日本のスポーツ競技スポーツへの取り組み方は、ひたすら厳しい練習をこなすことであった。「厳しい練習」=「上達のための近道」という考えが根拠もなく指導者の中に染み付いていたように思う。僕もそのような非科学的なスポーツ文化の中で育ったものだから、中学、高校の頃のサッカー部では、練習中に自由に水を飲むことなど考えられなかったし、真夏には、光化学スモッグ注意報の中、100本ダッシュやうさぎ跳びをやらされることもしばしばあった。
確かに「厳しい練習」も高い技術や強い精神力を身につけるための一つの手段ではあるだろう。しかし、上達のための手段を「厳しさ」とするか「楽しさ」とするかは、やはり本人の意思に委ねられるべきである。
「巨人の星」や「アタックNo.1」の影響なのか、それとも日本には元々「鍛錬」を美とする慣習があったのか、とのかく日本には「楽しさ」を「上達のための手段」として提供する練習環境が少なかったように思う。だから、「厳しさ」を乗り越えた人のみがいい選手になり、いい選手になれたからこそ、指導者として招かれ、自分のしてきた「厳しい練習」を次の世代に強いる。その結果「楽しさ」を求める人は排除され、練習ができないためにいい選手にもなれず、指導者にもなれない。こんな悪循環があったのではないだろうか。
そんな「厳しさ」を重視する日本のスポーツ文化の中で、楽しいはずのスポーツが、楽しくなくなってしまった人もたくさんいたのだろう。ひょっとしたら、退屈な練習に嫌気がさしてスポーツから離れてしまった人の中に、歴史に名を残せるような才能を持った人がいたのかもしれない。
あと10年遅く生まれていたなら、僕も学生時代にもっとスポーツを楽しんでこれただろうな。ときどきそんな風に思う。
投稿者 masato : 2007年05月11日 01:39


