2007年09月09日

善と信じて疑わない

平日の会社帰り。上野から大宮へ向かうには、宇都宮線か高崎線しかない。いつものように吊り革の下で本を開いて物語の中に入り込む。ふと気づくと列車はすでに赤羽を過ぎていて、上野を出たときには乗っていたのかそれとも赤羽からなのか、少し離れた吊り革の下に七十は過ぎていると見える老婦人が立っていた。仕事を終えて疲れているのか、座席に座っている人はもちろん、近くの優先席に座った人たちも席を譲ろうとはしなかった。

僕はそれでいいと思っている。もしこの場面で、「自分を善と信じる」人が、優先席で座っている人に向かって、「席を譲ってあげたらどうだ?」と抗いようのない言葉をぶつけるようなら、それこそ問題である。この時間帯に座席に座っている人は、一つ電車を待って、20分ほど並んでその席を手に入れたのだから。優先席に座っている人についても。誰も彼等の心臓にペースメーカーが埋まってないなんてわからない。妊娠してないとも怪我をしていないとも、誰にも断言できないのだから。


昨年の話。ひょっとしたら記憶にある人もいるだろう。日本人の若い写真家がアメリカで消息を絶ち、その両親はmixiの日記に次のようなことを書き込んだ。

アメリカ郊外で息子が行方不明になりました。 何かてがかりのあるかたはここにコメントしていただけないでしょうか。 携帯に直接お電話いただいても結構です。

TEL:xxx-xxxx-xxxx

そして、それを読んだ「自分を善と信じる」人が、自分の日記と参加しているコミュニティのトピックに次のような文を書き込んだ。

知り合いが行方不明になりました。
以下の文章はその両親のコメントです。

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アメリカ郊外で息子が行方不明になりました。
何かてがかりのあるかたはここにコメントしていただけないでしょうか。
携帯に直接お電話いただいても結構です。

TEL:xxx-xxxx-xxxx
mixiアドレス:http://xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
------------------------------------------------------------
みなさんもこの文章を自分の日記や参加しているコミュニティにコピーしてください。
人の命がかかっています。

その結果、mixi上に存在する数多くの「自分を善と信じる」人達によって、同様の内容のトピックがコミュニティの内容と関係無しに乱立していった。「コミュニティと関係のないトピックを立てるな」「人の命がかかっていれば何をやってもいいのか?」という意見によって一部収束したとは言えもはや焼け石に水。結果として、その両親の日記のコメント欄には、「息子さんの無事を祈っています」とか、「気持ちを強く持ってください」などといった、「自分を善と信じる」人達の実質的に何の役にも立たない大量のコメントで上限に達し、本当に必要としている息子の消息に関する情報を受け付けるができなくなったのである。


人の行動。それが「善」であれば世間は歓迎する。「悪」であれば世間はそれを止めようとするだろうし、当人の心の中にある罪悪感もブレーキとなるだろう。しかし、本人が「善と信じる行動」、一見「善のように見える行動」。これを止めようとするのは大きな勇気がいる。僕の思う世の中でもっともタチの悪い行動がこれである。

浅はかな行動は、時に罪だ。

投稿者 masato : 2007年09月09日 15:40
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