クリエイターの宿命で転職回数は必然的に多くなる。そして、過去所属した会社の中には、いいところもあれば悪いところもあり、完全に満足する環境の会社なんてもちろんないのだが、今後の教訓的な意味も含めて、そんな中の一つを書いてみたくなった。
5,6年前に勤めていたとある会社。そのときは採用やら社長のコネやらで社内で働く人間が突然3,4人増えたりした。会社は18時が定時で、残業代など当然出るはずがなく、それにもかかわらず、多くの作業と、突如として入ってくるクライアントの要望への対応などで、みんな22時頃まで働くのが常と成っていた。そんな中、入ってまだ2,3ヶ月程度の女性が19時頃、僕に聞いてきた。
「自分の仕事終わったんですけど何か手伝うことありませんか?」
そう、なぜかその当時、その新しく入ってきた人たちが作り出した雰囲気なのか、「仕事を終えたら他の人を手伝うのが当然」みたいな空気が漂っていた。それがすでに定時を過ぎているにも関わらずである。
「ああ、自分の仕事終わったんならさっさと帰れば?」
僕はいつだってそう言う。しかし、中にはこれ幸いとばかりに自分の仕事を手伝ってもらう人間もいて、そういうことが繰り返されるうちに予想通りのことが起きる。
それから数週間後の残業時間(もちろん残業代は出ない)。明らかに仕事ペースを意図的に落としていると思われる女性を発見。疲れてペースが落ちているのではなく、明らかにもう仕事がないにも関わらず仕事をしているフリをしている。彼女がやっていたのはその日のうちにやらなければならない仕事でも、その日にある程度こなしておかなければ見通しが立たない仕事でもなんでもない。
そりゃあそうだ、仕事を早く終えても他の人を手伝わなければならないなら、自分のよく分かっている仕事を自分のペースでみんなが帰り始めるころまでやったほうが、他の人に命じられた仕事で予想以上に遅くまで残業するよりマシなのだから。その結果。仕事に余計な時間をかける空気が新しい人たちの間に明らかに蔓延。
「早く終わらせれば早く帰れる」
これを徹底することが、社員に仕事をスピーディにこなすためには必要なのだ。
ちなみに、どうしても一人で納品期限までに仕事が終わらなければ、それはその仕事の担当者が自らヘルプを求めるべき。当人のスケジュール管理能力の欠如である。
3月から出勤日が増えるのでモバイルスイカに定期券を追加した。学生時代以来の久しぶりの長距離定期券。考えてみれば学生時代は4年間大宮から横浜まで通っていて、その時の定期券は大宮、浦和、川口、赤羽、池袋、新宿、渋谷と県内、都内のターミナル駅を網羅。非常に重宝した。
当時、千葉方面の大学へ通っていた弟などは休日、自分の定期を借りて都内に遊びに行くことも良くあった。いくら定期券に年齢が記載されているとはいえ、1つしか歳が離れていないから、万が一駅員につかまって「干支は?」と聞かれて、しかも弟が十二支をすべて言えないなどということがないかぎり、その定期券は非常に便利なものであったわけだ。
しかし…ケータイはさすがに貸せない。これが狙いだったのかJR。
ミートホープの偽装牛肉を告発した元社員は、正義を貫くために、社内の偽装の事実を世の中に知らしめた。しかし、その結果会社が潰れて多くの同僚たちに苦労を強いることになったことを今でも悩んでいるという。
世の中は、正義を貫けば救われて、悪事をすれば罰せられるほど単純ではない。自分がそんな立場に陥ったら僕はどうするだろう。犠牲を承知で正義を貫くだろうか、家族や友人のことを考えて悪事に手を染めるだろうか。そんな時、後悔しない行動を取るために必要なのは、豊富な知識と冷静な判断力。これに尽きる。
先日いつものようにネットで調べ物をしていると、「ウェンズデーイングリッシュ倶楽部」なるサイトが引っかかった。「一生勉強」をモットーに相変わらず細々と英語の勉強をしているので興味を持ってサークルの趣旨を見てみる。基本的には「お金をかけないで英語を勉強しましょう」という趣旨。しかし、サイトだけ見ると、うーん、あやしい…。とはいえ参加費が1回500円なら、最悪無駄になっても人生の授業料として納得いくし、話のネタぐらいにはなるだろう。ということで先日サイトから参加申し込みをして、今日、さいたま会場のレッスン(サークル?)に参加してきた。
公共に貸し出されているセミナー室を借りていて、集まった人たちは高校生から老人まで非常に幅広く、セミナー室に入ったそのときの主催者の女性の迎え方から、ネットワークビジネスとか、宗教とか、その手の警戒は必要ないと判断。
参加申し込み時に、初心者テーブル、初級テーブル、初中級テーブル、上級者テーブルというカテゴリーが選択できて、僕は「初中級テーブル」を選択したのだが、この日は強風のせいで電車が遅れるなどして普段より人数が少なかったらしく少し変則的に、カテゴリに縛られずに会話をする形を取ったようだ。
とりあえず、強風の影響で遅刻者が多かったにも関わらず時間通りに始めた主催者に好感が持てた。当然のようでいて、いちいち遅れた人を待って活動を始めるサークルも世の中には多い。遅れた人に合わせて活動していれば、そのうち、時間を守っていた人まで時間を有効的に利用するために遅れて来るようになってしまうのだ。これはサッカーチーム運営時代に自分が最後まで譲らなかったことでもある。
さて、内容は、というと、まずはお約束の自己紹介、それぞれ趣味や仕事の話をして、ほかの人はただ黙って聞いているだけではなく質問をしたりして会話を盛り上げるというもの。その次はくじでペアになって1対1で会話をするというもの。
とりあえず思ったのは、やはり日本人の英語は聞き取りやすいということ。で、いざとなったら日本語で話す(いざとなったらの話)という手段もあってそれほど身構える必要もないというのがいいことだろう。もちろん、最終的にはネイティブスピーカーと会話するのがいいのだろうが、こういうステップもあるというのは頭に入れておいてもいいのではないだろうか。
英語の会話になると毎回思うことだが、これは自分の性格のせいか、相手が話していることをわかったふりしてうなずいているということができなくて、やはり相手が一生懸命話してくれることに対しては一生懸命理解しようと努めなければならないという考えが常に頭の中にあり、楽しかったが、わずか1時間半で精神的に疲れた。
きっと大事なのは、会話の途中で何度か思った「○○と言いたいのに英語で言えない!」という思いを忘れずに持ち帰ってその表現方法をしっかりマスターすることなのだろう。また時間が合ったら参加しようかな。英語だけではなく、この手の向上心あふれる人たちの集まりはやっぱり魅力や刺激がいっぱいだから。「その面白そうな話、後で日本語でしてくれないか・・・」と思ったのもしばしば。
ちなみに全然関係ないが、帰りは大宮駅の東武野田線の改札が真っ暗。沿線火災に加えて原因不明の停電だそうな。東大宮周りで帰ってくるのに2時間もかかってしまった。
春に向けて新しいジーンズを買いに行った。ジーンズへのこだわりは何度かここでも書いているが、余計な飾りなどのつかないノーマルなジーンズ(僕が穿くのはほとんどノーマルのブーツカット)は、シルエットの美しさやパッチの形から、Lee(リー)の102かWrangler(ラングラー)の570,770(77MWXZ)しか穿かない。
しかしジーンズメーカーも競争が熾烈らしく、今やどこのジーンズショップへいってもLevis(リーバイス)とEDWIN(エドウィン)ばかり、Lee(リー)とWrangler(ラングラー)のジーンズを買おうと思ったら、町田のマルカワか上野のアメリカ屋まで足を延ばさなければならないのだ。というわけで会社帰りに購入。
今日は買ったばかりのジーンズの穿きにくさを解消するため今日は一日中それをパジャマ代わりに穿いている。
話は変わるがジーンズを穿きこなす女性は魅力的である。スタイルを維持するのに不可欠な「意志の強さ」と「行動力」を併せ持つ、といった印象だろうか。最近しばらくそんな女性には出会ってないが。
久しぶりに代表の試合を90分観たという感じ。世の中でも代表離れは言われていて、多くのメディアはその原因をスター選手の不在としているが、僕自身の代表離れは何が原因なのだろう、と考えてみた。
別に僕にとっての魅力的な選手が今の日本代表にいないわけではない、山瀬、阿部などのように、冷静さを常に失わず、それでいて勝利への執着心が感じられる選手はかなり好きな選手である。やはり原因は、価値観を押し付ける(視聴者の気持ちを操作しようとする)その中継手法にあるのだと思う。
誰でも同じだと思うが、やはりスポーツとは、起きていることをストレートに受け止めるべきものだと思う。例えば今回の試合で言えば、北朝鮮の選手でもうまい人はうまいと認めたいし、審判の判定が偏っているか否かも自分で判断したい。にもかかわらず、大してすごくないプレーを「スーパープレー」と押し付けたり、微妙な判定を「完全アウェイ」やら「反日感情」と結びつけて視聴者を煽る風潮がたまらないのだ。アナウンサーは必要な情報だけを読み上げて、感想は一切言わない。個人的にはそれが理想のスポーツ中継だと思うのだ。
さて、で、久しぶりに民放でサッカーを観たが、さすがに亀田騒ぎでTBSは反省したのか、以前ほど極端に意図的なアナウンスはなかったような気がする。決して耳障りな点がなかったわけでもなく、日本の同点ゴールの時のアナウンスはやや叫び過ぎな気もしたが、それでもこの程度なら許せるかな。という範囲におさまっていた。
一応試合の感想も書くと、さすがに経験不足という感はあったし、パスミスもところどころで目に付いたが、シュート、パス、ドリブルの選択が程よい気がして、あまりストレスを感じなかった。ここ最近の代表の試合は、「エレガントだけどハートフルさに欠ける」と松木さんも言っていたように、どうもミドルシュートが少なかったり、ドリブルでの仕掛けが少なかったりと、いらいらさせられていたが、そういう後味の悪さを今日は感じることがなかった。その辺のリズムをつくっていたのが、羽生、遠藤だろう。
右サイドの内田(アントラーズ)も今日の仕掛けは良かった。今日で代表4試合目ぐらいだろうか、ようやく硬さが取れて本来の持ち味を出してきたといった印象。一方で同点のアシストをした左サイドの安田(ガンバ)はこの辺が関西人の長所なのか、最初から持ち味をがんがんに出せていた感じ。彼の左縦突破の前の右跨ぎはもはやディフェンスを逆へ動かすためのフェイントというよりは自らのリズムのためのフェイントといった印象。(あのタイミングで右に跨いでもディフェンスが引っかかる理由はないし)。ロナウドの右跨ぎと同じような役割を担っているのだろう。
とりあえず経験の少ないこのメンバーでこの結果ならそれほど悲観することもないのではないかな。とはいえ今回も優勝は無理っぽい気がするが。
怪我のせいで実家に戻ってきたとはいえ、三十過ぎた男がいつまでも親の家に居候しているわけにもいかない。なにより1人暮らしは人生において、しっかり生きていく力を養うための必須教科と考える僕自身が、このような生活にいつまでも甘んじるわけにも行かない。
というわけで、というか、それなのにのんびり物件を探している。僕が生活環境に求める条件はいくつかある。
・最寄り駅に大きな本屋があること
・近所に図書館があること
・最寄り駅にメンズファッション類の揃う店があること
・駅前にパソコン機器の揃う店があること
・近所にスカッシュができる環境があること
・職場にできる限り乗り換えの少なく通えること
・多方向へのアクセスが容易であること
・南向きで日当たりがいいこと
・家賃○万以下
・駅から徒歩10分以内
以下、可能であれば
・最寄り駅もしくは通勤途中にシネコンがあること
以上のことを考慮して現在3地域が候補として残っている、吉祥寺、溝の口、川崎である。慌てる必要ないからじっくり考えよう、などと思っているがこういうのってたぶん期日を決めないと永遠と吟味してそうだ…。とりあえず今はひたすら情報集め。
昨年読んだ本の中でもっとも心に残ったフレーズ。奥田英朗の「サウスバウンド」の中で普段は奇異な行動をしている父親が息子に向かって言った言葉である。
この言葉を聞いても多くの人は、これは建国とか革命とか、動乱の世の中でこそ生きる言葉で、平和な日本に住んでいる僕たちには関係ない、と思うのかもしれない。
しかし、不平等はどんな場所にも存在する。会社の中、サークルの中、部活の中、教室の中。集団があればかならずといっていいほどなんらかの不平等は生まれるのである。
そこで、にこにこ笑顔を振りまいて沈黙しているだけでは決して対等な関係など築けない。求める関係があるなら、今の関係に不満なら、戦わなければならないということだ。
大宮ルミネの新栄堂書店が1月末日をもって閉店した。なんと昭和42年からこの場所営業していたというから驚きである。
通勤途中に必ずといっていいほど立ち寄っていただけに、しばらく本屋難民になりそうである。僕にとって本屋とは2日に一回は立ち寄るべきもの。そうなると今の僕の通勤経路である程度蔵書のある本屋は秋葉原ヨドバシカメラ内の有隣堂か、上野駅構内のBOOK GARDENぐらいだろうか。ヨドバシカメラ内の有隣堂は7Fにあって気軽に立ち寄るにはつらく、上の駅構内のBOOK GARDENは蔵書数がいまいちなうえ、次の電車の発車時刻が目に入ってしまうためになかなかのんびりしてられない。とはいえこの辺で妥協するしかないのだろう。
しかし、何年も本屋に通い続けると本屋の好みもできてくるらしい。個人的には有隣堂や文教堂のような本屋が好みである。スペースと本の積み重ね具合がほど良い感じがする。棚に詰まれた1冊1冊の本から「読まれたがっているオーラ」を感じることができる気がする。
一方でジュンク堂やブックファーストなどは、おそらく蔵書数は多いのだろうが、棚が高くて通路が狭く、とても本からの「読んでほしい」オーラをのんびり感じることのできる環境とはいえないし、なんだか窮屈な感じがする。読書とはそんな窮屈なものではなく、もっと生活に密着したものであるはずなのだ。
結局のところ、刺激を受けるなら有隣堂や文教堂、求めている本を探すなら、ジュンク堂、ブックファーストという具合に状況が許す限り使い分けている。
我が家の庭の池には鯉が3匹いる。池といっても大した池ではないし、鯉といっても大した鯉ではない、大きいので30センチ程度である。
父が突然思い立って、新しい鯉を1匹買ってきてその中に加えたことがあった。するとしばらくして、1匹の鯉が外に飛び出して地面の上で干からびて、また3匹になった。
何年か経ち、また父が思い立って新しい鯉を1匹加えた。するとまたしばらくして1匹の鯉が地面で干からびて、また3匹になった。
もう父は鯉は加えないつもりらしい。
近くにオープンしながらも今まで行っていなかった鉄道博物館へ行ってきた。
うわさどおり混んでいたが、キッズが多いので視野は常に開けていた。最大の魅力は施設南部のヒステリーゾーン。1階には各時代の車両が展示してありそのいくつかには実際に乗車して座席に座ることができ、さらにそのうちのいくつかの車両では食べ物を食べることもできる。弁当を買って車両のボックスシートに座って食べている人たちが多かったのは面白い。ほかにも休憩スペースは多多用意されているにも関わらず、本来なら食事の採り難いあの狭い座席にわざわざ座って弁当を食べることに魅力を感じる人はたくさんいることがなんか嬉しくもある。
古い客車は映画でみるような木の窓枠のもの。実際にはひどく乗り心地が悪かったのだろうが、なんとも奥ゆかしい。奥のほうには国鉄時代の見覚えのある車両もあり、車内の中吊り広告まで当時をそのまま再現している。それにしても当時はなんとマニアックな中吊り広告だったのだろう…いや、これ本当か?。
ヒステリーゾーン2階には鉄道の歴史年表が展示されている。1953年の開国後、一気に欧米の文化を取り入れて近代化していく様子がわかるだろう。個人的にはこの年表もパンフレットにして配って欲しかった。
最大の見所は間違いなくそんなヒステリーゾーンだろうが、ラーニングゾーンやスペシャルギャラリーなどもかなり楽しめるだろう。なぜレールは今の形になったのか、なぜ枕木のしたにはじゃりが敷いてあるのか、レールが枕木の上を滑らないためにはどうすればいいのか、閉塞区間の考え方など知っていたことから知らななかったことまでいい刺激になった。世の中の多くの技術同様、鉄道の技術の一つ一つも長年の試行錯誤の積み重ねであり、そしてそれが「人を運ぶ」という人の生活と命に密接に関わるものだけに、多くの時間とお金をかけられてきたことが実感できるだろう。
改めて怪我の影響で最近3年間していなかった、18きっぷの旅を再開しようかと思った。とりあえず近いうちに行ってみたいのは土合駅、北浜駅、青海川駅の3駅。
感想は、というと、まあ、こんなもんだろう、といった感じ。「日本、カナダ、イタリア合作」というような謳い文句の作品で面白かったためしがない。物語の展開よりも映像の美しさが印象的だった。
さて、ひとつ思ったこと。多くの人の頭の中では、その学習過程のせいで、日本史と世界史の時間軸というのはなかなか同期を取れていないものだと思う。わかりやすく言うなら、日本史上の出来事を時系列に列挙することや、世界史上の出来事を時系列に列挙することはそれなりに社会科で歴史を真面目に勉強してきた人にはできたとしても、では、世界である事件が起こったとき、日本はどういう時代にあったかということが瞬時には浮かびにくいのではないだろうか。
だから、この作品のようにある時代の、世界と日本を同時に映すという物語展開は、個人的には新鮮さを感じるのである。しかし、映画自体はお勧めはしない。



