筑紫哲也の肺癌報道によって一部のノンスモーカー達がネット上で歓喜に湧いている。ジャーナリストという職業柄、アンチを多く抱えるのは仕方がないとは言え、目に余る発言も多い。どうやらそんなノンスモーカー達の頭の中には「非喫煙家=善、喫煙家=悪」というなんとも単純な人間の分類方法が確立されているようだ。
僕が気になるのは、もし筑紫哲也が癌を克服して復帰することができたら、彼は一体、喫煙の害についてどのように触れるのだろうかとういこと。1日にタバコを3箱も吸うジャーナリストが肺癌になったのだから、禁煙気運の高まる今、何も触れずにはいられないだろう。個人的にはタバコを吸うことの害よりも、煙を撒き散らされることによって周囲の人が受ける不快感を訴えて欲しいものだ。タバコを吸うことの害など多くの喫煙家は認識しているだろうし、タバコの箱にも軽く書いてある、それらを認識した上で彼等は喫煙を楽しんでいるのだから。
とりあえず、何も言わずに隣でタバコを吸い始める人は論外として、隣の人に「タバコ吸ってもいいですか?」と許可を求めながら、さらにその隣の人には何も聞かなかったり、「勘弁してください」と答えるとあからさまに不機嫌になる人はどうにかして欲しいもの。
「喫煙を憎んで喫煙家を憎まず」とうポリシーの下、「彼等もニコチン中毒という病気の被害者なんだ」と考えるようにしてはいるが、それでも不快感と共に印象に残った人の顔にはやはり不快感が伴うのが人間の性(さが)である。幸いなことに現代はネットの普及によって同じ空間にいなくてもいくらでも意見交換ができる。そう考えると、わざわざ人間関係悪化のリスクを背負ってまで喫煙家と長い間行動を共にする必要もないのかな。
投稿者 masato : 2007年05月18日 00:05


