「言語が文化を作る」。これはよく語られる話。わかりやすく言い換えるなら、もし日本語が英語だったら日本人はもっと自己主張が激しく、どんな人にも笑顔を振りまくような国民に育っていたのではないか、ということである。
以前インターネットで出会ったアメリカ人。彼に英語を勉強していることをいうと、「なんで英語なんて勉強してるんだい?」と言われた。彼が言うには、英語は勉強するには良くない、もっと勉強しやすい言語があるはず。英語は同じように聞こえる言葉やセンテンスがたくさんあって勉強しにくい。というのだ。
この言葉は自分にとって驚きだった。それまで僕は、アメリカ人にとって英語は、日本人にとっての日本語と同じくらい聞き取りやすいものだと思っていたのだ。なのに彼は「英語は同じように聞こえる言葉がたくさんある」と言うのである。日本語にも違う物を表現するにもかかわらず同じ発音をする言葉がいくつか存在すが、僕らが日本語を「同じように聞こえる言葉がたくさんあるから、勉強するなら他の言語にしたほうがいい」と言うことはないだろう。つまり、英語のネイティブにとっての英単語の聞きわけにくさは、日本語のネイティブにとっての日本語単語の聞きわけにくさをはるかにしのいでいると考えられる。
「言葉が文化を造る」この考えを実感した瞬間だった。ネイティブスピーカーにとってすら時々聞きわけにくい英語の音。その聞きわけにくさを補うために、彼らは身振り手振りを混ぜるようになったのではないか。
言葉だけで意思疎通をはかる日本人。身振り手振りと言葉を組み合わせて意思疎通をはかるアメリカ人。その文化の違いは日本語と英語の特長によって生じたに違いない。
レイトショーを観てきた。個人的には予想以上に良かった。物語の「浅さ」がいいというか、たとえば「ハウルの動く城」なんかは、深いテーマが裏にあることをしきりに印象付けながら結局それがなんだかわからない、そんな妙なストレスを感じたのだが。本作品は単純明快。2時間弱楽しんで余計なこと考えずにそれでおしまい。
なんといってもポニョがかわいい。
「姿勢は意思の強さを表す」、そんな考えだから姿勢のいい人にはついつい目がいってしまう。そんな僕の人生で、特に印象に残っているのが5年ほど前まで同じ職場で働いていた女性。一日中パソコンの前で過ごす仕事でありながらも彼女の背中は背もたれに触れることがない。かといってもちろん猫背になるわけでもなく背中の曲線は常に天に向かったS字をキープ、それゆえに彼女からは強烈なオーラが放たれていた。
さて、最近腰が痛くてスカッシュもフットサルもできないでいる。ここ1ヶ月でやったスポーツは駅へのダッシュと週に1,2回の水泳のみ、なんとも不健康な生活になってしまったものだ。スポーツ以外にもやりたいことはいろいろあるとはいえ、やはり人生の大部分を占めていたスポーツの時間がないのはさびしいもの。そこで藁をもつかむ思いで整体に通いだした。
ゴキゴキッと気分のいい音を鳴らしてくれるやや強面の先生が腰を傷めない座りかたを教えてくれた。
「こうして、腰をもっと前につきだすように…そう。この姿勢」
それはまさに、彼女のあの姿勢。なるほど、理論に意思の強さが加わってこそ強烈なオーラが放たれるのだ。
夏も本格的になってきてなんだかウキウキしてくる時期。夏休みにどこかへ出かける予定を立てている人も多いのではないだろうか。そうなると新幹線や飛行機など座席を確保する人も多いはず。
そこで人間は2つのタイプに分けられる。窓側を選ぶ人と、通路側を選ぶ人だ。友達と一緒でしか旅行しないって人もいるかもしれないから、もう少し状況を限定してみよう。自分一人でその交通機関を利用し、となりには必ず見ず知らずの人が座る。(つまり混んでいる時期で、だれも座らないということは考えられない)そして、その人の年齢も性別も当然予想できないとする。
こんな条件なら、窓側と通路側のどちらを選ぶ人が多いのだろうか。隣の人がトイレに行こうとするたびにいちいち立たなければならない通路側。もしくは、トイレに行こうとするたびにいちいち隣の人を立たせなければならない窓側。
ちなみに僕は迷わず通路側。飛行機だろうと列車だろうと通路側。人に貸しは作っても借りは作りたくない性格なので。
TULLY'S COFFEE(タリーズコーヒー)主催のコーヒースクールに参加してきた。せっかく2,000円はらって2時間勉強してきたので忘れないうちにおさらいしてみたい。
朝10時に集合した参加者は男5名女2名、上は40代から下は20代後半といった印象。奥に座っていた3人の男性のみが知り合い同士で他はみんな一人の参加者。主催者側のほうは、進行役のKさん以外は、会場となった店舗のスタッフで、彼らにとってもその店舗でコーヒースクールを開催するのが初めてで緊張しているとのこと。
各自自己紹介と、参加した理由とか、スタバ派かタリーズ派か、とか、よく利用する店舗などを言ってから始まった。ちなみに自分以外はほとんどタリーズを利用することがない人ばかり、行ったとしてもスタバとか「タリーズは近所にない」とかだったが、「ではこれは機にタリーズを・・・」という和やかな雰囲気。
コーヒー豆について
まず、コーヒーチェリーの生豆とそれに火を入れて焦がしたコーヒー豆を比べた。あわせてコーヒーチェリーの実とコーヒーの花の写真も見せてもらった。コーヒーは種を植えてから約1年半で栽培ができるのだそうだ。
このとき、お湯が完全になくなるまで間を空けてしまうと浮いている雑味まで落ちてしまう。また、お湯はお湯によってできるコーヒー豆の土手の高さ程度までしか入れない。それを超えるとフィルターの外側をつたってコーヒーが落ちてしまうため味が薄くなってしまうからだそうだ。
ちなみに、1人分だけ抽出しようとしてもコーヒー豆の土手がつくれないために薄くなりがちなので、コーヒーは少なくとも2名分以上を作るのが美味しいコーヒーを飲むための必要なことなのだそうだ。
参加者でチャレンジ
進行役のKさんの実技のあと、それぞれのテーブルで実際にハンドドリップを挑戦してみる。出来上がった3つのテーブルのコーヒーをカップに注いで、横に「A」「B」「C」の識別氏を書いてシャッフルして飲み比べた。女性2人で作ったBのコーヒーはがやや水っぽく感じたが、繰り返し味を比べているとだんだんわからなくなってくる。進行役のKさんいわく、もっともレジよりの男性3人で抽出したAのコーヒーが美味しいのだとか。
フレンチプレスの使い方
続いてフレンチプレスとうコーヒーの器具の使い方を見せてもらった。
フレンチプレスの特長は、紙のフィルターを使わないため、コーヒー豆の油が落ちることと、ハンドドリップでは落とさなかった雑味も味に加わることだそうだが、個人的には油の浮いたコーヒーは味はともかく見た目があまり美しくない。
アレンジコーヒー
10分間の休憩を挟んでいろんな4種類のコーヒーの入れ方を学んだ。
〜ヘーゼルナッツ〜
少量のヘーゼルナッツにコーヒーを注ぐ。フレーバーとしては他にバニラ、キャラメル、ストロベリー、アーモンドなどがあり、店舗利用時にもプラス50円でフレーバーを選べることができるらしい(写真参照)。いろんなパターンのフレーバーを試す通なお客さんもいるのだそうだ。こんどぜひ挑戦してコーヒー通を気取ってみたいものだ。
〜クアトロアイスコーヒー〜
コーヒーにカプチーノクリーマーで泡立てたミルクを注ぐ
〜アボガード〜
「溺れる」という意味のスペイン語。バニラアイスの上に濃い目のコーヒーを注ぐ。これはコーヒーというよりもコーヒー味のアイスなのだが、これを「アボガード」というのは初めて知った。
以上。最後はアンケートに記入しておみやげをもらって終了。お土産はグァテマラのコーヒー豆(自分は挽かないでもらったけど、他の参加者はドリップ用に挽いてもらっていた)とバニラフレーバーとビスケット(?)だった。
進行役のKさん含めて2,000円という参加費に恐縮していたが、これだけ楽しい時間をすごせて2,000円ならまったく問題ない。コース2、コース3にも近いうちに参加してみたいものだ。実技や作業の途中には随時質問を受け付けてくれてそのすべてに快く応えてもらえた。例えば「ドリッパーの底の穴は3つと1つのどちらがいいか」とか、「ドリッパーの素材は何がいいか」、「コーヒー豆を冷蔵庫で保存するのはいいのか悪いのか」などである。
ちなみにこんなに細かく書いてしまっていいのだろうか…と、ちょっと思わなくもないが、「ブログネタにします。」といって写真もがんがん撮らせてもらったので、まあいいかと。
とりあえず近いうちに、ドリッパーを買わないと。
先日、いつものように朝の上野行きの列車を待っていた。通勤のピークは過ぎた時間とはいえ、ターミナル駅なので人は常に多い。上野行きの電車が到着してドアが開くと同時に大量の人が流れ出る。そんななか中年の女性だっただろうか。ドアからまっすぐ進んでそこで倒れてしまった。
近くにいた一人の女性が駆け寄って、つられたように他の2人ほどの男性も近づいていく。言い訳もなにもできないほどに僕はなにもできず、車内に駅員に異常事態を知らせるボタンがないか探したが、どうやらあれは田園都市線(もしくは東急線全体)にのみあるもののようで、見当たらない。見当たるのは緊急時にドアを開くためのコックの案内ばかり。というわけで結局気にはしながらもその電車に乗って会社を目指す。
よく都会の人間の冷たさを表して言う言葉。「みんな知らんぷり」。これを言う人って、一体何人の人が助けようとしてくれたら満足なんだろう。その時、その事態を目撃した人が全員が手伝おうとしてもやはり混乱するだけだろうし、理想は5人ぐらいなんだろう。そして5人が一生懸命助けようとしても、やはり全体的に見れば「みんな知らんぷり」という状態に変わりはない。今回は僕も確実に「みんな」に数えられた。
こういう状況を目の当たりにしたとき、AED講習受けに行きたい、と思う。
特に好きな画家というわけではないが、好きな画家であるジャン・フランソワ・ミレーとともに、バルビソン派に属するという点で、ひょっとしたらミレーの絵を見る際に何か今までと異なる視点をもてるのではないかと考えて観に行った。
コローの絵は特長がなさそうでありながら、ふとその絵をみると「コローっぽいな」とわかるのだからやはり特長があるのだろう。その個性を、自分の本展覧会で受けた印象から言葉にしてみようと思う。
コローの風景画は、特にそこに描かれる木に強いこだわりが感じらる。必ずといっていいほどキャンバスの上に大きな面積で描かれるその木の多くは、葉がないか、あっても煙のような描かれて、どこか暗雲立ち込めた「嵐の前の静けさ」的な印象を与える。そして空もまた個性的で、薄い雲で覆われたどこかさびしい天候を好んで描いているようだ。
人物画はややタッチが異なり、その輪郭をしっかり捕らえている。モネの人物画のように背景に溶け込んでしまうようなことはないが、彩度の低い色の選択は、そこに描かれる人物を彫刻のような生命力のない何かに見せてしまう。本展覧会では途中に同時期を生きたルノワールやドランの作品も展示されており、それらと見比べるとその違いは明らかである。個人的にはやはり人物画は生命力ある作品の方が好みではある。
さて、数は少ないながらもギリシア神話を扱った作品も数点展示されていた。エウリディケとディアナ(アルテミス)である。ギュスターヴ・モローに代表されるように、絵画をもっと理解するためにはギリシア神話と宗教に関する知識はあればあるほどいい。
さて、全体的な感想を言うと、個人的にはコローの絵からかもし出される個性にそれほど魅力を感じなかった。ただ、この時代の多くの画家たちに影響を与えた(といわれている)ことを考えると見ておいて損はないのかもしれない。何しろこの手の作品展は見たいと思ったときには世界中を旅しなければ見れない状態になっているのだから。
先日読んだ本の影響がまだ残っている。文房具屋の万年筆コーナーでアルバイトをするその本の主人公は、万年筆を買おうとした客が試し書きをする文字が、その人の個性を表していてとても面白いのだという。
そこで自分についてもシミュレーションしてみた。自分が人前でペンの試し書きをするとしたらどんなことを書くだろう、もしくはどんなことを書いたらちょっとかっこいいのだろうか?
試し書きなんだからやっぱり一文字ではなくて、少なくとも二文字、できれば四文字ぐらいがいいのだろう。「一石二鳥」?…なんかケチっぽい。「春夏秋冬」?…個性もなにも感じられない。「努力」「根性」?…どう贔屓目に考えても自分のキャラクターにそぐわない。「花鳥風月」…意味分からん。「愛」…いや、勘弁してくれ。
堂々巡りが続くので、じゃあ自分の好きな漢字はなんだろうという視点に立って考えてみると、そうするといくつか思い当たる「織」「瞬」「夢」「必」「海」「時」「彼」「穂」「秋」「撃」「為」……しかし、どうあがいても言葉が生成できない。「組織」「瞬殺」「初夢」「必殺」………。
今年の宿題にしよう。
最近読んだ本「クローズド・ノート」によって万年筆に興味を持った。自分だけのペンを常に携帯するという、なんか少し贅沢なこだわり。そんなものに魅せられて、じゃあ僕も万年筆を・・・と思って文具のサイトを放浪したが、やはり万年筆の機能的な問題からかあまりそのフォルムが美しくない。
そして、そう思い始めると、「はたして万年筆など、使うだろうか?」という気持までも突如芽生えてくるから不思議である。とはいえ、最近、英語の勉強などのせいもあって文房具を人前で出す機会もあることだし、やはりオリジナルの文具というのは魅力的。
そんなタイミングで突如入ってきた情報。シャーボX。これはいいかも。簡単に説明すると、自分の好みに合わせて、ボディとそれに組み込む、シャープペンとボールペンを選択できてオリジナルのシャーボを作れるというモノ。ジェルインクにも変更できるし、色も好みの色がありそうだ。唯一の不満は、シェイプがすべて同じという点だろうか。近いうちにマイシャーボを作ろうかな。しかし・・・少し高いかも。



