2008年01月31日

My Music Studio

mms001.jpg「運動できない間に新たな趣味をさらに増やそう」ということでまず第一弾。この絶妙なタイミングでテレビのCMでも流れている「My Music Studio」を買ってきた。

さて、ソフトは最初はわずかな機能しか使えず、続編を買うにしたがって、少しずつ機能が追加されるらしいが、創刊号のみ490円で以降は毎週1,190円、80号完結を予定しているらしいから、ひたすらがんばればなんと94,500円。ソフトだけなら、自分の人脈を駆使すればすぐに手に入るだろうから、それ以外の部分にどれほど価値を見出せるかが問題。

ちなみに掲載されている雑学は割りと好みのタイプであった。個人的にはクラシックの音楽に関する知識をもっと蓄えたいのだが、今後の展開はどうなるのだろう。

投稿者 masato : 19:40 | コメント (1)

2008年01月27日

日本フィルハーモニー交響楽団「第319回名曲コンサート」サントリーホール

左足の痛みをこらえながら行って来た。入院日が決まるよりもチケットを取るほうが先立ったのだから仕方がない。


ドヴォルジャーク
交響曲 第9番 ホ短調《新世界より》

メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

ラヴェル
ボレロ

指揮:藤岡幸夫
ヴァイオリン:米元響子

今回は舞台の左側から舞台を見下ろすようにしていたため、それぞれの演奏者の手元が良く見れた。ラストのボレロは、CDで聴くと同じメロディを繰り返し演奏しているだけの短調な曲にしか聞こえないのだが、やはり生で聴くと、音量のコントラストが激しくて、迫力が違う。

一方で、いまだに音色からどの楽器かがわからない。それ以前に木管楽器の区別がつかない。

投稿者 masato : 22:26 | コメント (0)

2008年01月26日

入院、抜釘(ばってい)

24日から2泊3日の入院生活を送ってきた。今回の目的は5年前の骨折の時に左足に埋め込んだプレートの除去で、入院という非日常的なイベントでもあるので記憶から消えないうちに感想を書いてみる。

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1日目(2008年1月24日)

初日の24日は朝の11時には入院手続きを終えて病室へ入る。大部屋が開いてないということで、個室をあてがわれる。もちろん病院側の都合なので差額ベッド代を支払う必要はなく、幸運なスタートであった。5年前の手術の時の病室も斜め向かいにあり、すぐに記憶はよみがえる。

基本的に初日は手術はもちろん診察らしい診察もなし、3日通しての予定、手術の予定や、食事制限、そして点滴の本数などをそれぞれの担当医、看護師から聞く。

ちなみに夕方、人生初の病院での入浴を経験した。看護師に案内されて、たくさん器具の置いてある部屋に案内された。

「どうぞ、30分ありますからゆっくり入ってください」

と言われて、確かによくみるとバスタブらしきものが部屋の中央にあり、壁にはシャワーがある。しかし、そこは病院、介護用なのかそれとも手足を怪我した人を入浴させるためのものなのか、重々しい器具がバスタブの周囲に配置され、とてもくつろげる雰囲気ではなく、この場所で、

「じゃあ遠慮なく」

と、みんなさっと湯船に浸かれるものなのだろうか。などといった感想を抱いたが、意外とあっさりと現実は受け入れられるもの。

ちなみに今回は最初の入院生活の説明段階で、看護師にケータイの使用の可否を聞いてみた。結果は通話しなければ問題ないということ。とはいえ、この辺は外科病棟でしかも個室という性質上許されたものなのかもしれない。

夕食後食事制限が始まり、21時以降は飲食禁止となった。病室は21時消灯の6時起床。普段3時に寝て8時に起きている人間が、21時に眠れるはずもない。そして、病室に用意されているエンターテイメントはテレビのみで、普段から平均しても1日30分も見ないだろうテレビを用意されたところで満たされるはずもなく、持ち込んだ本と売店で買った雑誌と新聞をひたすら読み漁る。タイミングを計ったようにこの時間にメールをくれた方々には感謝である。

あわせて夜の病棟の雰囲気を楽しんだりする。病室の斜め向かいにナースステーションがあり、ナースコールの呼び出し音のベートーベンの「エリーゼのために」の電子音が繰り返し聞こえてくると共に、それに呼応するように看護士の廊下を行き交う足音も聞こえてくる。実はこんな夜の病棟の雰囲気が好きだったりする。

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2日目(2008年1月25日)

2日目の朝から点滴開始。ところどころに5年間の医療の進化が見える。5年前は点滴液を変えるたびに腕に点滴用のはりを刺しなおしていたのだが、今回は最初に1度針を刺して、あとは、点滴液だけ交換する仕様らしく、あの針を入れる瞬間が何度やってもなれることのできない僕にとってはありがたいことであった。

午後1時半ごろに、看護師に呼ばれて車椅子で地下の手術室へ。最初は腰椎麻酔。これが最初の恐怖だったのだが、これは想像通りの痛さ。ものすごい痛いというわけではなく、痛さは採血などと同じ程度なのだろうが、やはり、背中に針を入れるということが恐怖心を増大させるのである。

10分ほどで足が痺れてくる。その間、医師や看護師たちは心電図やらレントゲンやら別の準備をしている。私語が多くなにやらやたらと楽しそう、これは人によっては不快に思うのかもしれないが、僕にとっては、まったく私語を話さず、緊張感がひしひし伝わってくるよりは良かったかもしれない。

2つめの恐怖は手術開始の切開であり、5年前ははっきりとメスが入って皮膚が裂かれる感覚があったのだが、今回は麻酔の効きがすばらしいのか、ただのタイミングなのか、いつ切開していつ縫合したのかが最後までわからず、ときどき上半身に伝わってくる振動や、機器の音、焦げ臭い匂いなどで適当にその過程を想像するしかなかった。

ちなみに自分は利用しなかったのだが、CDを持ってくれば音楽をヘッドフォンで聴きながら手術を受けられるという。この辺も5年の間に変わった患者への配慮である。

200801262.jpg手術が終わってストレッチャーで手術室から運び出される前に、執刀医に足の中に入っていたものを欲しいかどうか尋ねられて、もちろん「欲しい」と答えた。看護師から渡されたそれは、思ったより綺麗。前回の手術が2003年1月23日だから、5年と2日人生を共にしたことになる。チェーンでも通してペンダントにでもしようかと考えていて、今回の最大の楽しみである。どうも穴の数とネジの数が合わない気もするが…気にしない(汗)

その後は病室のベッドでひたすら麻酔が切れるのを待つ。20時ごろには、完全に麻酔が切れて足の指を動かせるようになる。それと同時に切開による痛みも徐々に生じてくるが、これはもはやどうしようもない。痛み止めを飲んでひたすら耐えるのみ。

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3日目(2008年1月26日)

例によって朝6時に起こされる。それにしてもこの看護師のHさん…23〜25才ぐらいの女性。昨日起こしてくれたのもこの人だったし、手術のために隣の棟の地下まで車椅子を押してくれたのも、手術後にストレッチャーを一人で病室まで押してくれたのも、夜中、点滴変えてくれたのもこの人だったような…なんという長時間労働、看護師がストレスをためて患者にあたる理由もわかるような気がする。

この手の職に就く人々の仕事上の喜びといえば、やはり元気になった患者の笑顔とお礼の言葉なのだろうか…。そんなことを思いつつもそれを実行できない自分がもどかしい。「患者さんの満足度向上のために」というアンケート用紙をもらっていたので、その最後のページのコメント欄に「○○さん、○○さん、その他、ありがとうございました」と、名前入りでお礼の言葉を書いておくにとどまった。

9時前には包帯の取替えも最後の点滴も終わり退院。2週間後の抜糸まで水にぬらすことを禁止され、それとともに、今までネジが入っていた部分がなくなることで若干骨の強度が弱くなっているということで1ヶ月間の運動を禁じられる。

しばらく運動できないのはもちろん残念ではある。しかし、5年前もそうだったのだが、こういうときに新しい趣味は増えるものなのだ。

投稿者 masato : 19:22 | コメント (0)

2008年01月14日

言い訳してないかい?

Jリーグが始まってしばらくしたとき思った。「Jリーグがあと5年早く始まっていれば、僕のサッカー人生はもっと有意義なものになったかもしれない」と。なぜならそのときすでに、猛暑の中で水も飲ませずにひたすらダッシュをやらせるような古い体質のサッカー部に嫌気が差して辞めた後だったから。それでも同時期にサッカー部を辞めた仲間と昼休みにサッカーを楽しんでいたので、カズのプレーを真似したりしたものだ

「あと5年早ければ」と思ったのは、テレビ放映の影響の大きさを実感したからである。定期的に映像でいいプレーに触れることで、理想のプレーのイメージを描きやすくなるし、練習に対するモチベーションも維持しやすくなる。それまではサッカーのテレビ中継と言えば、トヨタカップや天皇杯、高校サッカーなど年に数えるぐらいしかなかったし、どれも単発だったため、どの選手がどんなプレーするかもわからずに漠然と観るるしかなかったのだ。

「そんなものは言い訳」という人もいるだろう。確かにそんな時代の中でも自分を磨いてきた人間もいて、中田英俊もその時代から生まれているのである。しかし、事実として、Jリーグが始まって十数年経った今の、ユースレベルの技術の高さは誰もが認めるところだし、やはり、映像を通じで模範となる姿に頻繁に触れられるということは、何事においても上達の近道になるのだと思うのである。

ここまでなら、所詮、サッカーという超メジャースポーツゆえにもたらされた改革であって、多くの人はそんな恩恵を授かることなく未だ試行錯誤しているのかもしれない。

しかし、ここ4,5年でそこにさらなる変化が訪れている。僕が、その恩恵を感じるのは、スカッシュというまずテレビで放映されることのないスポーツに触れるときだったり、他には、たまにギターをかき鳴らすときだろうか。

昔は本を買ってきてそこに書かれている通りに弾いて満足するしかなかった。そうなると、本当にこの弾き方であっているのか、指の運びは正しいのか、音の響きはどうなのか、所詮文字で書かれた本で、音や動きを表現しようとしても限界があるのである。しかし、今ではインターネット上を検索すれば、弾き方の解説とともに、音声ファイルをアップしてあったり、YouTubeに映像を投稿して弦の押さえ方から、指の使い方まで詳細に映してレッスンしている人までいる。まだまだ映像を発信できる設備を持っている人は少数派であるが、今後もっと増えていくのだろう。

もう「お金がない」とか、「教えてくれる人がいない」とか、これから少しずつ関係なくなっていくんだな。みんな言い訳してないかい?

投稿者 masato : 00:48 | コメント (0)

2008年01月11日

水泳

筋肉のバランスについて考えるとき、白筋、赤筋という考え方を避けては通れない。

赤筋
・持久力に関与
・筋肉は細いまま   

白筋
・瞬発力に関与
・筋肉は太くなる

日常的に取り組んできたスポーツ、スカッシュやサッカーでは下半身には赤筋も白筋もバランスよく必要だが、上半身はどちらもあまり多くを必要としない。上半身に必要なのは腹筋や背筋といった小さい筋肉ばかりである。

しかし体全体のバランスを考えると、やはりもう少し上半身への筋肉をつけるのが理想なのだろう。しかし細身のスタイルは維持したいし、間違っても逆三角形などにはなりたくない。つけるなら白筋ではなく赤筋にすべき。

そんな考えから週2回の水泳に取り組み始めて10ヶ月ほど。最初は50メートルごとに休憩していたのが、最近は毎回自分に課しているノルマの400メートルを1回で泳ぎきれる程度の泳力を取り戻してきた。

さて、そこで考えるのが今後の目標。このまま距離を延ばしても、それにかかる時間も比例して増えてしまう。腕立て伏せや腹筋などと同じように、負荷を増やさずに数だけ増やしても時間ばかりが増え、それはすなわち時間的な拘束を生み長続きしない、ということになる。

それでは、と、泳法について調べてみて、意外と今まで泳ぎ方について深く考えてこなかったことに気づく。どうやらクロールの理想的な腕の掻き方は、C字ではなく、最初に外に回って内側に入るS字なのだそうだ。イアンソープの水中カメラを見てみると、なるほど確かにS字である。

これからはターンと腕の掻き方、キックの回数なども考えてみるかな。

ちなみに父は週2回、2キロ泳いでいるというから信じられない。

投稿者 masato : 00:06 | コメント (0)

2008年01月09日

白い空間

ここ4ヶ月ほど痛みの消えなかった左足を完治させるため、近いうちに入院することがほぼ決定した。手術自体は嫌だが、病院という空間で過ごすことは変わった刺激があってそれほど忌み嫌うものでもない。

一度でも入院したことのある人なら知っているだろう。あの白い空間、彩度が低く、明度の高い人工物で囲まれた病室という空間。あの場所で数日過ごすだけで、世の中の色彩の豊かさを実感するのだ。自然物も人工物も含めて、世の中には色が溢れており、それが人に良くも悪くも刺激を与えているのだ。

以前は、友人のお見舞いの際に花を持っていくとき、「もっと実用的なもののほうが・・・」などと思っていたが、あの無機質な空間で花束が発する、自然の彩りの豊かさは大きい。

投稿者 masato : 13:10 | コメント (9)

2008年01月02日

「アンカー展」Bunkamuraザ・ミュージアム

一昨日六本木ヒルズに行って感じた「ひょっとしたら正月は美術館関係空いているんじゃないだろうか」という勢いそのままに本日はネット上で話題になっていたアンカー展へ。109の前のものすごい人ごみを見たときはひるんだが、いざBunkamuraに入ると騒がしさはどこかへ。

さて、見始めてすぐに抱いた感想は、フェルメールとクールベとジャンフランソワミレーとジョンエヴァレットミレーを足して4で割ったような感じ、というもの。特徴的なのは子供をモデルとした人物画の多さだろう。輪郭をはっきりさせて光の陰影をしっかりキャンバスに表現するスタイルは、非常に好みである(だから見に来たのだが)。特に描かれている子供達の顔と手の表情が印象的だった。

個人的に気に入ったのは、「おともだち」という作品。残念ながらネット上にその画像が見つからないのだが。もし見に行かれる方はぜひ注目して欲しい。二人の女の子の表情が訴えてくる物語が…涙が出てくる。

今回の展覧会は絵の横のパネルに書かれている当時のエピソードや関連項目の説明もも非常に充実していて楽しむことができた。特に、アンカーの生きていた時代(1831-1910)は写真を発明したルイ・ダゲールともかぶっていたため、アンカーは写実的な正確さと絵画的な大胆さの間で悩んだというエピソードが興味深かった。

そんなアンカーだからか、生計を立てるための肖像画を描く際に、客にこう尋ねたことがあったという。

Do you want a pretty picture or a good likeness?
(美しく描いてほしいですか?それともあなた自身を描いてほしいですか?)

絵画における大きなテーマだったのだろう。そして、写真という文化の出現によって多くの画家たちは自分のスタイルを改めて見つめなおしたのではないだろうか。

肖像画においては客の要望に従うにしても、単に画家が描きたい対象物を描く場合に、見たまま描くか意図して変えるかという考えは、昨今の映画のCG(コンピュータグラフィック)などと通じる部分があるように感じる。

例えば映画「タイタニック」で悠然と海を航海する豪華客船のCGなどは、見ている人にそれを実写だかCGだかを考えさせないことが重要であり、同様に絵画においても、光の陰影を調整して意図して見ているも人の目線を訴えたいもの対象物に導きながらも、その作為を感じさせないことが大切な気がする。

そのような例だと最近よくメディアで取り上げられたフェルメールの「牛乳を注ぐ女」の台形のテーブルなどは有名であるが、今回のアンカーの作品にも注意してみるとそのような細かい意図的なアレンジは随所に見られた。

投稿者 masato : 19:07 | コメント (0)

2008年01月01日

ベッカムのロングパス

ベッカムは素人好みなのか玄人好みなのか。どちらともいえるだろう。言い換えるならサッカーのファン層の真ん中、つまりサッカーを少しかじっている人間のみが「ベッカムなど顔だけで大した選手ではない」と言うのだ。確かにドリブルはメッシやC・ロナウドの方が上だし、ボールタッチはジダンやベルカンプの足元にも及ばない。ただ、右足のロングフィードはやはり超一級品である。

「サッカーが巧い」という言葉の定義とはなかなかむずかしいものだが、「勝利への貢献度の高さ」=「サッカーの巧さ」とするなら、やはりベッカムは巧い。ハーフウェイライン付近から常に高い確率で前線へピンポイントのパスが送れる。これは、将棋で言うところの、障害物を気にしない「飛車」や「角」といったところだろうか。そのパスをシュートに持っていける受け手さえいればとてつもなく恐ろしい武器である。

個人的に好きなのは4:00ぐらいにある、ユベントス戦のベッカム→ファンニステルローイライン。この映像だけだとわかりにくいが、この時点でで試合1-0の膠着状態。中盤でのボールの奪い合いが続き点の入りそうな気配がまったくなかった。それだけに衝撃的な、まさに世界的な出し手のベッカムと同じく世界的な受け手のファンニステルローイの組み合わせでしかできなかった芸当である。

投稿者 masato : 12:20 | コメント (0)

「六本木クロッシング2007」森美術館

Image019.jpgちまたで話題の六本木クロッシング2007へ行って来た。着いたときには既に正午を回っていたのだが、大晦日という日にちとミッドタウンの影響だろうか、なぜかヒルズはやたらと空いていて快適に展覧会を楽しむことができた

「枠に収まりきらない作家」と銘打つだけあって、どれも好みの別れそうな作品ばかり。そもそもこの手の作品展は好き嫌いで見るものではなく、心を刺激するために利用するのがいいのだろう。そして、そんな変わった作品ばかりなので見るほうも少々戸惑う。床にタオルが落ちているかと思って見たら実はタオルの上に鉄塔の模型があり、どうやら緑のタオルを山に見立てた作品らしい…とか、壁にある赤いソファは作品なのか、それともただの休憩スペースなのか、どこまでが一つの作品でどこからが次の作品か分からないものも数点あった。

やはり自分の好みなのだろう、時間軸のない2D作品に目を奪われてしまう。個人的には入り口付近にある立石大河亜(たていしタイガー)の作品「FUJI HIGH WAY」の奇抜な遠近法の使い方とタッチが好みである。

毎日新聞をひたすら鉛筆でコピーした吉村芳生(よしむらよしお)のドローイング新聞には不思議な刺激を受けた。彼の作品はなにかをひたすら描いただけ。金網をひたすら書き続ける、新聞をひたすら書き写す、そして自分の顔をひたすらデッサンし続ける。なんというか、アートというのは評価されるために作るのではなく、作りたいものを作り、それが評価されるか否かは時の運なのだと。そんなふうに感じた。

映像など、時間軸を取り入れた作品はもちろん、見る人のアクションへのレスポンスとして表現された作品も多々あった。ただ、そういう作品を見て思うのは、やはり、2Dの静止画として仕上げられた写真や絵画と違って、それを展示するための空間や、見る人のなかに「見るための意識」が必要だということ。そして、やはり自分は忙しい日本人がその生活の中でたやすく受け入れられる、時間軸のない2D作品が好きだということを再認識した。

Image018.jpgさて、今回初めて音声ガイダンスを利用した。まあ、今回の作品展の作品ゆえにもう少しガイドがほしいと思った結果だが、なかなかよかったので、他の展覧会でもこれからは利用してみようかな、と思った。

ちなみに今回初めてヒルズの展望台から風景を眺めたが、元麻布ヒルズの美しいシルエットが魅力的だった。そして、国立新美術館のフォルムも印象に残ったので調べてみた。そうか、これが先日亡くなった黒川紀章(くろかわきしょう)の作品だったのか。


投稿者 masato : 00:48 | コメント (0)