好きな画家の一人であるシュールレアリスムの巨匠サルバドール・ダリに強く影響を与えた画家として、フェルメールにはそれなりに興味は持っていた。加えて、フェルメールの作品がこれだけ一斉に日本に集まることなど、自分の生きている間におそらくもうないであろうという思いから、本日混雑を覚悟でフェルメール展へ行ってきた。
フェルメール展とはいえ、フェルメールの現存する作品は世界でもわずか33点、そしてそのうち来日している作品数は、史上最大とはいえわずか7点。とてもそれだけで一つの展覧会を支えられるはずもなく、デルフト派と呼ばれるフェルメールと同時期にオランダに生きた画家達の作品もあわせて展示されていた。
さて、こうして展示されている絵画を観てみると、やはりデルフト派の画家達の作品は非常に似ている。同じ時期に同じ場所で生きて同じ○○派という呼ばれ方をしているのだから似ているのは当たり前と思うかもしれないが、たとえば後にラファエロ前派とか、印象派とか、バルビソン派とか同様に一つにくくられる画家たちが多く出てくるが、そんな○○派の画家達は確かに似ているがゆえにそうよばれながらも、それぞれに比較的個性があるように思うのだ。例えば、ドガ、ゴーガン、ルノワール、モネ、マネ、などはいずれも印象派に属していてはいるが、いずれも作品を見ただけでその画家が推測できるほどタッチに個性を感じるという意味だ。
それに対して、デルフト派に関しては比較的にみんな似ているように思った。とはいえ時代を遡れば遡るほど、宗教やしきたりゆえに個性を主張できない環境だったのも不思議ではない。写真という文化が広まり始めて、写実主義の存在意義が薄れたのちの画家達の個性の豊かさと比較すると、似たような雰囲気に感じられるのは仕方がないことなのだろう。
ちなみに、そんなデルフト派の作品のなかで収穫といえるのが、ピーテル・デ・ホーホという画家。正直言って聞いたこともなかったのだが、光を綺麗に描写したその作品は僕の好みでもある。
さて、フェルメールの作品についてなのだが、わずか7作品のうち、最初に描かれたとされる「マルタとマリアの家のキリスト」は色使いもタッチも、ルーベンスの作品と似ているように感じたが、次第に輪郭を明確にして光のコントラストを強調した僕の中のフェルメール的なタッチに変わってきたように感じる。解説の中にはレンブラントに影響を受けたような記述があるものもあったが、個人的にはあまりそのような共通点は感じなかった。
とはいえ窓から光が差し込む(僕の中での)フェルメールの個性ともいえる作品は「手紙を書く婦人と召使い」の1点だけで、どうも不完全燃焼。やはり、昨年来日した「ミルクを注ぐ女」を見るべきだったか…。期待値が高かっただけに…。いやいやみんな騒ぎすぎなんだって…汗
さて、切り替えて次は近いうちにミレイ展。実はこのブログの上部の右側後方で流れている額縁の作品「オフィーリア」。この作品が今、日本に来ているのだ。



