北京オリンピックがいよいよ来週に迫ってきた。チベット問題、SPEEDO社の水着、そして環境問題など今回のオリンピックはいつも以上に話題に事欠かない気がするのだが、個人的に印象深いのは砲丸の球の話。
砲丸投げで、多くのメダリスト達に支持される砲丸は、実は埼玉県富士見市の町工場で作られていて、その砲丸を使うか否かによって記録が1メートルも変わるという。なぜかというと、その砲丸は重心が中心に限りなく近く、そして形が限りなく球に近い、まさに日本の職人の技術あってこそできるものだからなのだそうだ。
しかし、今回その町工場は、北京オリンピックへの砲丸の提供を拒否している。さまざまな日中問題(2004年アジアカップの日本大使館投石運動など)に対す中国政府の対応への抗議がその理由だそうだ。だから今回、砲丸投げでは世界新記録が出ないと言われている。
「スポーツと政治を混同するな」という意見も出るのだろうが、僕はこの町工場の決断を支持したい。特定の個人を攻撃したり、スポーツの公平性を損なわせるものならばもちろん受け入れられないが、今回のように、平和に向けたものならあってもいいと思うのだ。(「平和へ向かう方向」が視点の位置によって異なって見えるであろうことももちろん理解している)。
とりあえず僕が今回書きたかったのはこんなこと。
「力」…ここで言う「力」は「腕力」や「権力」ではなく、「技術」や「知識」を指すのだが、「力」は、研ぎ澄ませば、やがて大きな発言力となって世界を変えられるのかもしれない。たとえそれが小さな町工場だとしても。そしてきっと、名も知れない1個人だとしても、である。
世の中をいい方向に変えられるような「力」を、自分の中に蓄え、日々、研ぎ澄ましていきたいものだ。
投稿者 masato : 2008年08月02日 20:56


