僕の毎日のように利用しているSNSのmixiには「紹介文」という機能がある。読んで字の如しだが、友人を紹介するための文章で、書けばその相手のプロフィールの下に表示されるようになっている。利用者によってはその人の人物像を判断するための手がかりになるのだろう。
先日、友人たちの「紹介文」を改めて見直していた。可能であれば、僕の中の記憶から受けるその人の印象を正確に文章にして「紹介文」を書いてあげたいと思ったのである。
そう思って取りかかったのだが、ある友人の「紹介文」が書けないことに気付いた。会ったのは10回には満たないだろうし、その際言葉を交わすことも少なかった。それでもその後はメールのやりとりを何度も繰り返して、お互いの近況や悩みなど、多くの意見を交換した。それでも書けない。
仕方ないので、別の友人の「紹介文」に取りかかった。この友人と会った回数はもっと少なく恐らく3回、ただ、そのうち2回は2人きりで会って2,3時間ほどいろいろな世間話をした。こちらは、会った回数を考慮すると、意外なほど自分で満足の行くような「紹介文」を書くことができた。
この違いは一体どこから来るのだろう。結局、相手の人物像を理解するためには、メールのやり取りなどいくら繰り返したところで、一度直接会ってじっくり会話することには遠く及ばないということではないだろうか。文字には乗らないもの。つまり直接会って会話して初めて伝わるもの。もちろんそこには容姿も含まれるが、会話に応じて常に変化するその人の表情、その人の視線、その人の姿勢、その人の声など。それらは僕等が思っている以上にその人の人物像を詳細に表現しているのではないだろうか。
投稿者 masato : 2006年09月09日 14:50コミュニケーションにおいて、言葉で伝わるのは3割くらいだそうです。その人の表情、話し方、姿勢などで残りの7割を伝えるそうです。
就職面接ではドアを開けて入って、挨拶をした瞬間から採用するかどうかがほとんど決まっているなんてことも耳にしました。
見かけで人を判断するなとは言うけれど、確実にその人の性格は見かけに現れます。周りの人間を見ていると、表情、目つき、歩き方、姿勢などがその人の性格を如実に物語っていると感じます。
Posted by: nori : 2006年09月11日 14:11同感ですね。
自分も向かい合って座って会話するような状態でないときは、
歩く姿勢、立ち止まる姿勢を最も注意して観察しています。



