「楽園」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
前畑滋子(まえはたしげこ)のもとに、息子を交通事故で亡くした女性が訪ねてくる。その息子がスケッチブックに残した稚拙な絵は、本来その息子、等(ひとし)が知るはずのない事件を描いたものだった。
読み始めてすぐに、これは「当たり」だと思った。「蒲生邸事件」「魔術はささやく」「龍は眠る」など、<宮部みゆきが超能力者を扱った作品にハズレはないからである。 本作品の大部分で目線の主を務める前畑滋子は「模倣犯」で活躍したジャーナリストである。そのため、本作品でもしばしば「模倣犯」の連続殺人事件に触れており、その事件が関係者の心に作った傷の深さが伝えられる。そういう意味ではもちろん「模倣犯」を読んでこそ本作品は最大限に楽しめる作品といえるだろう。 滋子は遺された絵の謎を解くため、絵に描かれた事件の真相を追い始める。その絵に描かれた事件とは、両親が娘を殺して家の床下に埋めたまま16年の月日を過ごして時効を迎えるというものである。なぜ両親は娘を殺したのか、どうして永遠に心の中に封印せずに、自白せずにいられなかたのしたのか、そして、等(ひとし)はなぜその事実を絵に描くことができたのか。 そして前畑滋子(まえはたしげこ)の想像力の豊かさは本作品でも健在。その想像力の鋭さ(もちろんそれは実際には著者である宮部みゆきの想像力なのだが)は読者に冷気でで包み込まれたような錯覚を与えるかもしれない。事実僕は、何度も気温が下がるような背筋の寒さを感じた。

あたしはこの家にいるの。この家で、ずっと死んでいるのよ、あたし。

途中、等(ひとし)の美術の先生の語る話が印象的である。。小学生には母親の絵を客観的に描くことができず、中学生は客観的に描きすぎるという内容である。「模倣犯」でも、家の設計からその家主の心理を分析する専門家がいて、その内容は今でも強烈に心に残っている、人の作り出すもの一つ一つにその人の心理が色濃く反映されるのだと認識する瞬間である。
真実が明らかになるにつれ、別の問いかけを突きつけられる。ではどうすればよかったのだろう?、悲劇を避ける方法があったのだろうか?と。

家族はどうすればよろしいのです?そんな出来損ないなど放っておけ。切り捨ててしまえ。そうおっしゃるのですか?

そこに答えはない。宮部みゆきも答えを用意していない。僕らは受け入れるしかないのだ。「これが現実だ」と。それはつまり、誰かが幸せになるためには、誰かがその周囲で犠牲になっているということだ。現実に失望しながらも心の奥の理想を捨てきれない僕らに突きつけてくる。「現実というのはそういうものなのだ、みんな幸せになどなれないのだ」と。

誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、得ることのできない幸福がある。

宮部みゆきの刃(やいば)は錆びてはいなかった。彼女がつきつけてくるそんな現実に久しぶりに興奮すら覚えた。僕らが見ていない現実。僕らが理想という言葉で覆い隠そうとしている現実。僕らが必死で目をそらそうとする現実。そういうものをしっかりと突きつけてくるのだ。知らないほうが幸せに生きられるのかもしれないことまで。これこそが宮部みゆきの世界と言えるだろう。
最終的に等(ひとし)の描いた絵についていくつか解決されていない部分があるような気がするが、その辺は別の読者の解説を待ちたいところである。
こうして感想を書いている今僕は、中学生の女の子の視線を背中に感じている。トイレに行くのさえ怖く感じたのは何年ぶりだろう。

真実は、必ずしも人を癒さない。

大宅文庫
ジャーナリスト大宅壮一が亡くなった翌年の1971年、膨大な雑誌のコレクションを基礎として作られた私立図書館。(Wikipedia「大宅壮一文庫」

【楽天ブックス】「楽園(上)」「楽園(下)」