2005年10月04日

人生の中で一瞬しか関わらないような人に対して

学生時代のこと。通勤ラッシュの時間帯に東京の上野駅から埼玉の大宮駅に向かうことがよくあった。宇都宮線や高崎線の始発駅であった上野の駅では、ホームにはすでに同じ路線の列車が多数停車している。そんな中、ドアすら開いていない列車に列を作る人達もいる。きっと仕事で疲れ切って、さらにこの先1時間、2時間もの長い時間列車に揺られて帰途に着く人達なのだろう。彼らは15分待ってでも座って帰りたいのだ。たった30分程度の帰途の僕でも彼らの気持ちはなんとなく理解できる。そして、そういう人達が多くいるせいか、座席に座れる乗客の多くは長い時間ホームで並んで待った人ばかりなのだ。

しかし途中駅の赤羽でさらに人が乗車してくる。その中にはたまに年老いた人もいる。そんな時、席を譲る人もいるが譲らない人もいる。たまたまその時の僕は彼が長い時間ホームで待ってようやく座ることができた事実を知っていたから譲らなかった人の気持ちも少し理解できる。しかし世間の目は冷たい、その彼は乗客達のプレッシャーを受けたことだろう。そのプレッシャー自体、彼自身の良心が作り出したモノなのかもしれないのに。残念ながら世間の目の多くは、その一瞬の一コマで人の善悪を判断するのだ。前後関係を理解する術(すべ)がないのだから仕方のないことだ。

でも、そんな世の中で、人生の中で一瞬しか関わらないような人に対して、前後を理解しようと努力した上で善悪を判断する。そんな気持ちを常に持ち続けている人こそ大きな存在価値があるのではないか、そんなことをふと考えた。

投稿者 masato : 2005年10月04日 13:06
コメント

沢山の人と関わる者として・・・
一瞬で判断するのではなく、
もっとその人を理解できるような、
そういう人になりたいと、
思う毎日である・・・

しかし、
それも自分中心の考えでしかないのかも知れない・・・

Posted by: sky&sea : 2005年10月05日 00:33

存在価値。。。。
むずかしいですね、、、、よくわからないけど、運はあると思うな。
そもそも善悪を判断できない人もいるのだろうし、ある行いだけを見て軽率に人の善悪を判断する人もいるだろうし。
そういう人は運が悪いのだろうと思う。
そうでなく生まれただけ、人の善悪について真剣に考えられるだけ、運がいいのだ、と。。。
強運なのだと思いますよ。

運命論者ではないつもりだけど、最近そんなふうに思う。人の一生を左右する運について考えます。
善悪は大した問題ではなく、
(だって内面に矛盾を抱えた人間の善悪ほどアテにならないものはないし、たとえ金持ちでも馬鹿でもどんな人でも、そもそも同じ人間のすることには大して変わりはないじゃないか?なんて・・・失礼・・)
人間の幸不幸を分けるのは運次第ではないか?と。
 
自分の前にたまたま老人が立ったのも運だし、そのとき自分がたまたま席を譲れないほど疲れていたのも運だし、それで他人に自分の人間性を判断されたのも運が悪かったのだろう、、、、と。
 
運が良ければ、どんな形であれ、またいい目にもあうだろう。
自分の強運が信じられないなら、それはそのときはっきりするだろう。
そう思うとワクワクする。
先が楽しみになるでしょう。

ちなみに私、かな〜り性格は悪いのですが、思えば今まで、強運に恵まれて生きてきました。
分不相応のいい目にもたくさんあいました。
たくさんの人から優しさをもらいました。
そんなラッキーな人間もいます。

だから、自分の運を下げるような人とは付き合わないほうがいいと思うし。
決して、自ら自分の運を下げるような言動はしてはいけないと思うし。
他人の運を下げてもいけない。
あと、自分の強運を確信して、毎日を前向きに生きることですかね。。。。

前向きは十八番でしょう。
経験談ですが、自己批判も他者批判も、ツキを呼びませんので、気をつけて!

世の中で一瞬しか関わらないような人が、すべてきらきらして見えたら、思い出されたら、最高ですね。
たとえ理解できなくても。。。

Posted by: : 2005年10月16日 01:09
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