6月に読んだ本「モビィ・ドール」に触発されてドルフィンウォッチングに行きたくなり、ほぼそのままの勢いでその舞台となった御蔵島に宿泊予約。そして今週ついに行ってきた。
仕事場からそのまま竹芝桟橋ヘ行き22時半出航。御蔵島には翌朝6時到着予定。第一の問題として船の中でしっかり睡眠がとれるのか?というのがあったのだが同様に睡眠を重視して他の客も二等和室をとるせいか二等座席は全体の5%にも満たない乗船率。だからみんな勝手に空いている三列シートのひじ掛けを立ててベッドがわりにして100円でレンタルできる毛布を被って寝ていた。スタッフもなにも言わないところを見るとどうやら暗黙の了解らしい。
2008.9.3
翌朝6時、ほぼ定刻通り御蔵島に到着。宿に案内されて自分の部屋が空くまで休憩室でウトウト。7時半をまわると途端に慌ただしくなる。どうやらドルフィンウォッチングの午前の部が出発するらしい。同じ船でやってきた5人中僕を除いた4人全員がいきなり準備を始めるから驚いた。乗り物酔いのしやすい体質の僕は船旅で眠れたんだか眠れてないんだかの状態であろうことを予想して午前は周辺の探検と睡眠に専念。
さて午後2時にようやく初ドルフィンウォッチング。船で島を一周しながらイルカを探す。すぐに思っていたほど優雅なエンターテイメントでないことに気付く。
船長が「はい、そこにいまーす。入っていいよ〜」というなり僕らは飛び込んでイルカの群れに向かって全速力で泳ぐ。もちろんイルカ達が僕らに気付いて周囲を何度も廻ってくれることもあるが、一瞬で通り過ぎていってしまうことも多い。そしてイルカがいなくなったら船に戻ってまたイルカを船から探す。これを2時間のあいだに何度も繰り返す。そう、実は過酷なスポーツなのだ。
そして自分は1時間ほど経過したところで早くも波酔いが・・同じようにドルフィンウォッチングの船と何度かすれ違ったが、よくみるとその甲板には寝そべっている女性の姿が。隣の船が1メートルも上に見えるような波だったから。一般人(自分は一般人以下)が酔うのも不思議ではない。聞けばご一緒した大学生ぐらいの女の子たちも前日来島してドルフィンウォッチングに行ったら、酔って全然楽しめなかったという。これから御蔵島に来る人には初日のドルフィンウォッチングは外すことを勧める。
そんなわけでいまいち楽しめなかった一本目のドルフィンウォッチングだが例によって夕方は夕日を、夜は星空を満喫。
午後は二度目のドルフィンウォッチング。前日の3名とはうってかわって8名+スタッフ2名の10名という大所帯で、各自いい写真を撮ろうとイルカのまわりに群がるからこれぞまさに水中の格闘技。フィンで蹴られるのはもはや当たり前。からかうように旋回するイルカ達に着いていこうと人間もまた急激な方向転換を試みるから人同士もたびたび衝突。それでもこの日は体調万全で挑んだため波酔いに苦しめられることもなく、いい写真がたくさん撮れた。波酔いがないとなんて楽しいんだろう。
で、その人達が言うには9月のイルカは夏季のドルフィンウォッチングで人に慣れすぎてしまって、あまり人間の相手をしてくれないらしい。一方でゴールデンウィークに来ると、久しぶりに人間に会えてどんどん寄ってくるのだとか。ただもちろん5月は寒いからウェットスーツ必須だとか。
またこんなことも話した。リーダー格の男性も2回に1回は波酔いする体質らしいが彼は言う。
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「俺も一時期つらくて辞めようかと思った時期あるけどやっぱりイルカに出会っちゃったら辞められないよね」
同感。それに慣れてくればさっさと喉に指つっこんで吐けばあるていど楽になるし・・・という点でも意見が一致。ダイビングの楽しさを知りながらも波酔いが原因で辞めてしまう人も多いが、何事にも多少の障害はあるもの。それを前向きに捕らえられるかどうかで人生楽しめるかいなかが決まるのだろう。
「いやいや、ここが標高100mだとすると、展望台は400メートルはあんだ・・・」
「ううう・・・・おねがいしまーす」
冷静な判断と妥協は常に隣り合わせ。
車中「御蔵に来てくれてありがとな〜」と言ってひたすら話続けるおじさん。少し方言の入ったその言葉に、とりあえずうなずいてはみたものの、実はほとんど理解できなかった・・・。
そんなわわけで楽して、展望台へ到着。しかし、思ったほど風景はよろしくなかった。そこから1時間20分ほどかけて集落に歩いて帰ることとなる。
そして午後はラストのドルフィンウォッチング。直前に降った雨のせいか水の透明度が低く、波も高い。最初はいい写真が撮れそうにない予感もしたが、日の当たる側に移動してからはある程度の深さまで見えるようになった。途中、激突しそうなほど僕に近づいて来て僕の周りを一周してくれたイルカの親子。あとで撮った写真に写っているイルカの模様と宿に備え付けてある個体識別図を見比べたところ「けつしゃくれ」という名のメスの若者らしいことがわかった。おそらくどこの宿にもそのファイルがおいてあるのだろう。どのイルカにどんな特徴があるか、例えば、ひれに2つ傷がついている、とか、背中にサメにかじられた跡がある、とか。撮った写真と見比べてみるとまた違った楽しみ方ができるだろう。
夕方は例によって海に向かっているベンチに座って夕日を楽しむ。スタッフいわく、最近は雲がかかっていて夕日が沈むまで観れないのだそうだ。それでも、きれいな色の空が撮れた。遠く見えるは三宅島。
ちなみに、桟橋にいる人たちは僕と同じように夕日を楽しんでいるものだと思っていたのだが、どうやら波間にときどき顔を出すイルカ達の写真を撮っているようだ。見晴台からでもときどきイルカの尾ひれが見えた。
ちなみに昨年座間味に行ったときも思ったが一人旅は夜が長い。例によって何冊か本を持ち込んではいるが、旅先にまで来て普段と同じように部屋で読書なんてのもなんかいやなので、外に出て、また新たに星座をいくつか覚えてしまった。ちなみにStella Theaterの携帯サイトは星空の下で現在地と時間から今見える星座を調べるのに重宝した。
今回の旅で自分に合格点をあげたいのは、言葉を交わした他の旅行者達との最初のきっかけをすべて自分から作ったこと。
お昼どこいったんですか?
どこか面白い場所ありました?
他の場所にもよく潜るんですか?
そのカメラで結構撮れるもんですか?
普段もダイビングする人ですか?
カツ丼食べてきました。
今日は西に向かって歩きました。
いやー御蔵以外は行かないんだよね〜
撮れますよ〜見ますか?
ライセンスはあるけどまだ10本ぐらいしか潜ったことないんですよ〜
うん、すばらしい。きっとまた少し成長したぞ。俺。
一応ドルフィンウォッチングにも触れておくと、今回僕は、最後までウェットスーツを着なかった。9月の頭というもっとも水温の高い時期だけにできたことかもしれないが、他の参加者の中にはウェットスーツを着ていても寒がっていた人もいた。この辺は好みによるかもしれない。ウェットスーツを着ると浮力が増して潜りにくくなるからウェイトの装着が必須のようだ。ただ、イルカの写真を撮る場合、フラッシュは禁止されているためどうしても綺麗な写真を撮るには太陽光を当てにせざるを得ない。そのため、写真を撮るなら自然と水面付近のイルカを狙うことになり、結局深く潜る必要もないということになる。
最後は旅館の人などに見送られて御蔵島をあとにする。きっとまた来るさ。都内にあるイルカの楽園。
24日から2泊3日の入院生活を送ってきた。今回の目的は5年前の骨折の時に左足に埋め込んだプレートの除去で、入院という非日常的なイベントでもあるので記憶から消えないうちに感想を書いてみる。
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1日目(2008年1月24日)
初日の24日は朝の11時には入院手続きを終えて病室へ入る。大部屋が開いてないということで、個室をあてがわれる。もちろん病院側の都合なので差額ベッド代を支払う必要はなく、幸運なスタートであった。5年前の手術の時の病室も斜め向かいにあり、すぐに記憶はよみがえる。
基本的に初日は手術はもちろん診察らしい診察もなし、3日通しての予定、手術の予定や、食事制限、そして点滴の本数などをそれぞれの担当医、看護師から聞く。
ちなみに夕方、人生初の病院での入浴を経験した。看護師に案内されて、たくさん器具の置いてある部屋に案内された。
「どうぞ、30分ありますからゆっくり入ってください」
と言われて、確かによくみるとバスタブらしきものが部屋の中央にあり、壁にはシャワーがある。しかし、そこは病院、介護用なのかそれとも手足を怪我した人を入浴させるためのものなのか、重々しい器具がバスタブの周囲に配置され、とてもくつろげる雰囲気ではなく、この場所で、
「じゃあ遠慮なく」
と、みんなさっと湯船に浸かれるものなのだろうか。などといった感想を抱いたが、意外とあっさりと現実は受け入れられるもの。
ちなみに今回は最初の入院生活の説明段階で、看護師にケータイの使用の可否を聞いてみた。結果は通話しなければ問題ないということ。とはいえ、この辺は外科病棟でしかも個室という性質上許されたものなのかもしれない。
夕食後食事制限が始まり、21時以降は飲食禁止となった。病室は21時消灯の6時起床。普段3時に寝て8時に起きている人間が、21時に眠れるはずもない。そして、病室に用意されているエンターテイメントはテレビのみで、普段から平均しても1日30分も見ないだろうテレビを用意されたところで満たされるはずもなく、持ち込んだ本と売店で買った雑誌と新聞をひたすら読み漁る。タイミングを計ったようにこの時間にメールをくれた方々には感謝である。
あわせて夜の病棟の雰囲気を楽しんだりする。病室の斜め向かいにナースステーションがあり、ナースコールの呼び出し音のベートーベンの「エリーゼのために」の電子音が繰り返し聞こえてくると共に、それに呼応するように看護士の廊下を行き交う足音も聞こえてくる。実はこんな夜の病棟の雰囲気が好きだったりする。
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2日目(2008年1月25日)
2日目の朝から点滴開始。ところどころに5年間の医療の進化が見える。5年前は点滴液を変えるたびに腕に点滴用のはりを刺しなおしていたのだが、今回は最初に1度針を刺して、あとは、点滴液だけ交換する仕様らしく、あの針を入れる瞬間が何度やってもなれることのできない僕にとってはありがたいことであった。
午後1時半ごろに、看護師に呼ばれて車椅子で地下の手術室へ。最初は腰椎麻酔。これが最初の恐怖だったのだが、これは想像通りの痛さ。ものすごい痛いというわけではなく、痛さは採血などと同じ程度なのだろうが、やはり、背中に針を入れるということが恐怖心を増大させるのである。
10分ほどで足が痺れてくる。その間、医師や看護師たちは心電図やらレントゲンやら別の準備をしている。私語が多くなにやらやたらと楽しそう、これは人によっては不快に思うのかもしれないが、僕にとっては、まったく私語を話さず、緊張感がひしひし伝わってくるよりは良かったかもしれない。
2つめの恐怖は手術開始の切開であり、5年前ははっきりとメスが入って皮膚が裂かれる感覚があったのだが、今回は麻酔の効きがすばらしいのか、ただのタイミングなのか、いつ切開していつ縫合したのかが最後までわからず、ときどき上半身に伝わってくる振動や、機器の音、焦げ臭い匂いなどで適当にその過程を想像するしかなかった。
ちなみに自分は利用しなかったのだが、CDを持ってくれば音楽をヘッドフォンで聴きながら手術を受けられるという。この辺も5年の間に変わった患者への配慮である。
手術が終わってストレッチャーで手術室から運び出される前に、執刀医に足の中に入っていたものを欲しいかどうか尋ねられて、もちろん「欲しい」と答えた。看護師から渡されたそれは、思ったより綺麗。前回の手術が2003年1月23日だから、5年と2日人生を共にしたことになる。チェーンでも通してペンダントにでもしようかと考えていて、今回の最大の楽しみである。どうも穴の数とネジの数が合わない気もするが…気にしない(汗)
その後は病室のベッドでひたすら麻酔が切れるのを待つ。20時ごろには、完全に麻酔が切れて足の指を動かせるようになる。それと同時に切開による痛みも徐々に生じてくるが、これはもはやどうしようもない。痛み止めを飲んでひたすら耐えるのみ。
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3日目(2008年1月26日)
例によって朝6時に起こされる。それにしてもこの看護師のHさん…23〜25才ぐらいの女性。昨日起こしてくれたのもこの人だったし、手術のために隣の棟の地下まで車椅子を押してくれたのも、手術後にストレッチャーを一人で病室まで押してくれたのも、夜中、点滴変えてくれたのもこの人だったような…なんという長時間労働、看護師がストレスをためて患者にあたる理由もわかるような気がする。
この手の職に就く人々の仕事上の喜びといえば、やはり元気になった患者の笑顔とお礼の言葉なのだろうか…。そんなことを思いつつもそれを実行できない自分がもどかしい。「患者さんの満足度向上のために」というアンケート用紙をもらっていたので、その最後のページのコメント欄に「○○さん、○○さん、その他、ありがとうございました」と、名前入りでお礼の言葉を書いておくにとどまった。
9時前には包帯の取替えも最後の点滴も終わり退院。2週間後の抜糸まで水にぬらすことを禁止され、それとともに、今までネジが入っていた部分がなくなることで若干骨の強度が弱くなっているということで1ヶ月間の運動を禁じられる。
しばらく運動できないのはもちろん残念ではある。しかし、5年前もそうだったのだが、こういうときに新しい趣味は増えるものなのだ。
仕事で慶良間諸島の座間味島に行ってきた。仕事ということで、なにもかも忘れて羽を伸ばして楽しむ、ってわけにはいかなかったどころか、たった5日間で島のいいところをできる限り写真に収めなければならなかったから、朝は日が昇る前に起きて朝日を撮りに浜辺へ、昼はダイビングしながら水中写真に挑戦し、夜は3時ごろまで三脚持って星座を撮り、と、文字通り寝る間もないしんどい5日間だったのだが、高機能なカメラを借り、5日間で3000枚ほどの写真を撮ったので、その中で個人的に気に入っているものをここに公開。




戸田競艇に行ってきた。競馬すらやったことのない自分が何故いきなり競艇かというと、最近読んだ本、楡周平の「フェイク」の中で競輪を扱っているシーンがあったことと、さらに遡ればお気に入りの作家の一人である真保裕一の「トライアル」で、競輪選手や騎手などギャンブルの対象となるレースの競技者達の生活が描かれていて、昔からその手の文化に多少の興味を抱いていたからである。
灰色のおじさんたちと、タバコの煙にまかれることをある程度覚悟はしていたものの、スタンド席はエアコンも効いているうえに禁煙で予想以上に快適だった。とりあえず、7レースから11レースまでちまちまと賭けてみたが。正直わからないことばかり。競艇はフライングスタート方式という独自のスタート方式を採用しており、スタートから最初のターンまでの争いでほとんどレースが決してしまい、2周目以降でトップの順位が入れ替わるなんて事はほとんどない。という印象を受けた。それが競艇の面白さの一つなのかもしれない。(素人感想)
とりあえず、「抜き」とか「チルト角」とか、観戦中に耳にしながらもわからない単語はこれからおさらいする予定。ちなみに今年中にオートレースや競輪もぜひ体験してみたいものだ。もちろん、競艇についてももう少し勉強して再度挑戦してみたい。
胡坐(あぐら)をかくたびに少しの違和感を覚える。そしてそのたびに毎回思い出す。気が付けばもう3年半も前の話である。
あれは1月の中旬。気温は凍えるほど寒く心は熱かったサッカーの試合中の出来事。相手選手との接触で左足の「ボキッ」という悲鳴とともに地面に倒れこんだ。音ですぐに「折れた」ことは分かったので、片足でグランドの外へ出て自分で救急車を呼んで病院に運ばれ、改めて「骨折」という診断を受けた。程なく実家近くの病院に移り、一週間ほど入院して手術をすることとなった。骨折自体はそれで3回目の経験だったがメスを入れるほどの手術が必要だったのはそのときが初めてだった。
そして手術の日が訪れる。ストレッチャーに乗せられて手術台まで運ばれ、まずは下半身麻酔から始まる。痛くないために麻酔をするのだが、その麻酔自体が結構痛かった。
5分ほどしてようやく下半身の感覚が少し薄れてきたような感じを覚えた。僕より明らかに若い担当医師は僕の足の先を軽くつねって聞いてきた。
「どうです?痛いですか?」
普通につねられている感覚があったので僕は答えた。
「はい、痛いです。」
また5分ほど待って同じように担当医師は僕の足の先をつねって聞いてきた。
「どうです?痛いですか?」
先ほどと変わらずにつねられている感覚があったので僕はまた同様に答えた。
「はい、痛いです。」
しばらく担当医師は沈黙していたが、やがて僕に優しそうな微笑みを向けながら言った。
「それでは今から手術を始めますね」
(つねる意味ねーじゃん!)
心の中ではそう思いながらも、もはや「まな板の鯉」状態。逆らうことも反論することもできない。流れに身を任せるだけである。ふと小学校1年生のときに足を縫ったとき(これもサッカーが原因)のことを思い出す。「そういえばあのときもやたら痛かったっけ・・ひょっとして自分は麻酔の効きにくい体質なのでは・・・」
そして手術が始る。案の定、メスが足に入る感覚、皮膚を切り裂く感覚がリアルに痛みとして伝わってくる。10分ほどして耐え切れなくなって近くに待機していた女性の看護師に訴えた。
「すいません、普通に痛いんですけど・・」
その看護師は聞き返す。
「我慢できない痛さですか?」
(その質問で返すのは反則だろう!)
そう思いながらも男としてそう聞かれたらどうしようもない。
「わかりました。我慢します。」
そんなわけでしばらく痛みと戦い続けていたのだが、手術後半は点滴からの麻酔が効いてきたせいか幸せなことに眠りに落ちることができた。とはいえ手術自体には痛い思い出しかない。
そんな痛い思い出しかなかったせいで、手術時に骨を補強する目的で入れられた金属プレートをはずす手術はいまだに行っていない。今も僕の左足には長さ10センチほどのプレートがおさまっていて、足首を触ればその存在は明らかである。そして、左足の足首を下に向けて座ると丁度その部分が床に当たって少しの違和感を覚えるのである。
そう、僕の左足には思い出が奇妙な形でおさまっているのである。そしてこれからも胡坐(あぐら)をかくたびに思い出すことだろう。
※ちなみに今回のタイトルは昔好きだったブルーハーツの曲「僕の右手」に引っ掛けている。
この日は「空と海の会」での日帰りダイビングツアーである。横浜駅に7時に集合して、西伊豆の大瀬崎を目指す。メンバーは15人程だろうか、良く知った顔ばかりである。
大瀬崎に来るのは昨年の9月のオープンウォーター講習以来2度目、今回はダイブマスターコースということで、オープンウォーター講習のアシスタントとしてサポート役に徹した。この時期は毎回最初は寒そうで本当に潜れるのか・・と思うのだが、入ってみればなんてことはない。ウェットスーツ内の海水が体温によって暖められれば快適である。初めて海に潜ってたくさんの魚達にに一喜一憂している講習生たちを見ると、1年前の自分を思い出す。自分としては大して上達したとは思っていないので、こうしてサポートする側にまわっていることが少し不思議な感じ。とはいえ、自分のことは自分でしっかりやらなければならないし、あたふたしても講習生を不安がらせるだけなので、そのへんはしっかりした行動を心掛ける。1本目は水深3メートルぐらいのところでの講習のサポート。食事をとったあとの2本目は水深10メートルぐらいで講習生たちはコンパスナビゲーションなどを行って、それが終わると少し深いところまで行った。そんな流れだったので、あまり深くまで潜れなかったが、それでもひさしぶりに潜った海はいいものだった。
みかけた魚はたくさんいるのだが、悲しい事に多くの魚はまだ名前を覚えていないし、記憶など曖昧なので帰って来てから調べてもイマイチ自信がない。わかる魚だけ挙げておくと、アオヤガラ、クロダイ、カワハギ、ウツボ、ソラスズメダイといったところかな。あれ、地味な魚の名前しか覚えていない。キレイな魚もたくさんいたのだが・・・というわけで、魚の名前ももっとしっかり覚えなければならないということを実感。また近いウチに潜りに行くと思うので今度はしっかりと覚えてここに書こう。
所属しているサッカーのチームの忘年会は毎年「モーモーパラダイス」ですき焼き食べ放題というのが恒例行事となっている。コースによって制限時間は2時間だったり1時間半だったりすることはあるが、どちらにしても最初から最後まで箸が止まらないのは僕だけである。そんなこともあって、もう結構前の話だが、カレーハウスCoCo壱番屋の1300gカレーに挑戦したことがあった。
時期は6月の終わり、場所はCoCo壱番屋恵比寿店。恵比寿駅から駒沢通りを代官山方面に少し歩くと左手にある店である。この日は仕事帰りに同僚と一緒にやってきた。1300gカレーに挑戦したい旨を店員に伝えてからしばらくすると大きなカレーが運ばれて来た。1300gというのはご飯の量なので、ルーまであわせると2kgを超えるらしい。店員からルールについて説明を受けた後、「用意。はじめ!」という号令とともに始まった。もちろんしっかりストップウォッチも押されている。ルール違反はできない。ちなみに制限時間は20分である。
見た感じは大したことはない、普段家で食べる晩飯(1.5合)を少し多くしたら、たぶんこんなもんだろう。
というわけで食べ始める。
ご飯もルーも思ったより熱い。
息で冷ましながら食べるしかないようだ。
ふぅ〜、ふぅ〜、ふぅ〜、ぱくり、もぐもぐ、ふぅ〜、ふぅ〜、ふぅ〜、ぱくり、もぐもぐ
このペースだとどうやら間に合わない。
しょうがないので水を口に含みながらご飯を冷ます方法に切り替える。
ごくり、ぱくり、もぐもぐ、ごくり、ぱくり、もぐもぐ
どうやらこれなら行けそうだ。
半分の10分が経過した。半分はすでに食べ終わっている。どうやらクリアーできそうだ。
そう思った瞬間、強烈な満腹感が襲って来た。あまりにも突然の変化に驚く。
そう、ルーを冷ますためには仕方ないとはいえ水を飲み過ぎたのである。
「猫舌の俺には無理だ・・」
こうして初めて(?)の敗北を知ったのである。
・・・・・・・・・・・・・
今日は雨が降っていたのであまりめずらしく遠出せずに、駅前の王将で一人で餃子を食べた。土曜日は餃子デーで50円引き。ライスの(中)と餃子4人前。毎度の定番メニューである。食べ終わって時計を見ると19時45分。伝票の時間は26分だから、料理が出てくるまでの時間を考慮して、食べ始めから完食の時間を計算すると、所要時間10分〜15分ってところ。
今度はわんこそばの大食いに挑戦してみようかな。
9月8日から9月12日にかけて、所属しているサークル「空と海の会」恒例のセブ島ツアーに参加してきた。もちろん目的はダイビングである。そのときの出来事や感じたことを書いてみようと思う。
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1日目(2004年9月8日)
12時00分に成田空港に集合。14時00分にセブへ出発。マクタン空港からバスで3時間程。右ハンドル。センターラインはほとんどなく。文化の違いを感じる。日本ほど家の中に娯楽がないのだろう。結局、宿泊場所のカワヤンマリンについたのは日付けが変わった深夜1時頃。1日移動で終わってしまった。
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2日目(2004年9月9日)
ダイビング日和である。メンバーは2つのグループに別れる。アドバンス(AOW)講習組とオープンウォーター(OW)講習組である。僕はアドバンス組なので船、クールバナナ号でモアルボアルを目指す。乗り物酔いの激しい僕は船での移動は非常に不安だったが、波もほとんどなく非常に快適で船で2時間程で無事に目的地に到着。午前中の1本目は初めてのボートダイブ。初めて野ジャイアントスライドエントリー。ボートから歩くようにして大きく一歩、海に踏み出すのである。半年降りのダイビングだったので潜降に手間取ったし、ウェイトの調整が甘かったためか途中なんども浮きそうになった。サンゴを傷つけずに潜れただろうか・・。午後は船で5分程離れた距離にあるペスカドール島でのナチュラリストを兼ねたダイビングだった。2本目にウェイトを4kgに増やしてからは安定して水中の生物を楽しむ余裕ができた。まだまだダイビング経験が浅く、水中で見たものの名前がわからない。ここに記述できないのが悲しいところだ。
2本のダイビングが終わってからは、スタッフが打ち合わせしている間、船の回りでシュノーケリングして遊んだ。カワヤンマリンに戻って来て、1時間程の休憩を経て、今度はレスキューの講習、溺れている人を救出するときの運び方など、みんなで競争したりして非常に疲れた。
さて、レスキュー講習が終わってひと休み。今度はAOW講習のナイトダイビングである。18時頃に潜ってしばらくするともう海の中は真っ暗。ライトを手に持っているからとは言えさすがにこれははぐれるのが怖い。唯一の救いは潜っているのが僕らだけということだろうか。見える光はみんな仲間の光なのである。日本のダイビングの盛んな場所で潜ったらこうも行かないだろう。
御飯を食べてから、今度は近くで開かれているお祭りに行く事に。いってみると小さなギャンブルがたくさん並んでいる。ルーレットや輪投げやなどの素朴なゲームである。僕も何度か挑戦。ルールが良くわからなかったが地元の空気に少しだけ馴染めて楽しかった。やはり日本人は珍しいらしく、四方八方から視線を感じる。
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3日目(2004年9月10日)
前日12時頃寝たため、長い事寝てられない。6時には目が覚める。起床時間は8時、食卓に行くと、すでに2,3人が先に起きてのんびりしている。しばらくすると他にも何人か早起きして来たメンバーが。誰が言い出したのかなぜか麻雀が始まることになる。青い海、青い空、白い砂浜、そして麻雀牌をかき混ぜる音・・なんともミスマッチである。
今日はネグロス島でドリフトダイビング。OW組もAOW組も一緒にクールバナナ号でネグロス島へ。1時間程船に揺られている途中。左右からトビウオが飛ぶ。その距離3,40メートルぐらい。
OW組をホワイトサンドに残してAOW組はディープダイビング。水深23mで簡単な数式を解く。15×3・・・・45。なんてことはない問題だが普段あまり数字を見ないので少し考えてしまった。結局最大水深は23.6m。水深5mで10分間の安全停止を終えて浮上。この日は酔い止めの薬切れ。少し波に酔った。船で砂浜に戻ると、今度はOW組の講習。その間、船の上で昼寝をすることにした。午後はドリフトダイビング。ジャイアントスライドエントリーも少し慣れて来た。傾斜に沿って移動して浮上後、船に拾ってもらう。
帰る途中。ついに遭遇。イルカの群れである。クールバナナ号の舳先に移動した僕の2,3メートル先を何度もイルカは飛び跳ねてくれた。その瞬間をみんなが一生懸命カメラにおさめようとするがタイミングがなかなか合わずにいい写真が撮れなかったらしいが、僕の目にはしっかり焼き付いているのである。
カワヤンマリンに戻ってくると現地の人がデジカメを持って寄って来た。なんと僕らがダイビングをしている間に、カワヤンマリンのすぐ前をジンベイザメが泳いでいたと。デジカメには大きなジンベイザメが写っていたのである。大きさは8メートルだとか・・・信じられない。明日はファンダイビング。ジンベイザメが通るころ海の中で待機しよう。ということになった。
夕食は車でモアルボアルへ向かう。トラックとバスの中間のような車。当然のように屋根の上にも人が乗っている。もちろん窓から顔を出しても怒られることはない。モアルボアルで夕食を食べていると、地元の女の子達がTシャツを売りに来た。日本人は美味しいカモなのかもしれない。そんなカモになってしまった。150ペソで買ったTシャツは残念ながら小さすぎて着れなかった。別にそのTシャツが欲しくて買ったわけではない。
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4日目(2004年9月11日)
この日も早起き。すでに麻雀の音が・・。このままこの場所の朝の恒例になってしまうのだろうか。この日はファンダイビング。酔い止めのない僕は波に酔うのがもはや当然のような流れ。どうやら僕は酔い止めなしで海に潜ってはいけない人間らしい。この日は1本だけで残りはの時間はのんびり昼寝をして過ごした。結局残念ながらジンベイザメに会えずにすべてのダイビングを終えたわけでが、まぁいつだってやり残しは大切。それによって次に繋がるからだ。
その後はサイマンフォールという地元の観光地である滝に遊びに行った。「神の天国」というコピーの滝は僕にとってはジャングルの奥地のような感じ。帰って来た後のカワヤンマリンからみえる夕日もまた奇麗なこと。夕食後には豚の丸焼きを食べた。昼間、豚の悲しそうな悲鳴を聞いているだけに、複雑な思いもある。食事の後は最後の夜を満喫。アドバンスなどの申請書を書いて、ログ付けを終えたあとは、最後の夜を満喫。現地の人たちもカラオケパーティ。現地の人が歌う英語の曲は新鮮で、歌の上手さが印象的。セリーヌディオンの曲などは涙を誘ってくれた。生活の違いからだろうか、10才くらいの女の子がものすごい歌唱力だっりするのである。
24時頃まで地元の10才ぐらいの女の子3人組と話していた。といっても会話が成立していたかどうかは自信がない。いつまで起きているのだろうと思って、英語で聞いてみた。「What't time will you go to bed?」「Ten o'clock.」。そのときはもう12時をまわっていた。会話は成立していなかったらしい。
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5日目(2004年9月12日)
最後の日、5時起床で、6時に出発現地の人たちと別れを惜しんで出発。結局成田に着いたのは20時頃。密度の濃い5日間だった。
昨年に引き続き、今年も青春18きっぷで一人旅に出かけた。今回は西に向かうことにした
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1日目(2004年8月6日)
6日の夜23時頃に家を出て、日付けが変わった0時ジャストに横浜駅の改札をくぐった。0時14分横浜発のムーンライトながら91号に乗車。ワクワクしてくる。5時間程前まで仕事をしていたのが嘘のようだ。去年乗った、新潟方面のムーンライトえちごとちがって、こちらは満席。なかなか眠れない。まあいいさ。眠たくなったらいつでも眠れる。鈍行旅行の魅力の1つである。もちろん座れればの話だが。
翌朝5時55分、ムーンライトながら91号の終点、大垣駅に到着。ここからは東海道本線に乗り換えて、米原(まいばら)まで向かう。運良く座ることができた。6時35分、米原に到着。ここまで座って来たために次の乗り換えに出遅れる。そのため米原〜姫路間の約2時間半を車内で立って過ごすことになる。途中、京都、新大阪、大阪と良く聞く名前の駅を通り、途中はかなり混んで来た。「あつは夏いなぁ〜」。ここでそう呟いたらみんな突っ込んでくれるのだろうか・・などと考えたりした。
8時58分、姫路に到着。次の乗り換えまでは40分程で、残念ながら姫路城まで行く余裕がない。それでも駅前に出たら姫路城の右側がちらっと見えた。またいつか来よう。駅前のフードコーナーでお好み焼きとアイスコーヒーで昼食を済ませた。のんびり昼食を取っていたためか、次の電車に乗車したらすでに席は埋まっていた。この後の山陽本線の姫路〜岡山間の約1時間半も立って過ごすことになる。
11時29分、岡山に到着。ダッシュで瀬戸大橋線のマリンライナー27号に乗り換える。ついに瀬戸大橋を渡るのだ。
初の四国、もちろん初の瀬戸大橋である。3つほど途中駅に停車した後、ついに瀬戸大橋にさしかかる。感動。人目をはばかることなく車窓からデジカメで写真を取る。しかし、橋桁が邪魔でなかなかキレイな写真が撮れない。デジカメの液晶画面で見る写真と自分の目に映る風景のギャップに悲しくなる。坂出の駅で降りて駅前を少しぶらぶら。なんにもない。駅前にはSATYがあって中にはゲーセンあり、スポーツクラブあり、SATYのほかに娯楽施設らしきものはないところを見ると、この周辺住民の集いの場なのだろう。瀬戸大橋記念公園にも行きたかったが時間がない。ここもまたいつか来よう。さぬきうどんの店が駅前にあったが順番待ちが長いので、ファーストフードで昼食を済ます。13時07分発のマリンライナー29号で岡山へ戻る。1時間程の四国滞在でした。四国一周の旅はまた次回以降。
岡山に再び到着、次の乗り換えまでは40分程、少し駅前を歩いてみる。残念ながら良くある乗換駅と言った感じ。岡山を感じさせるのは駅前のポストの上に乗っている桃太郎ぐらいだろうか。さて、ここからは鳥取を目指す。まずは津山線で津山まで行くことにする。
ホームに入って来た電車は2両。ようやく本格的に旅が始まったという感じ。しばらくうとうとして目覚めると、車窓に広がるのは山奥の町並み。それでも津山線の終点の津山はしっかりと栄えた町でびっくり。正直、岡山から鳥取の間は過疎地だと思っていた。この辺の住民の方、ごめんなさい。
津山でしばらくぼーっとして、因美線で智頭(ちず)を目指す。この路線の周囲の風景は今回の旅でもっとも魅力的な風景、茶色い屋根と山の緑と茶色い畑は、何年も前にタイムスリップさせられたかと思う程である。次の電車までの間隔が短ければ、降りてぶらっと探索したいところだが、それができないのが悲しいところ。17時48分、終点の智頭に到着、ここで乗り換えて鳥取を目指すが、ATMでお金をおろすために智頭の駅前に出てみる、こちらもまたキレイで町。駅舎の形も個人的に好きである。
まばらだった家も次第に密度が濃くなってきて、都会っぽくなってくると感じ始めた18時44分、今日の最終目的地の鳥取にようやく到着である。まだ日は落ちていなかったので、鳥取砂丘に行こうとするが残念ながら鳥取砂丘行きのバスは19時20分までない。さすがに日の落ちてからの鳥取砂丘に行く元気がない。残念。鳥取に来て鳥取砂丘に行かないなんて。結局、駅前で夕食を食べて、ホテルに泊まることになった。
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2日目(2004年8月7日)
5時20分起床。鳥取駅前のローソンで朝飯を買って、6時1分の山陰本線で東へ向かう。浜坂の駅で乗り換えの際、ホームの端の方に行ってみる。こんな草を刈ってないホームというのがまた好きなのである。浜坂の駅を出てしばらくすると、今回の旅の山場の余部(あまるべ)〜鎧間の余部鉄橋である。ところが残念ながら、電車に乗っているとすごさがイマイチわからない、もちろんかなり高い場所を通っているのは感じるが、この鉄橋の凄さを実感するためには、余部の駅で降りてみるのがいいだろう。余部の駅には撮影用の場所が用意されているらしく、実際ホームにも「撮影ポイントへ」という看板と山の上に続く階段があった。次回ここを通る時は一度降りてみることにしよう。1時間に1本しか列車がないとしても、きっとその価値はあることだろう。
続いての駅の鎧駅も「青春18きっぷ2001冬」のポスターの舞台となった駅。当初、この駅で一度降りることを予定していたのだが、イメージと違う駅だったため、迷っているうちに列車は発車。後で少し後悔。列車の本数が少ないので、引き返すという行動はできるはずもない。そのせいで豊岡には予定より1時間程早く着いたが、次の北近畿タンゴ鉄道は本数が少なく、発車の時間が来るまで豊岡の駅でぼ〜っと時間を潰すことになる。
10時56分、北近畿タンゴ鉄道で日本三景の一つだる、天橋立に到着。今回の旅で唯一、観光地らしい場所である。しばらくぶらっとしてみる。観光地ということで人が多い。特に年輩の女性が多い。リフトに乗って「天橋立ビューランド」へ。ポスターで見なれた風景が見える。あまり感動がない。僕は旅に一体何を求めているのだろう・・とりあえず「観光地」というものにその答えがないことはなんとなく理解できた。
天橋立を後にして、再び北近畿タンゴ鉄道で西舞鶴へ、続いて舞鶴線で東舞鶴。その後、小浜線で敦賀を目指す。小浜線はたった1両。そのわりに乗客は多く、約2時間立ちっぱなしである。左手に海を見ながら進む。途中、美浜という駅を通った。この2日後。美浜原発で蒸気漏れが起こり、4人の死者を出すことになるが、このときは原発があることすら知らなかったのである。
16時34分、敦賀に到着。高校野球で聞いたことのある町だが、感想はというと、大きくも小さくもない町といった感じ。16時57分発の北陸本線で米原へ向かう、ついに旅も終わりが近付いて来た。予定より少し早いので長浜でおりることにした。琵琶湖を見に行くのである。長浜の駅から10分程歩くと、ついに琵琶湖。初の琵琶湖である。日が暮れ始めの時間なので、キレイな写真が撮れた。空の広い琵琶湖の湖畔では、琵琶湖よりも大きな雲に驚いた。
18時28分、再び米原を目指す。米原に到着すると、東海道本線に乗り換えて、19時39分には大垣に到着。あとは23時00分のムーンライトながら92号の出発を待つだけである。3時間も余裕を持って大垣に到着したのには理由があって、この日は、アジアカップの決勝、日本対中国である。駅前を探索しながらテレビのある店を探す。しかし、そんな店はない。というより、ほとんどの店が22時には閉まってしまう。このあたりが東京とは、生活の基準がちがうのだ。ホテルのロビーやパチンコ屋など、いろいろ探したが結局諦めて、カツ丼を食べて駅に戻る。
これでもう旅も終わり。後は帰るだけ。そう思っていたらなんと、豪雨で名古屋〜共和間で運転見合わせ。最終的に3時間半ほど電車が動かない状態が続いた。その際、ホームや階段には列車の運転再開待ちの人でいっぱい。駅員に八つ当たりをする人、汚いホームの上で横になって眠る人、何時間でも座らずに立って待っている人。こうなってくると人間観察がおもしろい。途中、僕の隣で運転再開を待っていた女性が話し掛けてくれた「(ムーンライト)ながらで帰るんですか?」って。しばらく他愛ない話をした。なるほど、旅にはこんな楽しみ方もあるのか。残念ながらその女性の電話番号はもちろん、名前も聞いていない。この旅最大の後悔。素敵な女性だった。
結局、ムーンライトながら92号は1時間50分遅れの24時50分頃に大垣駅を出発。それでも横浜に着いたのは予定より50分遅れの翌朝5時30分頃だった。
今回、僕が得たモノってなんだろう。とりあえず、人がたくさん入る場所に行きたいわけじゃない。僕の知らなかった場所でで生活している人のその空気に触れたいのだ。そのことは再認識できた。
あ〜〜。また旅に出たい。今すぐにでも。
3月21日、サッカーのチームメイト4人で荒川市民マラソンに挑戦して来た。コースは戸田橋をスタートして江戸川区の荒川大橋を折り返して戻ってくる42.195km。毎週のようにサッカーやフットサルをやって一般の人と比較したらはるかにスポーツ漬けの生活を送っているのだが、フルマラソンとなるともちろん4人とも初めて。自分が今までもっとも長い距離を走ったのは高校のときのマラソン大会で10Km。約10年前の話である。まず新宿で埼京線にのった時に驚いた。明らかに「これからマラソンします」って人でごったがえしている。そんな状態だから浮間船渡の駅に着いてから改札を出るまでに15分ぐらいかかってしまった。自分は普段着で現地に着いてから着替えようと思っていたので、ある意味浮いていたかも。
現地に着いて諸々の手続きを済ませるとスタート時間が近付いてきた。指定のスタートラインに向かうことにする。ゼッケンナンバーでスタート位置がある程度決まっている。自分のナンバーは「12628」。500メートル程向こうに「12000〜13000」のプラカードが見える。スタート時間まで後5分程。まずここでダッシュして余計な体力を消耗することになる。スタート位置に着いてしばらくすると9:00になった。なにも聞こえない、まったく動かない。たまにぞろぞろ前に歩き始めてはまた止まるを繰り返す。近くにいた係員に聞いてみた。「これってもう始まってるんですか?」「始まってますよ。この位置だと動き出すまでに15分ぐらいかかります。」が〜ん。スタートの緊張感もなにもあったものではない。結局スタートラインを超えたときには時計は15分を回っていた。
ようやく「走ってる」という感覚になったのは2kmぐらいを過ぎた頃だろうか。周囲を気にしてみるといろんな人がいるものだ。音楽を聞きながら走っている人、携帯でメール打ちながら走っている人など全然普通。ドラえもんの着ぐるみを着たまま走っている人やウェディングドレスを着て走っている女の人までいる。いったいこのうちのどこまでが7時間以内に完走するつもりでいるのだろうか(制限時間は7時間)。自分の目標はとりあえず4時間代で完走すること。あまりダラダラ走ってもしょうがないので時計を見ながら1km6分で走ることを考える。
4.1km地点から約2km間隔で給水所が設置してある。1回置きに水分補給をする。気温が上がってきたので体や顔を濡らすとずいぶん楽になる。給水所には水やスポーツドリンク、濡らしたスポンジの他に、バナナやビスコまで置いてある・・「走っている最中に誰がそんなもの食べるんだ」という疑問が生まれる。10km通過時点でタイムは1時間6分。スタートの15分程のロスを考えると、1km5分強のペース、予定より速めだけと全然このまま行けそうなので現状維持。これなら3時間代で完走することも可能かも・・とよくばりな思いが頭をかすめる。14km地点で片側に寄せられたと思ったら15km地点では折り返して来たトップがやって来た。恐ろしいスピードである。思わず声援を送りたくなる。だんだん沿道で足を伸ばす人が目立ちはじめる。
21.105km地点。折り返しである。タイムは2時間1分。息も上がっていないし、足も普通に動くし、特に問題ない。折り返しすと向い風で急に走りにくくなる。23km、第8給水所。このあたりにくると水分補給の重要性を体が感じはじめる。スポーツドリンクを飲んで、水で顔を洗って、スポンジで体を濡らす。最初はバカにしていたバナナさえもしっかり口に含む。
25.4km、第9給水所すぎ・・・突然足ががくんとなったと思ったら、急に動かなくなる。一度歩いたらもう走れなくなりそうで、そう思いながらも足が上がらなくなる。ここからは歩くのと走るのを繰り返すことになる。走るといってももはや普通に歩いているのとほとんど変わらないスピードである。30km過ぎ。もはや歩くので精一杯。タイムなんてどうでもいい。残り10kmを時速6kmで歩いたとしても制限時間以内に完走できることを頭の中で計算してたりする。この辺りでウェディングドレスの姉さんに華麗に抜かれるがどうしようもない。給水所がなんと待ち遠しいことか。給水所ではバナナはもちろんブドウ糖、飴、タブレットなど食べられるモノはなんでも口に入れる。
35km過ぎ。もう歩いている人もかなり目立つ。ガードレールを利用してストレッチする人。歩いた方が早いような走り方しか出来てない人。そんな人ばっかりである。道ばたには毛布にくるまれて倒れている人がいる。前から救急車がやってくる。人の事なんかどうでもいい。この辺りでドラえもんに抜かれる。「ドラえもんの中身はものすごいアスリートなんだ」とようやく気付く。沿道の人たちの「頑張って〜」の声が恨めしい。「お前が走ってみろ・・」。第13給水所でのシャーベットがなんとおいしいことか。
京浜東北線の高架下を超えて40km過ぎ。1kmが長いスタート時は10kmさえも短く感じたのに・・ゴールが近いという感じがまったくしない。見なれた景色であることは確かである。遠くの方に埼京線が走っているのが見える。41km、ようやく声援らしきものが聞こえる。ひとだかりが見える。沿道からの声援が「がんばれあと1km!」、残り500mを切ると、ようやく「最後ぐらいは・・・」と思って走り出す・・なんとか動くものだ。最後は一応走ってゴール。
正確なタイムは結果が郵送されてくるまで分からないが5時間15分ぐらいだろうか・・マラソンをナメていたことを実感。ちなみに残りのチームメイト3人はそれぞれ4時間30分、5時間30分、6時間40分だった。とりあえずサッカーとは使う筋肉が違うことを実感。また来年挑戦しよう・・今度はペース配分をもっと考えて。(本当か?)
あまり旅行というものをしたことがないのだが、都心でずっと生活しているとストレスが溜まるのか、なんとなく海沿いを走っている列車に乗りたくなった。
そんな妙な理由から夏休みを利用して青春18切符を使った貧乏旅行にでかけることにした。
そのときのことを忘れないうちに書いておきたい。
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1日目(2003年8月27日)
仕事が終わった後の午後10時過ぎ、新宿のホームで列車を待つ。旅のスタートを飾る23時09分新宿発「ムーンライトえちご」に乗車するためである。ちなみにこの列車は「特急」ではない。「特急」であれば青春18切符では乗車できないからだ、青春18切符で乗車が可能なのはあくまでも「普通列車」。この列車は全席指定のため指定席件(500円)が別に必要なのだが一応「普通列車」なのだ。
22時50分ホームに列車が到着。お世辞にもキレイとは言えない国鉄時代の列車である。席に座って辺りをみると、夏休みのせいかカップルで旅行に行く人が多いようだ。1人旅はこういうときちょっと寂しい。仕方ないので友人の何名かにこれから旅に出ることをメールする。早いレスに気を良くしてなんかノって来た。
とりあえずこれで明日の朝には新潟に到着しているハズだ。なんかワクワクしてきた!
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2日目(2003年8月29日)
翌朝午前4時55分。定刻より3分ほど遅れて新潟に到着!なんてったって夏なのに寒い。上着を持って来て本当に良かった。新潟に到着した感慨にふける間もなく向かいのホームに停車している4時58分発羽越本線村上行きに乗り込む。ここから先は列車のドアはすべて手動。ボタンを押して開けなければならない。慣れない操作なので最初は少し戸惑う。
村上の駅が近くなってくると、他の客たちが立ち上がって前の方へ歩き始める。実は村上の駅での乗り換えは同じホームで同じ線路。つまり前の方へ行った方が次の列車の席を確保するための好スタートが切れるというわけ。事前に下調べをしておいたので自分も前の方へ。村上駅へ着くとすぐにダッシュして無事に次の6時03分発羽越本線酒田行きのボックスシートを確保。このあたりにくると1人でボックスシート4人席が当たり前らしい。
村上を出発して10分もするとついに視界に広がる日本海。空が曇っていたのは少し残念だったけど、それでも日本海を見るのは何年ぶりかな。う〜んうれしい!これぞ旅!
このあたりはちょうど学生達の朝の時間と重なっているようで、大量の高校生が乗って来た。東京で見る高校生と大して変わらず、どこでも女は朝から元気なのだ。
酒田に到着すると次の列車まで1時間程の間に駅前のコンビニで朝ごはん。海まで行きたいと思ったが少し遠いようだ。ここから秋田までの間は、昨日の夜ほとんど寝ていなかったこともありウトウト・・・この頃には尻が痛くて、その痛みと戦いながら半分眠ったまま秋田に到着。
秋田から先は進路を東に変え、盛岡を目指す。まずは奥羽本線で大曲へ。大曲から盛岡までの田沢湖線はなんと1 日に2,3本しかない。列車が来るまでの間、駅前で昼ごはんを食べたり、列車の写真を撮って時間を潰す。
田沢湖線に乗ってしばらく走ると。ついに雨が本格的になって来ました。それでもこの田沢湖線の景色は絶景。特に田沢湖〜赤淵間。民家がほとんど見えない上に長い。なんと駅間は18kmだそうです。
16時46分。ようやく本日の目的地盛岡に到着。駅前のビジネスホテルでようやく横になる。
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3日目(2003年8月28日)
午前5時起床。東京ほど電車の本数が多くないので早起きしないと1日にすすめる距離が限られてしまう。駅前のコンビニで買った朝食を食べながら列車が来るのを待つ。盛岡から好摩まではJRではなく「IGRいわて銀河鉄道」を利用する。したがってこの区間は青春18切符では乗れないので普通に切符を購入。つまりワープと呼ばれる青春18切符ユーザお馴染みのワザである。
ここから乗るいわて銀河鉄道は花輪線直通であって、その花輪線は今回の旅で田沢湖線に続いて乗ってみたかった路線である。もちろんボックスシートで絶景である。午前6時59分に出発して1時間程して安比高原のあたりに来ると霧がかかってきてなんとなく空が近くなってきた。つい降りて走り出したくなる。しかしそれができないのが時刻表と戦う今回の旅。それでもまさに高原の中を走っているといった景色に感動。
10時。大館に到着。すぐに奥羽本線に乗り換えて弘前を目指します。10時51分に弘前に到着すると駅前のミスドでドーナツを買って11時17分五能線直通奥羽本線鯵ヶ沢行きへ乗車。五能線は今回の旅の最大の楽しみである。これに乗るためにすべての予定が組まれたといっても過言ではない。
鯵ヶ沢の駅が近付くと。おお!久しぶりに見えました日本海。しかも今日は天気もいい。乗っていた列車は鯵ヶ沢止まり。次の列車までの1時間強の間海まで散歩をすることにした。
駅から10分ほどで浜へ到着。おおおぉ。やっぱり電車からガラス越しに見るのとは違う。北に向いているので右には津軽半島がうっすらと見える。空も青く、しばし大海原を堪能。
鯵ヶ沢の駅に戻って30分ほどすると次の列車がようやくやってきた。この列車で今度は深浦止まり。五能線だけで3本の列車を乗り継づわけだ。列車が走りはじめるともう海が近い。一番近い場所では線路から5メートルもないだろうか・・・。ほとんど浜辺を走っているような感じである。深浦の駅で15分ほど待って次の東能代行きに乗り換えた頃には日が傾いて来て、おそらくこの場所にあと2時間も留まったなら最高のシーンがカメラにおさめられるな〜と思いながらも、そんなことをしたら今日中に目的地の秋田に着くことができないので断念。
それでも傾きかけた太陽の光が波に反射する光景に感動。何度も列車の窓からカメラを構える。いい写真をなんとか撮ろうと夢中になっているうちにだんだん海から離れて行ってしまった。五能線の終わりが近付いて来たのである。いつかまたこの列車に乗ろう!・・と心に誓う。
17時25分、五能線の終点であり、バスケの街でもある東能代に到着。なんと駅構内にも「バスケの街」とでかでかと書いてある。ここから秋田までは奥羽本線で下るのみ。この時間になると外の景色を楽しむ程の明るさもなく、のんびり人間観察。東京の人と大して変わりはない。秋田美人らしき人もいない・・・
18時53分、ようやく本日の目的地の秋田に到着。実は前日にも通っているのだが乗り換えで通っただけ。でも今度もあまり駅前を楽しまずにでラーメンを食べてからホテルにチェックインして明日に備えて爆睡!
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4日目(2003年8月30日)
例によって起きたのは6時頃。予定通りに行けば今夜には川崎の自宅に着いているハズ。なんか信じられない。7時05分、秋田を出発。一昨日はほとんど眠っていたこの列車、この日は右側にずっと海が見える。天気も良くて空もキレイ!最初の予定では酒田で村上行きのの列車に乗る予定だったが酒田は一昨日も駅前をぶらぶらしたので、先に鼠ヶ関行きに乗って、鼠ヶ関という降りたこと無い街で次の列車を待つことにした。
鼠ヶ関に到着。終点なのに降りたのは自分を含めて4人。一人は地元の人らしい。あとの2人は友達同士で旅行に来てるようで、改札を出るとすぐにベンチに横になって眠り始めた。彼等も次の村上行きをここで待つつもりらしい。次の列車まで約1時間半、どうやら近くに灯台があるということなのでそこまで歩くことにした。駅員にもらった案内図を参考に散歩コースを行く。10分ほど歩くと海が見えて右手に灯台が。波の打ち寄せるコースを歩いて灯台にたどりつく。沖には粟島がうっすらと見える。しばらく波の音と塩の匂いに囲まれてたそがれてからゆっくり駅まで戻る。駅の近くに駄菓子屋を発見。この時間で開いているのが少々不思議だったが、やはり都心と違って朝が早いということか・・・
10時30分、再び羽越本線で村上を目指す。11時27分に村上に到着。実はこの村上の駅は直流区間と交流区間の切り替え駅だそうです。これを知っていると電車の旅がまた楽しくなる。次の列車まで40分ほど。駅前のJASCOで弁当を買ってきて駅前に座ってのんびり食べる。
12時19分、村上の駅を出発して坂町で途中下車。ここから米坂線で米沢を目指す。本州を西から東に横断するのだ。列車が発車する時間までしばらく坂町の駅前で時間をつぶす。駅前はコンビニぐらいしかない・・・。
坂町の駅を米坂線で出発。大きな川に沿って走る景色はカンドーもの。少しずつ川の幅が狭くなっていく様子まで見れる。何度か窓からシャッターを切るがなかなかいい写真が取れない。もっと技術を磨かねば。
米沢の駅に到着。さて次の列車までは1時間40分程・・・・近くに海もない、時間がもったいない。しかたがないので福島まで新幹線でワープすることにした。この旅2回目のワープである。ちなみに「特急券」と「青春18切符」との併用はできない。しょうがないので「乗車券」もあわせて買う。このワープのために1400円のロス。1時間半を1400円で買うのは安いのか高いのか。
30分程で福島に到着。ここからは地道に帰ることになる。東北線→宇都宮線→埼京線→田園都市線と乗り継いで10時半頃に川崎の自宅に到着。いや〜いったい何時間列車に揺られていたことか。
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さて、今回の旅は良かった。ちょっと時間に押されすぎるところはあったけど、その代わりたくさんの路線に乗ることができた。次回は北海道に言ってみたいものだ。もちろん海外にも行きたいけど(笑)



