実家で療養生活を送っているせいか、最近、友人とのメールのやりとり、ブログ、読書感想など意思を文字にすることに割く時間が増えたように思う。そんな折、ふと自分の書いた文章が気になった。
「恐らく〇〇だと思う。」
普段なら気にも留めなかっただろうが、このときはなぜか気になった。繰り返し読んでから思った。「自分の言葉の責任から逃げている」と。もちろん意思を文章にする際には、断定を避けなければならないことも多々ある。この場合「恐らく」も「だと思う」も推定を表す言葉である。その推定を表す言葉を二つ同時に使う必要があるのだろうか。それとも二つ同時に使うことによって推定であることを強調する文章になるのだろうか。
「恐らく〇〇である。」
これで表現としては十分のような気がした。そして、結局僕も日本の曖昧表現の文化にしっかり染まってしまったのだと思った。日本のテレビの中で発言する評論家のように、常に言い逃れの道を用意している政治家のように、僕も無意識のうちに必要以上に長く、責任のない言葉を並べてもっともらしいことを言っている人間の一人になっていた。
投稿者 masato : 2006年08月26日 15:43


