2008年04月13日

一塁へのヘッドスライディングを評価しない

今でも一塁へのヘッドスライディングを美学とするプロ野球選手がいるという記事が印象に残ったせいだろう。僕はときどきこのフレーズを使う。

野球において、一塁へヘッドスライディングをするよりベースを走り抜けたほうが速いことは知られているし、それは科学的にも証明されていることだ。しかし、それでもヘッドスライディングをする選手がいるという。確かに少しでも早くベースにたどり着きたいという思いから、手と頭からベースに突っ込む気持ちもわからなくはない。しかし、走り抜けたほうが速いという事実があるにも関わらず、ヘッドスライディングという選択肢を取る行為は、試合に勝つための最大限の努力をしているといえるのだろうか。

似たようなことは普段の生活の中でも起こりうる。例えば仕事において、抱えている作業が多いからといって徹夜で仕事をして、その後2,3日の作業が眠気のせいで滞るのであれば、それはまさに一塁へヘッドスライディングをするようなもの。

人それぞれ多くの考え方があるだろうが、目の前の結果に目を奪われて最終的な結果のための最善の方法を知りながら放棄するような行動を僕は評価しない。

ユニフォームを汚したり、「眠い」と繰り返しながら仕事を続けるような行為で褒めてもらえるのは、「結果」より「過程」の評価を求める甘えた考え方。「頑張ったんだから褒めて…」「一生懸命やったんだから認めて…」そんな考え方で評価されるのは浅はかな考えと乏しい知識しか持たない、せいぜい小学生までの話だ。

僕らは学ぶべきことを学び、深く考える知識を持った大人なのだから。

投稿者 masato : 2008年04月13日 22:47
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