サッカーワールドカップで早々に敗退が決まった今になって、「日本代表を強くするには」というテーマで多くの議論が交わされている。それらの意見に目を通してみると、Jリーグでの外国人枠の拡大や縮小、優秀な代表監督の選別、選手の海外移籍の推奨だったりと、賛成できる部分も出来ない部分もある。しかし、どんな方法を取ったとしても日本の選手達の技術は遠くない未来、といっても10年、20年はかかるだろうが、世界のトップに迫ることだろう。
しかし今回のワールドカップの日本代表の試合と他国の代表チームの試合を見比べて、多くの日本国民が失望したのは、日本選手の技術レベルの低さよりもむしろ「戦う気持ち」の乏しさだったのではなかっただろうか。隣の国の韓国も残念ながら同じようにグループリーグで敗退してしまったが、ゴールに迫る「戦う気持ち」は日本のそれとは比べ物にならないほど強く表に出ていた。それは多くの人が認めるところだろう。この違いは一体どこから来るのだろう。今回はこんなテーマで書いてみたいと思う。
日本人は「戦う気持ち」の少ない国民なのだろうか。そんなことはない、国内のJリーグの試合でさえ、ときに選手達は恐ろしいまでの「戦う気持ち」を見せる。J2への降格争いなどはその典型で、選手達は得点が入れば異常なまでに喜びを爆発させるし、試合が終われば力尽きてグランドに倒れこむ。では、日本代表の試合とJリーグの試合にはどんな違いがあるのだろうか。それは「所属意識」の違いである。選手達はチームへの「所属意識」があるからこそ「自分のチームを勝たせよう」と一生懸命になり、それが「戦う気持ち」となって現れるのである。
Jリーグのチームでは、選手達は毎日のように同じメンバーで顔を合わせ、練習し、試合に挑む。それに対して代表チームでは、毎回1週間程度みんなで一緒に合宿を行ってから試合に挑む。チームで過ごす時間の長さにはあまりにも違いがある。そして選手達から見れば代表チームは試合で結果を出せなかったり怪我をしたりすればすぐにメンバーからはずされるような冷酷なチームである。「所属意識」に違いが出るのはむしろ当然である。もし代表チームに強い「所属意識」を持てる選手がいるとしたら、それは常に代表チームに招集されて、長い間代表チームでプレーするような本当に優れた選手だけである。
さて、それでは代表チームに強い「戦う気持ち」を求めることは不可能なのだろうか。そうとは限らない、なぜなら代表チームの「戦う気持ち」は代表チームへの「所属意識」からではなく国への「所属意識」から来るからである。
そして、この国への「所属意識」こそ、日本と他国の決定的な違いなのである。なぜなら日本人は国への「所属意識」が非常に薄い。もちろん、昔から国への「所属意識」が薄かったわけではない。太平洋戦争の時代までさかのぼればそれは「大和魂」として大国を脅かしていたのだ。しかし、敗戦国となり、アメリカの指導の下に民主化が進むにつれてそれは次第に失われていったのである。
現代の日本には、韓国のように徴兵制で国への「所属意識」が強まるような制度なければ、独立を勝ち取った経験もない。日本国民の国への「所属意識」が薄れているのは仕方がないことでなのである。もちろん育ってきた環境によって国への「所属意識」の強さは若干異なる。強い「所属意識」の日本代表を見たければ、そんな性格の選手ばかりを代表に召集すればいいのかもしれない。しかし、それでも平均的に見たらやはり国への「所属意識」の薄さは否めないだろう。
各国の代表チームのサッカーにはその国の文化が反映されるという。国への「所属意識」が薄いのが日本の文化であるのなら、それが「戦う気持ち」の乏しさとして反映されているのもまたサッカーの面白さであり、今回のワールドカップはそれが如実に現れた結果と言えるだろう。
僕は思う。強く「戦う気持ち」を表に出して戦う日本代表のサッカーは見てみたいが、今の日本の文化は嫌いじゃない。徴兵制なんてない方がいいし、卒業式に「君が代」を歌うことだって強制されたくない。独立するための戦争なんて絶対いらないし、そもそもそんなものは今の日本には必要ない。この国は平和でいいじゃないか、と。
いつか技術の高さだけで世界とわたりあえる日が来るかもしれない。そんな日をのんびり待つとしようじゃないか。
投稿者 masato : 2006年06月30日 09:27


