人の行動の大部分は「損得」で選択されて決まっている。「損得」というとあまり良いイメージを抱かない人もいるだろう。なにも金銭的な「損得」に限ったことを言っているわけではない。例えば損得の「得」の例を挙げてみる。金銭的なプラス、良い刺激、良い立場、快感、安心感、満足感、達成感、好奇心、自尊心、技術、情報、人脈などである。同じように「損」の例を挙げてみる。金銭的なマイナス、時間の喪失、悪い立場、苦痛、不快感、罪悪感、不安感、嫌悪感、人間関係の悪化などである。勿論これがすべてではない、今挙げた以外にも人生には様々な「損得」が付きまとっている。そして多くの場合、総合的に「得」する行動、または「損」を避ける行動を人は選択しているのである。
もちろん常に頭の意識の中でこんなことを考えている人は少ないだろう。多くの場合それは無意識下で判断されて行動を選択している。
例を挙げてみよう。久しぶりに友人と再会して友人宅近くのカフェでコーヒーを飲みながら話をすることにした。この場合予想される「得」は、友人と話すことによって得られるいい刺激、悩みを相談されて頼られているという満足感、話題から得られる情報、好奇心、友人との人脈の確保などである。同様に予想される「損」は友人宅近くまでの交通費、費やされる数時間ほどの時間の喪失などである。勿論実際に行動した結果が異なることもよくある。例えばカフェがすべて喫煙席だったら煙草の煙に嫌悪感を抱くかもしれないし、会話の中の不用意な言葉から友人を傷つけてしまったら罪悪感を抱くかもしれない。そうやって結果的に「損」の方が大きくなる場合もあるが、人は「得」の方が大きいと予想される行動を選択しているのである。
この考え方に例外があるのかどうかは正直自信がない。個人的には例外があることを望んではいるが、人の行動のすべてがこの考え方で説明が付きそうな気もしている。少なくとも9割以上はこの考え方で説明がつくだろう。
さて、結論へとつなげる。もし自分の行動に迷いが生じたとき、普段無意識下で判断しているこの「損得」を、しっかりと意識して考えてみたらどうだろうか。意外とあっさりその時取るべき行動が見えてくるかもしれない。
投稿者 masato : 2006年09月04日 09:42「愛」は何の見返りも求めない無償の奉仕です。僕はこの「愛」に基づいてよく行動するし、他の人もそうではないでしょうか。家族や恋人、友人のために何かすることが損得で判断されるとは思えない。
9割は言いすぎではないですか。
Posted by: nori : 2006年09月04日 12:20その反論を待っていました。
自分も人間同士の愛、または人間と動物との愛に関しては例外なのではないかと思うのです。でも文章中に挙げた考え方でも大部分が説明できてしまうから悩むところなのです。
よろしければnoriさんが、この行動は明らかに違うだろう?と思っているものを挙げてもらえませんか。できれば具体的にお願いします。
Posted by: masato : 2006年09月04日 12:25自分の子供が命の危機に瀕しているときに、命がけで助けに行く行為に損得を考えないと思います。
恋人のために誕生日プレゼントを買うのはどうですか?そこに自分の損得を考えますか?ナンパ野郎が女の人の体目当てでプレゼントする場合は別ですよ。
自分の赤ちゃんのオムツを替えるという行為にも損得があるとは考えられません。母乳を上げるという行為も然り。
その割合は人によるんでしょうね。少なくとも僕は9割ではないです。もちろん損得を考えるときもありますからね。仕事の報酬とか。
Posted by: nori : 2006年09月04日 12:30>自分の子供が命の危機に瀕しているときに、
>命がけで助けに行く行為に損得を考えないと思います。
「自分の子供を無事に大人になるまで育てた」という達成感という
「得」を得るためだとは考えられませんか?
危機に陥っている子供を助けなかったことによって襲う罪悪感という「損」を
避けるための行動とも考えられませんか?
>恋人のために誕生日プレゼントを買うのはどうですか?
>そこに自分の損得を考えますか?
>ナンパ野郎が女の人の体目当てでプレゼントする場合は別ですよ。
恋人との良好な人間関係という「得」を得るためだとは考えられませんか?
恋人の喜ぶ顔を見て満足感という「得」を得るためだとは考えられませんか?
それとも恋人と長く一緒にいることで安心感という「得」を
得るためのだとは考えられませんか?
>自分の赤ちゃんのオムツを替えるという行為にも
>損得があるとは考えられません。
>母乳を上げるという行為も然り。
上でも述べたように、「一人の命を育てる」達成感という「得」を得るためだとは考えられませんか?
母性本能を満たし、満足感という「得」を得るためだとは考えられませんか?
自分が子供にとって必要とされているという満足感「得」を得るためだとは考えられませんか?
正直自分も上の内容については悩む部分なんですよ。
こうやって説明できてしまうのですから・・・
だから納得のできる理由のついた反論が欲しいのです。
「どうあがいてもこれだけは説明できないだろう」ってのを引き続き待ってます。
>その割合は人によるんでしょうね。
>少なくとも僕は9割ではないです。
>もちろん損得を考えるときもありますからね。仕事の報酬とか。
仕事の報酬は明らかに金銭面の損得でしょう?
文章中でも言ってますよね。
金銭的な「損得」に限ったことを言っているわけではないって。
たぶん認めようとしていない人もいると思います。
あまり意識の上に上ってくるものではないですから。
自分なんかは常に客観的に自分を見つめようと意識している人間なんですよ。
それで毎日欠かさず持っているドナーカードなんかを見て、
「これって自己満足を求めた結果の行動なのかな?」なんて思ったりするんですよ。
>「自分の子供を無事に大人になるまで育てた」という達成感という
>「得」を得るためだとは考えられませんか?
否定はしません。ただその気持ちの中の100%が得を占めるかというと、それは違うと思います。自分の子供が立派な大人に育ったという満足感はもちろんあると思いますけど、まぁそれは1割程度、残りの9割は子供を愛するがゆえの純粋な喜びだと思います。その割合に関しては人それぞれでしょうかね。
おそらく人間のどの行動の中にも「自分への得」「他人への愛」の両方が様々な割合で入り混じると思います。大切なのはその割合です。
仕事の報酬の交渉に愛は入りません。100%損得で考えるべきだし、ビジネスは常にそうであるべきだと思います。自分への得:他人への愛=100:0の割合が理想です。そうであっても人間は情が入ってしまうときもありますからね。だから人事査定は常に公平には行われないと思うのですが。
Posted by: nori : 2006年09月04日 12:59>>「自分の子供を無事に大人になるまで育てた」という達成感という
>>「得」を得るためだとは考えられませんか?
>否定はしません。
否定してくださいよ。それを期待しているのですから。
>ただその気持ちの中の100%が得を占めるかというと、
>それは違うと思います。
>自分の子供が立派な大人に育ったという満足感は
>もちろんあると思いますけど、
>まぁそれは1割程度、残りの9割は
>子供を愛するがゆえの純粋な喜びだと思います。
>その割合に関しては人それぞれでしょうかね。
ということは「愛するゆえの純粋な喜び」という
「得」を得るためということになりませんか?
「喜び」だって「損得」で分類すれば間違いなく「得」に分類されますからね。
できれば推測だけでなく納得のできる理由をつけて反論して欲しいのです。
上でも述べたように「これだけは説明できないだろう」っていう
人間の行動を挙げていただければ充分です。
僕自身もそう思いたいのですから。
>おそらく人間のどの行動の中にも「自分への得」「他人への愛」の両方が
>様々な割合で入り混じると思います。大切なのはその割合です。
「他人への愛」も違う視点で見れば「自分への得」で説明できてしまう。
その部分を否定して欲しいのですよ。
>仕事の報酬の交渉に愛は入りません。100%損得で考えるべきだし、
>ビジネスは常にそうであるべきだと思います。
>自分への得:他人への愛=100: 0の割合が理想です。
>そうであっても人間は情が入ってしまうときもありますからね。
>だから人事査定は常に公平には行われないと思うのですが。
仕事の話に固執するとテーマからずれるていくので広げるのはやめておきますね。
子供が危機に面している時、「損得」を考えられる時間がある場合ならその親はこれから子供にする行為が損か得かを選択して行動に移ることもあるのだろうけれど、その判断さえできない瞬時のことであればどうなのかな。
救える状態ではないと明らかに判断できる状態でもなぜ親は自分の命が犠牲になると分かっていても飛び込んでしまうのかな。
自分の命よりも子の命を救うほうが「得」だから?
そこでどうしても子を救いにいけなかった親は「子」を救うことを「得」だと思わなかった、ということになるのかな?
日本人がホームに落ちた時、韓国人留学生が助けに飛び降り双方とも犠牲になってしまった事故。韓国人留学生は日本人を助けるという行為をする瞬間に「得」を考えていると思う?
損得が考えられるということは、ある程度考える時間があるということだと思うな。
もしその時間がない場合、判断する余裕がなかった場合、咄嗟に人の命を救う場合、そこに損得の判断は必ずあるのかな?
「損特」ですべて説明できるのなら、理性っていうのかな、そういうのが必要なくなってしまうのではないかなって思うな。
>子供が危機に面している時、「損得」を考えられる時間がある場合なら
>その親はこれから子供にする行為が損か得かを選択して行動に移ることもあるのだろうけれど、
>その判断さえできない瞬時のことであればどうなのかな。
無意識下で判断していると本文中でも書いています。
極端に言えば、熱いものに触ってとっさに手を引く行動(反射と言われるもの)と似ています。
はっきりと意識して考えて行動するほどの時間はかからないはずです。
>救える状態ではないと明らかに判断できる状態でも
>なぜ親は自分の命が犠牲になると分かっていても飛び込んでしまうのかな。
これもすでに上で一つの回答の例を述べています。
自分の子供を救えなかったという恐らくその後の人生でずっと続くであろう
罪悪感という「損」を避けるため、と言う考えで説明できてしまう。
>自分の命よりも子の命を救うほうが「得」だから?
間違いではないでしょうね。
でも上で言ったことのほうが行動の説明としては近いように思います。
>そこでどうしても子を救いにいけなかった親は「子」を救うことを
>「得」だと思わなかった、ということになるのかな?
そうなりますね。
言い換えるなら、
救わなかったことで、その後の人生で受け続ける罪悪感という「損」よりも
その後の人生でその人が得られる満足感や達成感や快感などの「得」の方が
大きいと判断したことになりますね。
もしくは単に行動する時間すらなかった結果そうなったのか。
その辺はどういう状況を想像しているかによって回答は変わりますね。
>日本人がホームに落ちた時、
>韓国人留学生が助けに飛び降り双方とも犠牲になってしまった事故。
>韓国人留学生は日本人を助けるという行為をする瞬間に「得」を考えていると思う?
繰り返しになりますが、無意識下で判断していると書いています。
本人に「考えている」という実感はないはずです。
まぁ、この状況では考えている時間もあるかもしれませんね。
恐らく自分が同じ立場に立たされたら
助けなかったという罪悪感「損」を避けるために飛び込むでしょうね。
落ちたのがただの酔っ払いだったりしたら見捨てるかもしれませんけど。
>損得が考えられるということは、ある程度考える時間があるということだと思うな。
これも何度も言っています。
「考えている」という実感は伴わないはずです。
>もしその時間がない場合、判断する余裕がなかった場合、
>咄嗟に人の命を救う場合、そこに損得の判断は必ずあるのかな?
とりあえず質問に矛盾を感じますね。
「判断する余裕がなかった場合」と言っているのだから
判断はなかったんじゃないですか?
それで咄嗟に人の命を救う場合、
というのが一体どういう状況を想像しているかわかりません。
そんなことがありえるならむしろ反射という行為に
近いものになるのではないでしょうか。
>「損特」ですべて説明できるのなら、理性っていうのかな、
>そういうのが必要なくなってしまうのではないかなって思うな。
それは失礼ですが全く別の話です。
「理性」は不要にはならないでしょう。
「損得」を判断するのも理性ですから。
「理性」がなくなったら残されるのは「本能」です。
つまり人間から「理性」がなくなったら強盗や殺人、レイプが頻発するということですね。
>「他人への愛」も違う視点で見れば「自分への得」で説明できてしまう。
>その部分を否定して欲しいのですよ。
これは愛ではないですよ。得です。愛とは無償の奉仕ですから。本当の愛とはどんな視点から見ても愛です。抽象的ですみません。
masatoさんは、物事を客観的に見て、論理立てて解決していこうというアプローチがお好きのようですが、愛は理屈ではないのです。デジタルに分析はできないですよ。
本能みたいなものですよ。性欲、食欲、睡眠欲を満たすのに理由はいらないでしょう。愛もまた然りです。愛は理屈ではなく理論でもありません。
もし自分が愛だと思っていたものが論理的に解釈できてしまっていたら、それは愛ではありません。
Posted by: : 2006年09月04日 22:44上の発言は私です。
Posted by: nori : 2006年09月04日 22:45>これは愛ではないですよ。得です。愛とは無償の奉仕ですから。
>本当の愛とはどんな視点から見ても愛です。抽象的ですみません。
そう言いたいのはわかります。
ただ、何の説明にもなっていませんね。
ご自分でも説得力がないのがわかっているのでしょう。
抽象的過ぎますね。
一番最初に「「愛」は何の見返りも求めない無償の奉仕です。」と発言して
そこに説明を求めようと追求して来たのにまた最初に戻ってしまうのですか?
最初のようにたくさん例を挙げて頂いて
その中に「損得」で判断きない人間の行動があれば
自分は例外として受け入れますよ。
むしろ自分はそういう例を歓迎したい気持ちでいるのですから。
それすらお手上げですか?
>本能みたいなものですよ。
本能に従った行動だって
本能を満たして満足感という「得」を得るための行動と
言い換えることができます。
>性欲、食欲、睡眠欲を満たすのに理由はいらないでしょう。
それは少し違いますね。
「理由」という言葉はここでは不適切な気がしますが、
今までの考え方に置き換えるなら、
性欲、食欲、睡眠欲を満たして満足感という「得」を得るための行動。
もしくは、満たされない性欲、食欲、睡眠欲という
不快感「損」を避けるための行動として説明できます。
>もし自分が愛だと思っていたものが論理的に解釈できてしまっていたら、
>それは愛ではありません。
自分はそうは思わないんですよ。
人が「愛」とひとまとめにくくってキレイに表現しているものも
結局は「損得」をまとめて表現したものにすぎないって思います。
例えばある人の恋愛の話をしましょうか。
その人には愛する女性がいました。
電話で彼女の声を聞くだけで癒されるという「得」を得ていた。
可愛い彼女と一緒に並んで街を歩くだけで自信という「得」を得ていた。
部屋で一緒にいるだけで安心感という「得」を得ていた。
彼女の笑顔を見るだけで満足感という「得」を得ていた。
彼女と言葉を交わすだけでいい刺激という「得」を得ていた。
・
・
・
(実は自分の話です)
もちろんいちいちこんなことを考えて付き合っていたわけではありませんよ。
「この女性と一緒にいるとなんかいい気持ち。」程度の認識だったでしょうね。
後で、その女性に何を求めていたかを客観的に捉えようとすると
こういう見解になるということです。
とにかく「愛」と呼ばれるものも論理的(これを論理的というのだろうか?)に
解釈できるでしょう?
これがnoriさんのおっしゃるように
「愛」じゃないというならずいぶん無礼な話ですね。
自分が「愛」だと思っていたものは一体なんだったのだろう?
あの胸のドキドキは?あのときめきは?ってね。
恐らく説得力のない理由を並べてまで
反論したくなる理由の一つに「損得」という
言葉の響きがあるのでしょうね。
一般的に「損得」という言葉は金銭・物などに限って使われることが多く
悪い印象ばかりを植えつけてしまっているのでしょう。
だからといって
「損得」という言葉の響きだけに気持ちを左右されて
盲目にはなって欲しくないですね。
い〜もん、盲目でも。ボクはボクの信じる愛の中に生きて、今幸せいっぱいだからい〜のv(*'-^*)bぶいっ♪
ε=(=`・´=) プンスカプン!
凸(`△´#)凸
Posted by: nori : 2006年09月05日 00:55>noriさん
え〜〜〜〜
ギブアップですか・・・・
「9割は言いすぎではないですか。」なんて台詞で
勢い込んで乗り込んできたのだから
少なくとも1割は例外を示してもらえると期待していたのに
結局、何一つ示せていませんよ・・
自分も「人間はそんなに単純じゃない」って思いたいから
「例外がない」とは言わず「9割以上」という表現で
例外の入る余地を残しておいたのに。
このままでは100パーセントになってしまいますよ。
まぁ、仕方ないですね。
自分の中でも例外は1つか2つしか出てませんから。
たくさんのコメントありがとうございます。
このやり取りが本文の補足説明になったと思います。
反論が一段落したようなので
ここで本文を書いて以降ずっと考えていて思いついた例外、
つまり「損得」で説明できない人間の行動を挙げておきますね。
まず、反射という行動です。反射といってもいろいろありますが
一番馴染みのあるものは恐らく
膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)と呼ばれるもので
膝のすぐ下を軽くたたくと、足が上方に跳ねるという反応です。
きっとイタズラ半分で試してみたことがある人も多いのではないでしょうか。
これを「行動」の中に含めていいのか少し悩みましたが
辞書で「行動」を調べてみると、その説明の一つに
「外部から客観的に観察できる、人間や動物の行為や反応」という
記述があるので問題ないでしょう。
次は、気が動転している状態の人間の行動で稀に起こるようです。
これについては自分は体験したことがありません。
最近読んだ、日航機墜落事故の生存者の証言にこんな箇所があります。
─────────────────────────────────────────
目を開けたら、病院でした。お医者さんから
「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて、奇妙な返事をしました。
「はい、二、三回きたことがあります」って。
そんな馬鹿な、と自分では思っているのですが、わかっていながら、
そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。
─────────────────────────────────────────
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm
(吉岡忍著「墜落の夏」新潮社より)
この行動などは「損得」では説明できないと思います。
次は、寝起きの状態での行動。一般に寝ぼけているという状態です。
これは自分でも一度だけ経験があります。
おそらく中学生の頃の話ですが、
母に起こされて、すぐにシャツを脱ぎました。
母が何か言ったので、またすぐにシャツを着ました。
それを2回ほど繰り返したのを覚えています。
これも「損得」では説明できないんですよね。
恐らく脳の眠り(ノンレム睡眠)の最中に起こされるとこういうことが
起きるのではないかと考えています。
以上、いろいろ考えて出てきた例外は上に挙げた3つだけです。
上の3つすべて合わせても人間の行動の1割どころか
1パーセントにも満たないでしょうね。
「9割以上」と本文中で記述していながら
「9割でも控え目すぎたかな?」と今は思っています。
どうも。nakamotoです。
バトルが一段落したようなので。
面白いですね。うん。言語化(うーん、正確には文章化)することで、行動に対して説明を加えようとするのは如何にもmasatoさんらしい。
「人間の行動は全て損得で選択される」強烈なメッセージですね。どこが強烈かと言うと本人もおっしゃってますが、「損得」の部分ですよね。響きが・・・悪い。
「プラスの感情(感覚)」と「マイナスの感情(感覚)」くらいで捉えてみると僕が普段思っていることとも完全にリンクします。
ほとんど変わらないんですけどね。「損得」をもの凄いスピードで考えて行動を選択していることって結構多いですから。
でも、言語化したり、文章化したりすることで、何だか虚しくなってしまうこともありますよね。そういうときはあんまり考えないようにしてますが・・・
Posted by: nakamoto : 2006年09月21日 23:07>nakamoto
そう。本当に響きが悪い。
決して悪いことだとは思っていないのに
「損得」という言葉は人に悪い印象を与えてしまう。
今回のこの反論の強さは
言葉が人に与える印象の強さを僕に教えてくれたよ。
確かに「損得」という言葉じゃなければ
みんなもっとすんなり受け入れてくれたかもしれないですね。
ちなみに言葉にすると物凄く印象が変わってしまうもの(?)って、
他にもたくさんありますよね。
例えば「愛」とか「努力」とか「友情」とか・・・
とても大切なものなのに、言葉にした途端に
ものすごく陳腐なものに変わってしまう。
だから僕はこういう場所以外ではこれらの言葉を決して使わない。
Posted by: masato : 2006年09月21日 23:21


