とある企業のポスターを作成する際、大量のモデルの画像と見つめ合う時間があった。
モデルの女の子だから、当然現実に向かい合えば可愛くキレイな女の子たち。しかし、ポスターにしようと思ってそれらの画像を見てみると、多くの場合いろいろ気になる部分が出てくる。ホクロが多い、髪が乱れている、服が安っぽい、目が死んでる、笑顔が固い、肌ツヤが悪い、などである。もちろんプロのカメラマンが撮ったものだから、撮影時にもそれらの注意をしながら撮影したものだろうし、ホクロなんかは画像補正でなんとでもなる部分ではあるのだが、一方で全く補正しないでも使えるような写真写りのいいモデルもいるだけに、「この違いはなんなのだろう」と考えてしまう。
とりあえず思うのは、写真になったときに魅力的に写るかどうかは、その本人の容姿の善し悪しとは、世間一般的に思われているほど関係がないということ。どこにでもいる普通の女の子がファインダーを通して平面の世界に存在を移した途端にものすごく魅力的に変貌したり、逆に普段とても魅力的な女の子がファインダーを通した途端にまったく魅力のない人間に成り下がったりする。
テレビに出始めての頃には素人同然だった初々しい芸能人が、時が経つと共にキレイになっていくのは、きっとテレビカメラへの自分の映りかたを理解していくためだろう。写真も同じで、自分の写りかたを理解することで改善できる部分はあるが、それでもどうしようもない「写りかたの才能」というモノが存在するように思う。
普通に生きていれば「可愛い」とか「キレイ」とかもてはやされたはずの彼女たちは、彼女たちが浴びてきたその「可愛い」「キレイ」が通じない平面の世界へまで、何を思って存在価値を見出そうとするのだろう。
投稿者 masato : 2008年03月14日 01:13


