうこ)の失踪した理由に絡んで、カード破産という社会問題に触れる。今の社会で便利に生きるうえでは必要不可欠なクレジットカード。紙一重の場所にあるカード破産という現実。二十歳かそこらの若者に一千万も二千万も貸す業者がいる現実。クレジットカードを利用している人のうち一体どれほどの人がその現実を理解しているのだろうか。そんな問いを自分自身にも投げかけるとともに、教育の在り方まで考えさせられてしまう。破産に追い込まれるような人たちに対してつい抱きがちな先入観は読み進めていくうちに薄れていくことだろう。
僕自身は、この社会問題だけがこの物語が訴えようとしているものではないと強く感じる。なぜなら登場人物たちの台詞や考え方が心を強くえぐるからだ。まるで直視したくない人間の心の中を見せ付けられるているかのようだ。
関根彰子(せきねしょうこ)の幼馴染みでもある、本多保(ほんだたもつ)の妻、郁美(いくみ)は突然友人からかかってきた電話にこんな感想を抱いた。

たぶん、彼女、自分に負けている仲間を探していたんだと思うな。会社を辞めて田舎へ引っ込んだあたしなら、少なくとも、東京にいて華やかにやっているように見える自分よりは惨めな気分でいるはずだって当たりをつけて

階段から落ちて死んだ関根彰子(せきねしょうこ)の母親。この事件を担当した境(さかい)刑事は母親の当時の気持ちをこう見ている。

酔っ払って、危ないからやめろといわれても、この階段を降りてたんですよ。それはね、そうやって何度か降りていれば、そのうち、どうかして足が滑って、パッと死ねるんじゃないか、そんなふうに考えてたからじゃないかと思うんですわ

そして物語後半では、破産だけでなく、そこに至る人間の心情にまで触れている。お金もなく、学歴もなく、能力もない。そういう人は昔は夢を見るだけで終わっていたのに、今は夢が叶ったような気分になれる方法がたくさんある。エステや美容整形や強力な予備校、ブランドなど、そして見境なく気軽に貸してくれるクレジット。世間のそこかしこに夢を見る人を待ち構えて「罠」が仕掛けてあるのだ。自分がそんな世の中の「罠」にかからないからといって、夢を見て「罠」にかかって人生を転げ落ちていく人たちを「愚か」と一言で片付けられるのだろうか。

どうしてこんなに借金をつくることになったのか、あたしにもよくわかんないのよね。あたし、ただ、幸せになりたかっただけなんだけど。

読み進めるうちにもう一人の女性の人物像も次第に明らかになっていく。彼女の背負っている過去は、不自由なく暮らしている僕等のような人間には到底理解できるものではない。彼女の発したこんな台詞がそのことを伝えてくれるだろう。

どうかお願い。頼むから死んでいてちょうだい、お父さん。

本間(ほんま)と同様に読者の多くもこの犯人と思われる女性を嫌いにはなれないのではないだろうか。むしろ、その強く孤独な生き方に感心するかもしれない。

わたしのところに遊びに来て、帰るときはいつも、じゃ、またねと言ってたんです。手を振って、また来ます、と。だけどあの時だけは、そうじゃなかった。さよなら、と言ったんです。わざわざ頭を下げて、さよならと言って帰ったんです

彼女は礼儀正しく優しい女性だったのだろう、人の心を思いやれる人間でもあっただろう。そして社会の犠牲者だった。辛い想いをたくさんしたからこそ彼女は強い心を育み、悲運な運命と決別する道を選んだ。彼女を一方的に責めることなどできやしない。彼女の心情を最後まで読者の想像に委ねたこの物語のラストが好きだ。
本間が携帯電話を持っていないあたりなど、初めて読んだときには感じなかった時代の違いを今は感じるが、何度読んでもこの物語から受ける衝撃は健在である。全体的には、カード破産という社会の問題を訴えているようにも取れるが、僕は、人間の醜い部分がじわじわ染み出してくるような印象を毎回受けるのである。


特別養子制度
従来の普通養子制度では、養子縁組をしても、実方の父母との関係は残っており、父母が養父母と実父母二組いることになっていたが、特別養子縁組をすると父母は養父母だけになる。
割賦
分割払いのこと。
買取屋
多重多額債務に苦しむものを助けるといって近づき、クレジットカードを作らせ、カードで買い物をさせたうえで、その商品を質屋などで換金して手数料を取る業者のこと。
利息制限法
貸金業者の金利を制限する法律。貸金業者の貸付金利の上限を、元本10万円未満は年率20%、元本10万円以上100万円未満は年率18%、元本100万円以上は年率15%と定めている。これを破っても罰則規定はないため有名無実化しており、現在、利息制限法を守っている貸金業者はほとんど存在しない。
出資法
年利29.2%を超える利息で金貸し業を営む事を禁止している法律で、違反すると5年以下の懲役又は3000万円以下の罰金が科せられる。
参考サイト
出資法と利息制限法について

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「地下鉄に乗って」浅田次郎

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第16回吉川英治文学新人賞受賞作品。
小沼真次(こぬましんじ)はクラス会の帰り道。永田町駅と赤坂見附駅の間にある階段を上がった。するとそこは三十年前だった。ワンマンだった父とその父に反発して自殺した兄の昭一(しょういち)、そして恋人のみち子。タイムスリップという奇跡が真次(しんじ)人の記憶や出来事を塗り替えていく。
父親とは子供にとって頑固でわからずやだったりするものだ。そしてそれが父親が子供に見せているほんの一つの顔だということを子供は気付かずに生きていく。ひょっとすると一生父親の他の顔を見ずに終わることが大部分なのかもしれない。物語中で真次(しんじ)は憎かった父の過去にタイムスリップし、過去の父と出会うことで、父も苦労を重ねて生き抜いてきたと理解していくのである。
そして、タイムスリップという奇跡は、真次(しんじ)と父親の間だけでなく、恋人であるちか子との間にも大きく影響し、ラストには悲しく切ない結末が用意されている。

おかあさんとこの人とを、秤にかけてもいいですか。私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら・・・

しっかりとコンパクトにまとめられた一冊だった。
【Amazon.co.jp】「地下鉄に乗って」

「邪魔」奥田英朗

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第4回大藪春彦賞受賞作品。今回で二回目の読了である。
過去に最愛の妻を事故で亡くした九野薫(くのかおる)は現在警部補として所轄勤務をしている。同僚の花村(はなむら)の素行調査を担当し、逆恨みされる。及川恭子(おいかわきょうこ)はサラリーマンの夫と子供二人と東京郊外の建売住宅に生活している。平凡だが幸福な生活が、夫の勤務先で起きた放火事件を期に揺らぎ始める。
30代半ばという人生の中間地点。それは「もはや人生にやり直しが効かない」という事を少しずつ実感する世代なのか。そんな中で人はどう現実と折り合いをつけて生きてくのだろう。

自分はいつから現実をみないようにしてきたのだろう。心の中にシェルターをこしらえ、そこに逃げ込むようになったのだろう。

現実を直視しないようにすることも幸せに生きる術なのかもしれない。中には、目の前にある幸せに気づずに生きている人もいるのかもしれない。

先月までは何不自由ない暮らしをしていた。家計を助ける程度のパートをして、家で子供や夫の帰りを待っていた。退屈だが特に不満はなかった。それがどこで歯車が狂ったのか。

幸福とはこんなにも儚いものなのか。リアルに描かれるその様子はただただやりきれない。九野薫(くのかお)と及川恭子(おいかわきょうこ)の二人を中心としながらも、いろんな要素を絡めて展開するこの物語には読者を夢中にさせるに十分な力があった。
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「4TEEN」石田衣良

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第129回直木賞受賞作品。
太って大きなダイ、小柄でメガネで賢いジュン、ウェルナー症という病気を抱えたナオト、そして読書が趣味の主人公テツロー。東京湾に浮かぶ島。月島を舞台に14歳の中学生4人の青春を描く。
友情、恋、性、暴力、病気、死。彼らの生活の中で多くの出来事が展開する。そんな4人の前で起こるバリエーションに豊かさに、若干作られたストーリーという面を強く感じないでもない。それでも自分が14歳だった頃、何をして楽しんでいたかをつい考えてしまう物語であった。時代は違えど、目の前で起こる出来事、興味の対象に対してストレートに感情を表現する彼らの姿に、読者は昔の自分との共通点など、忘れていたものをいろいろ思い出すことだろう。


ウェルナー症候群
20世紀初頭に、ドイツ人の眼科医オットー・ウェルナーによりアルプスの谷間に住む4人兄弟の患者が初めて報告されたことから、この名前がつけられた。 一般の人より数倍のスピードで年をとる病気「早期老化症」の一つで、20歳頃から白髪や皮膚の皺などの老化の特徴が現れ始め、糖尿病,癌などで40歳あまりで死亡してしまう。
 また、ウェルナー症候群は日本人に極めて多い早期老化症である。この症状を長年にわたって診断してきた東京都立大塚病院の後藤眞博士らによると、ウェルナー症候群の臨床報告数は世界でおよそ1200例。そのうち日本からのものが800例を超えて群を抜いている。

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「パーフェクト・プラン」柳原慧

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第2回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作品。
代理母として生計を立てる小田桐良江(おだぎりよしえ)と歌舞伎町で働く田代幸司(たしろこうじ)、赤星(あかぼし)サトル、張龍生(ちょうりゅうせい)の4人は投資アドバイザーである三輪俊英(みわとしひで)の息子である俊成(としなり)を誘拐して、ある犯罪計画を立てる。彼ら4人の計画通りに進むかに思えたところで物語りは大きく展開していく、という話。
物語はクラッキング、オンライントレードなど旬な題材を盛り込んだ、まさに今風な物語に仕上がっているが、物語自体の面白さ、深みは予想を超えるものではなかった。物語よりも新たな専門知識の風を吹き込んでくれたことが印象的である。


ソーシャルエンジニアリング
ネットワークの管理者や利用者などから、話術や盗み聞き、盗み見などの「社会的」な手段によって、パスワードなどのセキュリティ上重要な情報を入手すること。パスワードを入力するところを後ろから盗み見たり、オフィスから出る書類のごみをあさってパスワードや手がかりとなる個人情報の記されたメモを探し出したり、ネットワークの利用者や顧客になりすまして電話で管理者にパスワードの変更を依頼して新しいパスワードを聞き出す、などの手法がある。
ベルフェゴール(Belphegor)
ベルフェゴールは、人間界の結婚生活などをのぞき見る悪魔で、牛の尾にねじれた二本の角、顎には髭を蓄えた醜悪な姿をした悪魔とされる。しかし、それとは別に妖艶な美女として描かれることもある。何故か車輪付きの椅子、または寝室の奥で洋式便所に座った姿で現される。
七つの大罪
「七つの罪源」ともいわれ、「罪そのもの」というより、キリスト教徒が伝統的に人間を罪に導く可能性があるとみなしてきた欲望や感情のことを指す。伝統的な七つの大罪とは高慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲の7つを指す。
エニグマ
第二次世界大戦でドイツ軍が使用した暗号システム。ドイツ軍はエニグマに絶大の自信を持っていたため、 これが連合軍に解読されるとは夢にも思っていなかった。エニグマ暗号がもし解読されていなければ、 ノルマンディ上陸作戦や大戦での連合軍の勝利はずっと遅れたか、 あるいは、勝利そのものさえなかったかもしれない。
ES細胞
embryonic stem cellsの略語で、正式には「胚性幹細胞」という。不死化し、がん細胞のようにいくらでも永く増殖しつづける力をもっている。しかし、ヒトES細胞は、“人の生命の始まりである受精卵”を破壊して作り出すものだけに、いかに有用な細胞とはいえ、倫理的に果たして作製が許されるものかどうか、欧米を中心に真剣に議論されている。
ディスレキシア
学習障害の一つのタイプで、脳内の中枢神経系の機能障害。特徴としては、平均の知的能力があり、その他の障害が無いのにも関わらず、文字をすらすらと読むことができなかったり、スペリングをよく間違い、文字を書くことが苦手などがある。
ウィザード
本来「魔法使い」を意味する英語で、コンピュータの世界では稀に見る天才的技術者をウィザードと呼んだりもする。
サヴァン症候群
知能障害をもちながらも、例えば音楽や目で見た風景を写真と同じくらいに見事に再現できるなど、突出した記憶力を持つ人々のこと

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「半落ち」横山秀夫

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
2003年このミステリーがすごい!国内編第1位

現職警察官の梶聡一郎(かじそういちろう)がアルツハイマーを患う妻を殺害し自首した。動機などを素直に話すが殺害から自首までの2日間の行動がはっきりしない。その2日間の謎を解くために関わる人々の物語である。
物語は事件の処理に関わる6人の人物の別々の視点によって時系列に展開していく。6人とは、W県警本部操作第一課の志木和正(しきかずまさ)、W地方検察庁の検察官である佐瀬銛男(させもりお)、東洋新聞の記者である中尾洋平(なかおようへい)、弁護士の植村学(うえむらまなぶ)、裁判官の藤林圭吾(ふじばやしけいご)、そして刑務官の古賀誠司(こがせいじ)である。
そのため、物語の展開だけでなく、普段あまり縁のない職業に就く6人の心の葛藤、所属する組織内の軋轢、仕事に対する誇りにも触れることができる。W県警の志木和正(しきかずまさ)は取り調べを次のように例える。

取り調べは一冊の本だ。被疑者はその本の主人公なのだ。彼らは実に様々なストーリーを持っている。しかし、本の中の主人公は本の中から出ることはできない。こちらが本を開くことによって、初めて何かを語れるのだ。

東洋新聞の中途採用者で「傭兵」という隠語をあてられる中尾(なかお)はこんな思いを抱いている。

傭兵は必ず這い上がる。だが、それは他人の二倍三倍働き、二倍三倍抜いてこそだ。人並みでは駄目なのだ。

物語は、6人の心を描写し、視点を変えながらも一本のしっかりとした筋をもって読者を飽きさせることなく展開していく。そんな中で物語に関わるアルツハイマーという病気の怖さを改めて知り、「生きる」ことの意味さえ考えさせられる。
梶(かじ)はアルツハイマーを発病した妻のことを語る。

物忘れがひどくなり、ミスを防ごうとメモをするようになったが、そのメモをしたことを忘れる。そして、後で忘れたことに気づき、深く傷つく。恐怖に戦(おのの)く。自分はいつまで人間でいられるのか−−

横山秀夫作品の「顔」にも同様のことがいえるが、本書も物語の展開のうえで不必要な場面描写や説明が極力省かれており、ページ数の割に内容が濃いという印象を受け、非常に読みやすい。そして謎が解けるラストは泣ける展開だった。急性骨髄性白血病、ドナー登録など考えさせられることの多い作品であった。


検察庁へ身柄付送致
警察は、被疑者を逮捕したときには逮捕の時から48時間以内に被疑者を事件記録とともに検察官に事件を送致しなければならない。被疑者を起訴するか否かを決定するのは公訴の主宰者である検察官だけの権限。
嘱託(しょくたく)殺人
死にたいと思っていても死ぬことができない重病人等が第三者に依頼して、殺してもらうことによって成り立つ行為のこと。
グリーニッカー橋
ベルリンとポツダムを結ぶ橋梁。冷戦時代、スパイ捕虜を交換する際に使われた。

【Amazon.co.jp】「半落ち」

「血と骨」梁石日

オススメ度 ★★☆☆☆ 2/5
第11回山本周五郎賞受賞作品。
昭和初期から中期にかけて、在日朝鮮人である金俊平という蒲鉾職人の生き方を描く。
金俊平のように自分以外の人を信じないという生き方は戦時中の騒乱の時代の中では多かったのかもしれない。ストーリーのおもしろさという面ではあまり薦めないが、昭和の歴史を当時の雰囲気を味わいたい方は読んでみるのもいいかもしれない。
お金がなければ見向きもされない。女は体を売っていきるしかない。病気になれば「早く死んでほしい」と思われる。僕の生まれるほんの20数年前までの昭和という時代はそんな時代だったのだ。
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「魔術はささやく」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
日本推理サスペンス大賞受賞作品。宮部みゆきの名作である。もう5年も前に一度読んだのだが、なぜかもう一度読み直してみたくなった。
主人公の守(まもる)は父親は横領の罪をかぶったまま失踪し、母親が早くに亡くなったことで、母親の姉の家庭で育てられた。そんな中、彼の周囲には妙な事件がおき始めた。3人の女性が立て続けに死亡したのである。そんななぞめいた事件の一つにかかわったことから守の周囲は動き始める。
周囲の目や障害にも負けない守(まもる)の強さや正義感に共感を覚える。そして読み進めていくうちに守の強さは周囲の人に支えられて形成されたものであることも伝わってくる。
守ると親しい近所のおじいちゃんは守(まもる)にこう言った。

「おまえのおやじさんは悪い人ではなかった。ただ、弱かったんだ。悲しいくらいに弱かった。その弱さは誰の中にもある、おまえの中にもある。そしておまえがその自分の中にあるその弱さに気がついたとき、ああ、親父と同じだとおもうだろう。ひょっとしたら親が親なんだから仕方がないと思うこともあるかもしれない。じいちゃんが怖いのはそれだ」

守(まもる)の通う学校の先生は守(まもる)にこう言った

「俺は遺伝は信じない主義だ。蛙の子がみんな蛙になってたら、周りじゅう蛙だらけでうるさくてらかなわん。ただ世間には、目の悪いやつらがごまんといる。象のしっぽをさわって蛇だと騒いだり、牛の角をつかんでサイだと信じていたりする。」

周囲の流れは風当たりがどんなに強くても、気持ちの持ちようで道は開けるということを教えてくれるのと同時に、その風当たりに負けてしまう人がいるのも仕方がなく、そんな弱い人を責めてはいけないのだとも教えてくれる。
さらに物語の中で「あんなやつは殺されて当然だ」という台詞が出てくる。実際に憎らしい人が死ぬことはめったにないにしても、「あんなやつは死んだほうがいい」という強烈な殺意を抱いたことぐらい、誰でも一度か二度はあるのだろう。しかし、僕らそうやって殺意を覚えることはあってもはそんなに簡単に人を殺したりしない。なぜなら、そこにはリスクが伴うからだ。リスクとは信用や社会的地位の失墜である。では、リスクを負わないだけの力を得たら人を殺したりするだろうか・・・。考えてみた。殺したりするかもしれない。ほんの少しの労力で、僕がやったとわからないのなら、僕が責任を問われることがないという確信があるのなら殺したかもしれない。きっと多くの人がそうなのだろう、人は力を得ると自分で裁きたがるのだ。「これが正義だ!」「悪いやつはこの世からいなくなれ!」と。としかし人には感情があり、感情がある以上、人を冷静に裁くなどできるはずがないのである。
これがこの本が読者に訴えてきた一番大きなテーマなのだ。僕はそう受け取った。ちなみにこの「力を得たことによって、自らの手で人を裁く」というテーマを中心に据えたのがその後の宮部作品「クロスファイア」なのだと2回目にして感じた。
守(まもる)が父親の最後の行動を知って一人つぶやくシーンは涙を誘う。
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「終戦のローレライ」福井晴敏

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第24回吉川英治文学新人賞受賞作品。
昭和20年。第二次世界大戦末期、すでに誰の目にも日本の敗戦は濃厚になりつつある時代、五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライを回収するための作戦が秘密裏に進められていた。17歳の上等工作兵、折笠征人(おりかさゆきと)、清永喜久雄(きよながきくお)、そして海軍潜水学校で教師を勤める絹見真一(まさみしんいち)もその作戦のために集められた一人であった。
戦争という抗いようのない大きな流れ。60年もの月日がたった現在ではその時代の生の声を聞くこともできず時代の一部分という認識しか持たない僕に、その大きな流れに巻き込まれた人たちの悲しみ、想像を絶する苦しみをリアルなまでに伝えてくれる。勝敗に関わらず戦争から生まれるのは悲しみや苦しみばかりだということを。
いくつか印象に残っているシーンをあげてみる。
アメリカ合衆国海軍で初の実戦配置に抜擢されたアディの最期は突然訪れた。

「魚雷衝突まで六十・・五十・・」
チーフはアディと視線を絡ませたのもつかの間、瞼を閉じた。「ジュリア・・・」という小さな囁きその唇から漏れた。アディはそれを聞いた途端。これで死ぬらしいと理解した。唐突に訪れた死の瞬間に呆然となり、慌ててガールフレンドの顔の一つも思い出そうとした。しかし、こういうときに名前を呼ぶに相応しい女性の顔は見つけられなかった。そんな相手を見つけるには短すぎる人生だった。まだやり残したことがたくさんある・・・

人によっては自分が死ぬことに気付かないまま最後を迎えることもある。主人公の征人(ゆきと)は自分と同じように敵の戦闘機の機銃を避けていた男の最期の瞬間を見た。

両手で耳を塞ぎ、甲板に顔を押しつけたその男は、後頭部に弾丸が刺さってもぴくりとも動かなかった。顔の下から流れ出した血を甲板に広げ、生きていた時とそっくり同じ姿勢で死んだ。あれでは自分が死んだということもわからなかったのではないか?特攻という自発行為の結果で死ぬならまだしも、こんなのは絶えられない。

また、日本海軍の最前線で無人島に流れ着き、生きるためには死んだ人間の肉を食べるしかなかった。そんな地獄の中を彷徨っていた彼等はある真理と直面した。

肉が喰える以上誰も死なない。そして誰も死ななければ肉は喰えなくなる−−

そんな戦争という舞台のうえで展開される、命の重さや人と人との信頼関係、信念が僕の心に大きく響いてくる。こんな生き方をしたい、こんな強い心を持ちたい。こんな行動ができる人でありたい。そう思わせてくれる登場人物ばかりだ。
主人公の征人(ゆきと)は同じ潜水艦に乗り込んでいる田口(たぐち)に見つめられてこう思った。

そう、この目だ。殺気を常態にした瞳の底に、やさしい光を蓄えた瞳。怒鳴りつける一方、部下の顔色を目敏く察し、ひとりひとりに気を配るのを忘れない目。おれに見えていたのはそういう目だ。反発しながら学ばされ、嫌いながら近づこうとしていた、一人前と言う言葉の先にある目。男として手本にできると信じた目だ。

ドイツで特殊訓練を受けて育ったフリッツは征人(ゆきと)の思ったことをすぐに口にする性格を見て思った。

あいつの強さの本質は、立場の優劣で人を隔てないところだ。誰をも理解しようと努め、傷ついても向かってくる愚直さだ。あいつの無責任なまでのやさしさは傷つくことを恐れない強さに裏打ちされたものだ。

大平洋戦争。大東亜共栄圏の建国というスローガンで正当化して植民地を広げて行こうとした日本。あの時代のことを考えると多くの人はこう思うのだろう。昔の日本人は愚かだった、と。自分達を客観的に見ることができずに、周辺国の国民の苦しみを考えずに、「自分達日本人は特別な存在なのだ。」という根拠もない理由によって突っ走っていたのだ、と。そうやって現代では大平洋戦争時代の日本人の生き方を否定して多くの人が生きているし、戦後の日本の教育の中でもそんな教えられ方をしている。
では、日本人が太平洋戦争までに積み上げて来た物はどこにいってしまったのだろうか。確かに大平洋戦争において日本人がしたことは非常に罪なことで簡単に許されることではない。しかし、あの時代には「カミカゼ精神」やら「玉砕」やら今聞くと冷めてしまうような言葉を掲げて戦争に向かっていった東洋の小さな国の国民は、周辺国とっては確かに驚異であり、「日本人」というブランドが存在していたのも事実である。しかし戦後60年を迎えた今、日本を見つめてみると、情報や文化や技術を取り込むことに焦り過ぎた結果、その中で生きているのは国民性の薄れた空っぽな人間たちである。そして、その「国民性の薄れた空っぽな存在」に「かっこいい」という感覚を覚えているのだから少し悲しくもある。
あの第二次世界大戦の時代に比べて明らかに自分が日本人であることに対する誇りが薄れているのだはないか、と今までにない気持ちを僕の中に喚起させてくれた。
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「パイロットフィッシュ」 大崎善生

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
第23回吉川英治文学新人賞受賞作品。
編集者に勤める主人公の山崎隆二(やまざきりゅうじ)の元に、昔の恋人である由紀子(ゆきこ)から電話がかかってきたところから物語は始まる。過去の二人の出会いや別れ、二人の間に起きた出来事。そして今の二人の生活を描く。
タイトルとなっている「パイロットフィッシュ」とは、他の魚が生活しやすいように水槽の水を奇麗にする魚のことである。人との出会いや別れ、そしてその人との間に起きた出来事が今の自分の言葉や行動に確かに根付いていることを意識させてくれる作品。僕のパイロットフィッシュは一体誰なのだろう。僕は誰のパイロットフィッシュになれるのだろう。いろんな人と出会い、いろんな経験をすることがしっかりしたオリジナリティのある人間をつくる礎であることを再認識させられた。
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「柔らかな頬」桐野夏生

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第121回 直木賞受賞作品。
失踪した5才の娘、有香を探して、カスミは生活する。娘の失踪から4 年後、内海という元刑事の男が捜索に名乗り出る。内海は胃ガンですでに余命わずかと宣告されていて、その余生を、有香を探すことに費やそうと考えたのだ。こんな物語である。
娘の有香がいなくなった謎を解こうとするではなく、どちらかというと、娘が失踪した事実と向かい合って、どうやって生きて行こうか探しているカスミ。自分の死が迫っていて、どうやって現実を受け入れて生きて行くか悩む内海。そんな2人の姿が強烈だった。
僕が余命を宣告されたらどんな生き方を選ぶだろうか。
真実を知るために「今」を犠牲にできるだろうか。
幼い頃、僕はどこまで周囲の出来事を把握していたのだろうか。
この本を読んで実際に直面しないと答えの出ない疑問が僕の周りにわきあがってきた。
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「肩ごしの恋人」唯川恵

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第126回直木賞受賞作品。
欲しい者は欲しい、人の男を奪う事をなんとも思わないるり子。そして、仕事も恋も常にブレーキがかかって、理屈抜きでは楽しめないクールな萌。この二人は親友でありながら性格は正反対。そんな二人の仕事や恋や友情がこの物語の中では展開していく。
僕自身はどちらかと言えば萌に似ている。極端な言い方をすれば誰も信用しないし、すべて自分で解決するという生き方である。それでも、自分が幸せになるためには同性に嫌われようが構わないというるり子の生き方も少し爽快に感じる。僕自身はそんな女性を今まで軽蔑していたが、ある意味、もっとも自分に素直な生き方なのかもしれない。そう思わせてくれた。
きっと萌のような生き方をしている人はるり子のような生き方に、るり子のような生き方をしている人は萌のような生き方に、多少なりとも憧れているのだろう。
るり子の言ったこんなセリフが印象的である

「不幸になることを考えるのは現実で、幸せになることを考えるのは幻想なの?」

確かに一般的にはそうかもしれない。そう考えると、みんなの言う「現実」ってなんなんだろう。
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「四日間の奇蹟」浅倉卓弥

オススメ度 ★★★★☆ 4/5

第1回「このミステリーがすごい!」大賞金賞受賞作品。
指を失ったピアニスト如月敬輔と障害を持った少女、千織。二人に起こった奇蹟の物語である。正直このテの奇跡の話は良く有る。「このテ」というのがどんなテだかというのは、ネタバレになってしまうのでここで書くのは避けることにする。そんなよく使われる奇跡であるにも関わらず、この本は描写が非常にリアルで、こんな奇跡が起こってもおかしくないのではないかと思わせてくれる。つい「実際にどこかで起こったノンフィクションなのかな?」と思ってしまったぐらいである。
この本の魅力はそんなストーリーだけでなく、要所要所に読み直したくなる文章や言葉がある、読み終わった時にはページのスミがたくさん折れていた。
「心というのは肉体を離れても存在できるものなのか」
「人間だけが親子でもない別の個体のために命を投げだせる特別な存在なのではないか」
読んだあとにいろんな問いかけを自分に向けてみたくなる。
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「エイジ」重松清

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5

第12回山本周五郎賞受賞作品。
昨日まで普通にクラスメイトとして過ごしていた一人が、通り魔だった。主人公のエイジは自分とその友人との間になんのちがいがあるのか考え、悩む。
僕自身がこの本のエイジに近いのか、この本の作者に近いのかはわからないけれど、あまりにもドラマチックに描かれる学性生活に違和感があることは否めない。「キレる」という言葉がたくさん出てくるが、少なくとも僕が学生のときにはそんなに人は簡単に「キレ」たりはしなかった。今の大人が考える中学生のイメージはこんなものなのか・・・それとも実際今の中学生はこうなのか?いや、やはり決してそんなことはないだろう、そういう人がいるのも事実なのかも知れないが、一部の話題性のある中学生を取り上げて、「今の中学生はこんなやつらだ」そう語るのはやめるべきだ。
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