もっと空いている時期を見計らって行くつもりだったのだが、前日に友人とミレイの話で盛り上がったため本日朝1で行ってきた。開館と同時に、入り口付近に群がる観覧者達を尻目にとりあえずオフィーリア、そして個人的に好きな作品の「あひるの子」の展示してあるまだほとんど観覧者のいない奥のスペースに直行。
じっとこちらを見つめる強いまなざし。…いやいや、こういうのはやはり言葉で説明するより観るのが一番、自分の中に沸き起こった感情をなんとか言葉で説明しようとしてしまうのが悪い癖だ…とはいえ、それをやらなければこのブログを書く意味もない…。うーん。
2分ほどその絵の前でその感動を満喫してから、まだ観覧者の少ないミレイの晩年の作品から、時代を遡るようにして観覧。再びオフィーリアの前に来るころには…開館直後よりさらに人が増えてもはや絵の前に立つこともかなりの困難を極める状況。しかし、「オフィーリア」はなんというか、期待したほどの感動もなく、期待値が高すぎたのかその周囲を囲んだ人の多さに興ざめしたのか、今思うと、絵の前にガラスが1枚入っていたのが原因のような気がする。これって画家と同じ位置に自分がいるという感動をなんか薄れさせて、観覧者に失礼な気がするのだが…そういう意見はないのだろうか。やはり絵の具の凹凸が光に反射して、その絵の前で筆を握っている画家を感じさせてくれるのが生で観る一つの楽しみだと思うのだ。
さて、一通り観覧したあと、もう一度「あひるの子」の前へ。都合のいいことに丁度その絵の前にベンチがあったのでそこにすわって10分ほどぼーっとその絵を見つめる。ほかの観覧者は意外とこの絵を気にも留めないのが、自分だけのヒロインを見つけたようでなんかうれしく、ちょっとさびしい。
ちなみに「あひるの子」って日本の美術館所有だからチェックしてれば割と頻繁に見れるらしい。えええ、なんか感動が薄れた気が、そういえば最初にこの絵を知ったのはどこかの日本の美術館のサイトだったような。と、調べてみると、国立西洋美術館(先々週行ったし…)のサイトの所蔵品検索でいつでも見れることに気づいた。
投稿者 masato : 2008年09月15日 22:57


