画像生成AIで職を失う人

ここ2,3年で画像生成AI、もしくは動画生成AIの進歩が著しい。

さて、そこで僕らデザイナーの関心は

画像生成AIでデザイナーは職を失うか?

というところではないだろうか。

現時点での僕の答えを簡潔にいうなら、アシスタントレベルのイラストレーター、デザイナー、デザインの言語化が苦手なデザイナーは、今後AIに職を奪われる可能性が高い。というものである。

まず、ここ1ヶ月ほどさまざまな画像生成AIを触って感じたのは、画像生成AIはすでに大きくクリエイティブのフローを変える力を持っているが、その一方でまだまだ世の中からデザイナー・イラストレーターを一掃するほどの絶対的な力はない。ということである。

端的に表現すると画像生成AIは、察する能力は低いがおそろしく作業の速い部下という印象である。デザインリーダーがジュニアデザイナーに指示を出す時と非常に似ている。この人にはこういう言い方をしないと伝わらない、この人には言葉より図で伝えた方が伝わる。など結局相手に応じて適切な何が適切な伝え方なのかを指示を出す側が学んで適切に使い分けないと、望んでいるアウトプットは出てこないのである。

画像生成Sora、Midjourney、Photoshop(Firefly)それぞれの特徴を挙げてみると次のようになる。

Sora

Soraはもっとも図での説明が伝わりやすい。白黒で軽くラフを描いて「イラスト調に仕上げて」「写実的な絵画テイストで仕上げて」と指示を出すとかなり良い結果が出てくる。しかし一方で、「女性の服をスカートにして少しローアングルで」としただけで拒絶してくるぐらいエロ系コンテンツには抵抗があるようだ。

Midjourney

Midjourneyはすでに決まっている構図で特定の人やキャラクターを置き換えたり、狙ったスタイルに変更したりする場合にをもっとも力を発揮する。またPhotoshopやSoraのように暴力やエロ系にも抵抗を示さない点も使いやすい。一方でMidjourneyに構図を指示するのは至難の技である。右側、左側ぐらいなら言葉で明確に指示を出せるが、複雑な構図になるとお手上げである。

Photoshop(Firefly)

Photoshop(Firefly)は出てくるコンテンツの質は一番低い。また、暴力系のコンテンツを拒否するので、戦争シーンなどを描きたい場合には使えない。手や足、髪、空など一般的なパーツの微修正に使うのが良さそうである。

いずれにしても完璧なアウトプットが出てくることはありえない。画像生成AIをうまく使いながら最終的にはPhotoshopやAffinity Designer等で調整することになるだろう。どこまで指示を出してAIに生成してもらい、どこからが自分で手を動かすべきかの判断が作業効率を考える上で重要になってくるだろう。

つまりまとめると、上でも述べたようにアシスタントレベルのデザイナー・イラストレーターは今後不要になっていくだろう。一方で、つくりたいデザインの完成系を明確にイメージしながらも、予算や時間の都合等からイラストレーターや写真家に発注できずにあきらめてきたアートディレクターレベルの人にとっては、画像生成AIは大きな力となるだろう。

「早めに取り組む」は不幸を招く

UIデザインはエンジニアとの共同作業であり、多くの場合デザイナーがデザインを作り、それをエンジニアが実装するという流れで進む。しかし、常にエンジニアとデザイナーの作業量のバランスが取れているわけではない。

悩ましいのはエンジニアが忙しいが、デザイナーの手が空いている時である。そんなときありがちなのが、

実装は先になってしまうが、先にデザインだけ作っておこう

という展開である。リソースを有効利用しているように聞こえるこの提案は、残念ながら多くの場合、不幸しか招かない

Andrea Piacquadioによる写真: https://www.pexels.com/ja-jp/photo/3807738/

問題は、そのデザインを作るデザイナーもそのほかの関係者も、このデザイン作業を急ぐ必要がないということをわかっているという点である。デザイン作業に限ったことではないが、効率よく作業を完遂するために適度な締め切り設定ほど重要なものはない。締め切りまでの時間が短が過ぎれば成果物の質を落とさざるを得ないのは明らかである。

しかし、逆に締め切りまでの時間が長ければ良いかというとそんなことはない。個人としても組織としても必要以上に修正や試行錯誤を繰り返すこととなるだけである。結果、リソースの無駄遣いだけでなく、デザイナー自身のモチベーション低下にも繋がることさえある。

最悪の場合、せっかく作成したデザインがお蔵入りすることもある。なぜなら実装の目処が経った頃には、デザインしたときとはビジネスやサービスの状況が変わっていて最初から考え直さなければならないこともあるからである。

デザイン作業とは発散と収束を経て完成になる。時間があればいくらでも発散することができるが、その一方で永遠に完璧には辿り着けないのもデザイン作業の特徴である。時間をかければ良いものができる、というのは間違ってはいないが、気をつけなければいけないのは、費やした時間に比例してデザインがよくなるわけではないということだ。

結局、作成したデザインが望んだ効果を生むかは、リリースするまで誰にもわからないのである。時間をかけ過ぎずに適度なタイミングでリリースするべきなのだ。

では、デザイナーの手が空いて、エンジニアが忙しい時、デザイナーは何をすべきか。そんなときこそ、デザインシステムなどのデザイン環境の整備や、社内へのデザイン文化の布教活動に時間を使うべきである。

デザインレビューのマインドセット

最近はデザインレビューという文化が浸透してきた。未だデザインレビューが浸透していない組織においても、上司や他のデザイナーから自分の作ったデザインのフィードバックの指摘を受ける機会はあるだろう。それはデザイナーとして生きている限り、デザイン力向上のためには避けて通れない時間である。

Christina Morilloによる写真: https://www.pexels.com/ja-jp/photo/1181346/

このフィードバックの時間が怖いデザイナーがいるようだ。自分の過去の同僚の中にもデザインの改善点や感想を述べただけであからさまに不機嫌になったデザイナーは何人か思い浮かぶ。限られた進歩の機会を自ら潰しているそんなふるまいはもったいないの一言に尽きる。そんなデザイナーへのアドバイスはこうである。

自分のデザインから自分という存在を切り離せ

デザイン力の自信のなさからくる部分ももちろんあるだろうが、自分とデザインを密接に関連させ過ぎているからこそ、デザインの改善点や懸念点の指摘を、自分自身の否定と受け取ってしまうのである。

デザインレビューの時間にやるべきは、他のメンバーと一緒に目の前のデザインがより良くなる道を模索することなのである。さらに付け加えるなら、改善点や懸念点は一つの意見であって絶対的なものではない。必ず従わなくてはならないものではないということ。つまり、それは

自分が手に入れた新たな選択肢

なのである。ということはどういうことかというと、その時間に得られる考えは自分がデザイナーとして成長する宝の山なのである。そう考えるとデザインレビューが恐怖の時間ではなく、楽しみな時間になるのではないだろうか。

年齢とともに組織内で少しずつ立場が上がってくると、周囲の人間も若かった頃よりもデザインのフィードバックを与えづらくなるもの。そうなると当然上達も頭打ちになる。どのように自分からフィードバックを取りに行くか、上達の手がかりを探しに行くかがデザイナーとして向上し続ける人と成長が止まる人を分ける鍵となる。ぜひ、貴重な機会をプラスに利用してほしい。