人は「楽しい記憶」を蓄えるために生きている。「楽しい記憶」というのは、人を喜ばせた満足感だったり、何かをやり遂げた達成感だったり、家族や恋人と過ごす幸福感だったりさまざまである。時間やお金を優先して蓄えている人もいるが、それはこの最終的な目的の手段として蓄えているに過ぎない。
そして、古い記憶は薄れ、新しい記憶によって上塗りされていく繰り返し中の、その人が「死」を悟る瞬間。そんないつ訪れるかわからない一瞬において「悲しい記憶」より「楽しい記憶」が多く存在する。それだけのために人は一つ一つの行動を選択するのである。
・・・というのが人の生きている間の行動を説明しようとしたときの自分なりの答えであった。
しかし、今日テレビで記憶障害に悩む人々のことを放送していたのだ。交通事故などで脳の一部に障害を負った彼らは、昔の友人の名前はもちろんのこと、その日の午前中の食事の内容すら覚えることができないのだという。
しかしそれでも彼らは生きるのだ。自分たちにもできる仕事を探してそこで生活費を稼ぐのだ。それが本人の意思であるならば、「楽しい記憶」を蓄えることができない彼らは、なんのために働き、なんのためにお金を稼ぎ、なんのために生きるのだろう。



