2005年05月31日

どん底日記 20050531

数ヵ月後、自分でこの日記を読んで笑うといい。
「あの頃はどん底だったな〜」って
ちょっと感情的に書きたいから一人称で「俺」を使ってみる。
普段は「俺」なんだよね・・。

例の症状は今日はかなりひどい。
吐き気がすごいし、「揺れ」も結構すごい。
日曜日の昼間から薬を飲んでないせいかな。

それでも月曜の定例行事の社内ミーティングではみんなやたら明るくて
新しいロゴマークで「わが社は笑顔を絶やさない」なんて盛り上がって、
とても付いていけない。
もともと笑顔の下手な俺が、こんなに吐き気むんむんで笑顔なんてできるわけない。

1週間前の社内ミーティングでは
自分の症状でみんなに迷惑をかけていることもあって、
今と、今どんな治療を受けているかと、もう少し迷惑をかける旨を伝えたけど
今日はさらに調子悪くて、もはや改善方法も見えないから何もいえなかった。

そんなで、もう精神的にかなりまいってるのを感じる、
まさか自分がこんなデリケートな生き物だったとは・・・
なにがつらいって、これがいつまで続くかわからないのがつらい。
2年前、足を折ったときもいろいろつらいことあったけど
あのときは「せっかくだから本をたくさん読もう」とか
「これを機会に趣味を増やそう」とか例によって前向きに思えた。
あのときとは比較にならないくらいつらい。

社内で同僚が結構バタバタしてるんだ。
本当は俺が行くはずの打ち合わせや、俺がやらなければならない作業で。
もちろん俺も会社に行っているから作業はしているけど、
乗り物にすごい酔うし、閉鎖的な空間がもはや恐怖の対象だから、
打ち合わせは出れないし、長く話すと口のなかから出てきそうであまり声を出すのも控えているし、
それを社長をはじめ気遣っての結果が今の状況なんだけど、これも1ヶ月も続くとね。

薬を飲まなかったのだって、
薬が明日切れるけど、みんなに「医者に行ってきます」なんて
この大量に仕事をこなしている状況で
言いずらくなって、少しでも薬を取りに行く日を先延ばししようとしての結果だ。

人数の少ない会社だから最近仕事が増えてきて、
社長も俺に大量の仕事を振らざるを得ないんだ。
普段なら結構淡々とこなしている仕事の量なのかもしれないけど
ものすごく多く感じる。
いつ落ちるかわからないPCで保存せずに何十時間も作業しているような感じ。

つらいのは、人数の少ない会社だから
俺がリタイヤしたらほかの人がさらにつらくなるってことなんだよ。
リタイヤしてもいつ直るって保障がないからつらいんだ。
だから、一ヶ月くらい前なら「具合が悪いからちょっと休む」って口にできたことが
今は口にできずに、強烈なめまいと戦いながら無理してパソコンの前に座って
どうしようもなくなったら、誰もいない下のフロアでみんなに見られないように横になって
そんなことを繰り返しながら仕事をしてる。
それが、さらにストレスになって症状を悪化させているんだろうと思いながらもどうにもならない。
「みんなごめん!」って仕事放り出せるくらい責任感のない人間だったらよかったのに。

さらに通勤がつらい、田園都市線の、溝の口から渋谷までの区間。
急行なら13分、各停なら20分の距離。
これだけの時間でも電車がきついんだ。
いつ吐き気が襲うか・・なんてびくびくしながら、
ほかの乗客に最悪の迷惑をかけることのないようにスミのポジションを取るんだけど、
外を見るとまた酔いやすくなるらしいから上の広告をずっと見つめているんだ。

それなのに帰りは0時42分、渋谷発の最終電車に乗ってるから俺はアホだ。
もし、途中で気分悪くなって降りたらもう電車ないのに、
もうタクシーじゃないと帰れないのに、
さらに言えば、タクシーだともっと酔うかもしれない。
歩いても2時間ぐらいだから最悪それもいいかと、
前向きに考えても追い討ちをかけるように今日は雨なのに。

明日は5月31日。
もう、覚悟を決めて社長に言おうかな。
「6月中に改善の見込みがなければやめさせてください。」って。
そうすればこんなにつらいのもどっちにしろあと1ヶ月。
そう思えばなんとか我慢できそうな気がする。
どっちにしろ1ヶ月はたぶん精神的にも持たなそうな気がする。

たぶん社長からは言ってこないだろうな。
なんだかんだ感情的で長く一緒にやってきた社員には冷たくできない人だから、
2年ほど前までいた女の子でもずっと熱が下がらなかった子がいたけど、
彼女に対しても社長はそうだった。結局その子は2ヶ月ほどで「辞める」って決断を下したけど。

そういう決断を下しても、
きっと本調子に戻って、新しい生き方を見つけたら
「あのときの決断は正しかった」っていつものごとく前向きに考えられるんだ。
「あの症状があったから、仕事漬けの毎日からおさらばできたんだ」って。

あ〜〜
これ書いて
自分をどん底まで落とした気がする。あとはあがるだけかな・・

投稿者 masato : 03:42 | コメント (7)

2005年05月29日

「気晴らし」って何?

原因不明の症状に悩まされてもう一ヶ月が経つ。ずいぶん回復したとはいえ、今でも体がときどき強烈な「揺れ」を感じ、妙な吐き気に襲われることがある。そのせいで人と会うのも、乗り物に乗るのもかなり控えている。
結局診断の結果は「内耳の障害」ということ。ただそれも僕が訴える症状から医者が判断した結果で、レントゲンを撮って「あ、骨折してますね」というようなはっきりした病気と比べると不確かなものだ。

原因は「仕事のしすぎによるストレス」。それがイマイチ信じられなかった僕は、ずっと1月のサッカーの試合中の頭部の強打による脳の障害を疑っていたが、金曜日にMRIの結果が出て、その線も消えた。ほっとした反面、改善の方向性がはっきりしない分複雑な気持ちである。

医者の判断と僕の認識を合わせた結果こうなる。
平日は朝から終電の時間までパソコンの前に座って細かい仕事を続けて、土日は朝から晩までスカッシュ、サッカー、フットサル・・・。つまり気持ちの休まる時間がないことが原因らしい。

改善方法として医者はこう言う。「気晴らしをしてください。のんびり散歩するとかね。」

結局、サッカー、フットサルはチームプレイのため、突然体調不良に襲われてみんなに迷惑をかける可能性もあるため自粛し、今はスポーツはスカッシュだけに絞っている。
昨日は大森でのスカッシュしか予定がなく、医者から言われた「のんびり散歩するように」との言葉を半分ほど実行するために、大井町線の荏原町の駅で降りて大森まで30分ほどの距離を歩いた。

そして、今日は何も予定はなく、本当は会社に行って仕事を先に進めておこうと思っていたのだが、「気晴らし」ということで多摩川の脇で座ってのんびりした、空の写真を撮ったり、目の前を歩く鳩の写真を撮ったり、周囲のカップルや、浅瀬で遊ぶ子供をやさしそうに見つめる母親を眺めたり、そのうち持ってきた本を読み出す、熱中しそうになって気づく。これがいけないのかもしれない、と。

家に帰って、昨日スカッシュの友人が撮ってくれた練習中のゲームの映像を見る。自分より上級者といえる人がいないせいで、自分のプレーの欠点はこうやって客観的に自分を眺めて、ひたすら自分の欠点を探さないとわからない。「構えが遅い」「ショットが短い」。再生スピードを遅くしたり、ほかの人のフォームと比較したりしながら、2分程の映像を最終的に80回近くは繰り返し見ただろうか。そしてまた気づく、これがいけないのかもしれない、と。

「気晴らし」ってなんなんだろう?目的のない時間のことか?
そんな時間を過ごすのは無理だ。社会人になってから仕事に費やす時間が多くなって、大学時代の自分を「今まで貴重な時間をどれだけ無駄にしてきたんだろう・・」って反省して、少なくともここ6,7年はそんな目的のない時間がイヤでたまらなかったのだ。それをいまさら「気晴らし」なんて・・・

何かを成し遂げる人間ってのはみんな、そういう毎日を送っているものじゃないのかな?。

投稿者 masato : 23:27 | コメント (0)

2005年05月28日

勉強会?

「勉強会をやろう」

うちの社長が言い出した。毎週、曜日を決めて、その日に社内のみんなで集まってひとつのテーマを勉強するのだそうだ。意図としては「社内の技術共有と知識の向上をはかるため」といったところである。

そういえば何年か前にも勉強会なるものをやっていた。しかし、2,3ヶ月でいつの間にかなくなったことを覚えている。確かに今ならあの頃とメンバーの質も違うし、少し違ったものになるかもしれない。それでも僕には見える、今回も同じように数ヶ月で自然消滅することだろう。

WEB業界のような進歩の早い業界で、何年いられるかわからないような小さな会社では、社内の同僚はたまたま現在、同じ会社に所属しているだけで、結局のところ社内にいる人間も社外にいる人間も「WEB業界で生活する」という同じ目的を持った「競合相手」である。そんな相手にたずねられてもいないのに自分の知識を提供しようなどという人間は多くはいないだろう。(もちろん足を引っ張るぐらい知識のない人には最低限のことは教えざるを得ないが・・)

とはいえ「勉強会」という名目で各自がテーマを出し合うのだから、会社という組織の下で生きる以上、それをまったく無視することはできない。懐かしのカードゲームのUNOに例えるなら、「Wild Draw 4」を隠して「Draw2」を出して、「私が持っているカードはすべて出したよ」という顔をするだけだる。そのうち、「Reverse」や「Skip」の応酬が繰り返される薄い内容と、それに費やす時間とを天秤にかけて、誰も勉強会の時間になっても動き出そうとしなくなる。「そんなことに時間を使うのであれば、自分で本を読むか仕事を先に進めて早く帰って趣味に走ったほうがずっとましである。」というようにである。。

つまり勉強会をやりたがる人間は
(1)ずっと会社にいる決心がついている人間(会社の利益が自分の利益につながる)
(2)自分で知識を身につけずに人に知識にあやかろうという人間
(3)なにも考えていない人間
(4)タダ単にみんなで「わきあいあい」が好きな人間
(5)人に知識を与えることで満足のできる人間
(6)時間の貴重さを知らない人間
このうちのどれかだろう・・

「勉強会」を始める前に、会社がしなければいけないのは、会社の方針を明確にしたり、社員を増やしたりして、「いつまでもこの会社にいられる」という感覚を社員に与えることだ。今の会社に対してその感覚を僕が受けたとき、僕は(1)の条件にマッチすることだろう。社員の大部分にそういう感覚を与えたとき「勉強会」は非常に有意義なものになることだろう・・

ただし、「いつまでもこの会社にいられる」といような感覚を受けた場合、みんな今ほど必死に知識を取り入れようとするだろうか、そんな疑問は残る・・。会社経営って難しいだろうな。

投稿者 masato : 13:56 | コメント (0)

2005年05月26日

中吊り広告の進化

最近の電車の中吊り広告はすごい、「中吊り広告」といっても、それが車内の「中」に吊ってある広告という意味であればもはや「中吊り広告」という言葉自体問題があるのかもしれないが、とにかくここ5年ぐらいでずいぶん変わってきた。

例えばそれは、立体的な広告だったり、つり革が新発売の缶コーヒーに変わっていたり、ドアが開くという動作をうまく利用した広告もある。電車の外側に広告を掲載したものもあり、以前、列車の窓からTシャツを着た女性の腰から首までが見えている、という窓枠まで含めた写真の広告が貼られていたときにはその窓から飛び込みそうになった(これは嘘)。

ところで、僕の利用する田園都市線にもついに5月9日より「女性車両」なるものが登場した。僕は変態ではないので女性車両にはまだ乗ったことがないが、最後尾の10両目を女性車両としているために、9両目は実質「男性車両」状態になっているそうだ。シルバーシートや弱冷房車、一般車両にはないが禁煙車両などは昔から存在しており、かなりゆっくりではあるが電車の中での人種の住み分けは確実に進んでいることを感じるのである。

それならば、中吊り広告もこれに対応しない理由はない。
そのうち、女性誌や化粧品の広告は「女性車両」に集中することだろう。そう考えると残念だ。女性誌の広告のキレイなモデルを見るのも好きだったのに・・・、さて、そうなると男性誌やアデランスの広告は実質「男性車両」状態の9両目に集中する。さらには風邪薬の広告は、風邪をひきやすい人が乗るであろう弱冷房車に集中し、墓石やホスピス、産婦人科の案内などはシルバーシートの付近に集中する・・・・

ここまで極端にはならないにしても、多少なりともそういった動きが今後見られそうな気がする。そんな中吊り広告の進化の過程を少し興味を持って見守ってみることにする。

投稿者 masato : 23:18 | コメント (2)

2005年05月25日

若者言葉はすごい

「アサーション」という言葉を1年ほど前からよく耳にするようになった。言葉の意味はそれぞれ微妙に解釈が違うのだが、僕の中では、

相手に不快な思いをさせずに自分の主張をしっかりと伝え、かつ相手の話にもしっかり耳を傾けること

という解釈である。
つまり攻撃的に言い過ぎて相手を不愉快にさせたり、逆に相手に嫌がられることを恐れて、自分が言いたいことをしっかり理解してもらえなかったりすることのないような、コミュニケーションの理想形である。

話は変わるが最近の若い人は昔に比べてずいぶん変わってきたようだ。もちろん食生活の変化に伴ってがスタイルがよくなってきたことはよく語られることがだ、考え方も確実に変わってきている。何年か前、プロ野球のルーキーが「年俸○○千万円でサインしました」と明言して、その人だけ「推定○○千万円」の「推定」の文字がなかったことは僕の中には強く印象深く残っている。

その一方で若者言葉というものも次々発明されていく、例えば「私的には・・・」「・・・みたいな〜」「・・・って感じ」「○○とかする?」の「とか」など、例を挙げ始めたらきりがない。語尾上げなどもそれである。これらの表現には共通点があり。それは「曖昧さ」をふくんでいるということである。たとえば「私的には・・・」という表現は、「他の人に考えを押し付けるつもりはないけど、僕はこう思う。」というように、断定を避けて逃げ道が用意されているのである。

さて、やっと本題。先ほどの「アサーション」と若者言葉にはおもしろい因果関係があって、10代後半から20代の人にアンケートをとった結果、上に挙げたような若者言葉を普段使う人のほうが使わない人よりも、「人間関係がうまくくいっている」と感じている割合が高いのだという。

つまり若者言葉の「曖昧さ」は主張を柔らかく、しかもしっかり相手に伝えるのには非常に有効で良好な人間関係を気づくのに役に立っているのだ。

元々物事を明言しないのが日本の人間関係の文化である。それは今の政治家や不祥事のお詫びをする会社の社長などの話を聞くとよく分かる。若者言葉は、そんな特異な日本の文化の中で人間関係を良好に保ちつつ、それでいて自分の主張をしっかりと伝えるために生まれた高度なコミュニケーション手段なのかもしれない。

それでも、頭の固い大人たちは、これからもずっと、若者たちに「そんな言葉遣いするな!」などと言いつづけるのだろう。

人も文化も言葉も、時代とともに変わるのは当然のことなのだ。

投稿者 masato : 20:10 | コメント (2)

2005年05月22日

アライグマ・・

今日の日経新聞の社会面にこんな記事があった・
「マンションにアライグマ4匹 川崎、野生で繁殖か」
内容としては川崎市高津区蟹ヶ谷のマンションの出入り口付近にアライグマ4匹がいるのを小学生が見つけ、高津署が保護したということだ。ニュースになるほどすごいことだったのか。

え〜と、誰に言ったっけな。実家に帰ったときに親には言ったような気がするけど
帰り道、一度、会社帰りの高津幼稚園の前でアライグマ見たんだよ。「あ、アライグマだ」と思いながらもそんなにすごいことだとは思わなかった。ホントなんだけどな。

【参考サイト】
日経のサイトに載ってなかったので「サンスポ」のサイトから
http://www.sanspo.com/sokuho/0521sokuho034.html

投稿者 masato : 22:47 | コメント (0)

2005年05月20日

必要なのは「意思」

半分眠りながら見ていた番組だから、どこの国の話だったか記憶が定かではないが、たしかアメリカか、ヨーロッパたったと思う。そこの国では最近、定年後に習い事をする人が増えているという。「同時多発テロ」などで治安が悪化し、死が思っていた以上に近くにあることを感じたのだろう。何が自分にとって本当に幸せなことなのかを人々が改めて考えるようになったからなのだと推測されている。テレビで取り上げられていたその老人は74才。70才からピアノを習い始めたということだが、しっかりとした演奏をしていた。そして、「初めて人前で演奏したときは緊張した」と語っていた。定年後にこんなに輝いた人生を送れるなんてすばらしい。

ピアノのようなものは幼いころから始めないと身につかないものだと思っていた。同様に、ダンスなども体の柔らかさは幼いころから始めていて身につくもの、語学もまた同じように、今から一生懸命勉強してもネイティブほどの発音は身につかないのだと・・・

結局どういうことかというと、「あの道に進むには今からじゃ遅すぎる」とか「こういうことは社会が許さない」とか、僕らは自分の言い訳を必死に探しているだけなんだ。そして、「俺にはこの道しかない」なんて悟ったように語っているんだ。視野を広げてみよう。そこには数え切れないほどの選択肢があるはず。新しい道に進むために必要なものは「意思」のみ、そして、それを邪魔するものは「見栄」と「プライド」。きっとそういうことなのだ。

投稿者 masato : 22:03 | コメント (0)

2005年05月19日

氷山の一角

現在、僕自身が本調子とは程遠い状態だから、周囲の人が普段なら聞けない話を聞かせてくれる。そんな話を聞きながら思うのだ「火事場の馬鹿力」ってやっぱり存在するな、と。

ある人は昔経験した出来事を語ってくれた。

何年か前、バイクで転んで、気がついたら道路のど真ん中にバイクが横倒しになっていて、後ろからくるクルマに迷惑だからとりあえず両手で路肩まで倒れたバイクを引きずったのだと。そして、路肩にバイクを寄せた瞬間、右腕に強烈な痛みが起こって、救急車で病院に行ったら右腕が複雑骨折していたという。後から考えると、なんでバイクを引っ張れるだけの力が出たのかわからないのだそうだ。

そういえば、僕自身も2年前、サッカーの試合中にタックルを受けてグランドに倒れた。倒れる瞬間に鈍い音がして、足が折れたことはすぐにわかった。それでもグランドの真ん中で倒れていると、試合事態が中断してしまうので悪いと思い、すぐにベンチまで歩いて行って救急車を呼んだ。3ヶ月ほど療養生活を送って、サッカーに復帰したころマネージャーから言われた「なんであの時、足が折れていたのにグランドの外まで一人で歩けたの?」と。

最近僕は本当に思うんだ。人間が普段使っている力なんて、氷山の一角なんだろうな、と。50%の力しか出していないのに「一生懸命やった」とか「死ぬ気で頑張った」とかそんな言葉を簡単に使ってるのだ。きっと。

投稿者 masato : 18:37 | コメント (2)

2005年05月18日

風呂は眠る15分前

内耳の病気に悩まされている。といっても結局のところ血液の循環が悪くなることによるもので、原因はというと、仕事のしすぎと、スポーツのしすぎである。
治療の方法として、医者にこう言われた。「とにかくリフレッシュして、体を冷やさないように。お風呂に入るのは寝る15分前」と。

正直これはきつい。寝る時間なんて自分で意識したことないし、「いつ寝てるの?」って聞かれれば、気を失ったときである。だから毎日起きたときは電気もついてるしパソコンもついてるし、テレビもついている。「起きていられる限り起きている」というのが時間を有効に使うための僕のポリシーなのだ。

だから寝る前に風呂に入るなんて・・・寝そうになったときに風呂に入るだけの気力が残っていたら俺は寝ない。少し気力が残っていたら、まず電気を消すし、ベッドに移動するし・・・

とはいえ、この症状のせいでかなり周囲に迷惑をかけていることは確かだ。頑張ってやってみよう。パソコンなどの電気代ももったいないからね。

投稿者 masato : 14:47 | コメント (0)

2005年05月14日

死生観

人は人の死に直面し、動かなくなった体を見て思うのだ。死んだらその人の意識はどこにいくのだろうと、しかし答えの決して出ることはない。それでも多くの人はこう望むのだ。死んで体が動かなくなってもどこかで意識は生きているのだろう、と。「霊」という概念が生まれたのはある意味、必然だったのかもしれない。

天国や地獄、そして輪廻転生。世界には多くの死生観が存在する。映画や物語の中でも数多くの死生観が過去語られてきた。すぐに頭に浮かぶのは映画「ゴースト」やドラマ(漫画)の「スカイハイ」などである。そんな死生観のなかで毎回考えさせられるのは、死んだ人が霊として現世を彷徨っている姿を、誰が見ることができて誰が見ることができないかという基準である。

現在テレビ朝日で放送されている「雨と夢のあとに 」。このドラマでも新しい死生観を展開している。その死生観に納得できるかどうかはともかく、毎回泣かせてくれるのでオススメである。

投稿者 masato : 23:55 | コメント (2)

2005年05月13日

不毛なサイクル

JR西日本の記者会見では、各局の記者が必要以上に声を張り上げて詰問する。
僕はマイクを向ける彼を見て思うのだ。「その高圧的な態度はなんなのだ」と。

遺族は献花台の横に立つJR西日本の社員に向かって罵声を浴びせる。
「おまえたちが俺の友達を殺した!」とか・・・
僕は思うのだ。「下っ端の人間に怒りをぶつけたところで何も変わらないだろうに」と。

今でもJR西日本の社員へのいやがらせは続いていると言う。
運転席の後ろのガラスに「死」という文字を印刷した紙を貼られていた。女性駅員が客から蹴られて危うく階段から落ちそうになった。
僕は思うのだ。英雄になったつもりだろうか。国民すべての怒りはJR西日本に向けられていて、自分がその先頭に立っているとでも思っているのだろうか。正しいことをしているという意識があるのなら何故逃げるのだろう。なぜ力の弱い女性を狙うのだろう。結局みんな自分の行動を正当化できる理由があったうえで、怒りや憎しみをぶつけられる相手を探しているだけだ。

脱線事故ですっかり影の薄くなった中国の対日デモ。競うようにして日本大使館に石を投げているの中国人を見て、多くのに日本人は「なにがそんなに憎らしいの」と思っていたかもしれないが、日本人も中国人も、国籍問わず、人の行動は大差ないように思えてしまうのだ。

誰かが誰かに怒りや憎しみをぶつけ、そしてぶつけられた側はそれによってさらなる怒りや憎しみを抱え、他の場所に攻撃できる対象がないか常に目を光らせて探している。この人間界ではそんな不毛なサイクルが続いているのだ。だとしたら、こんな世界で本当に評価できる人はどんな人なのだろう。僕は思う。怒りや憎しみをぶつけられてもそれを他に向けようとしない人だ。自分の中で怒りや憎しみを消化できる器を持った人だ。

脱線事故の遺族の中にもそんな人はいた。インタビューに答えていた一人の男性のコメントが印象に残っている。「現場の人たちはみんな一生懸命やってくれた。彼等を責め立ってなんにもならない」と。本当の英雄はあの種類の人だ。それなのに、報道に取り上げられるのは一部の英雄気取りの人ばかりだ。

デモの最中の中国にだってそんな人はいたはずだ。中国人全員が日本に怒りを持っているなんてことは絶対にない。カメラに写らない場所にこそしっかりした器を持った人は必ず存在していたはずだ。

怒りや憎しみを自分自身で消化できる心を身につけよう。
目に付く汚れた真実だけでなく目に見えない奇麗な真実を見極める目を持とう。

投稿者 masato : 17:18 | コメント (1)

2005年05月06日

もう一度

それで終わりかよ・・・

世界卓球選手権の福原愛の試合を見ていた。福原愛が中国の郭炎にリードされて一気に試合を決められそうになった状態のとき、気が付けばテレビに向かって呟いていた。結局その後福原が粘ってみたはものの自力に勝る中国の郭炎が試合を制した。

個人競技はもちろん相手との戦いだが、「勝てる」という自分の気持ちに自信がなくなると一気に試合が決まってしまうスポーツ。そんな個人競技の厳しさ、面白さを久しぶりに見た気がした。

ここ5年程、サッカーという団体競技に浸り、納得の行くプレーもたくさんできたし、サッカーと言うスポーツをそれなりに満喫したような気がする。そろそろ逃げ道のない個人競技にもう一度打ち込んでみようかな・・・などと、スカッシュに入れ込んでいる友人達に触発されて少し考えたりしている。

6年ぶりに新しいラケット買っちゃおうかな〜

投稿者 masato : 23:26 | コメント (6)

2005年05月03日

3度目

この吐き気は今年に入って何度目だろう・・?青山一丁目のベンチに横になって意識朦朧としながら考えた。そういえば1月のサッカーの試合中に相手と激突して頭を強打してから体調崩すことが多くなったような気がする。その当時、上司には「友達で、酔って頭をぶつけて放っておいたら半年後に突然死んじゃった人がいて心配だから早く病院行ってきな」と言われていたが仕事が忙しくて結局行く機会がなかった。

確かに頭を強打してからその後普通に生活していてある日突然死ぬってのは良く聞く話だ・・。普段見ることのない地下鉄のホームの天井を見ながら考える。このまま眠ったら、そこで人生終わるのかも、28才で終了。なんかそれもありかな、とわりとあっさり受け入れられそうな気がしてきたが気掛かりがいくつかある。

もう少し部屋を奇麗にしてくればよかった。
友達に借りた本を返しておけばよかった。
チームメイトに借りたDVDを返しておけば良かった。
5日のサッカーの試合ことをチームメイトに連絡をしておけばよかった。

こんな日に限って携帯を家に忘れて来てしまったので誰にも連絡ができない。ホームは相変わらず人が行き交い、右側と左側は電車が来るたびに反対方向の風が吹く。都会の人の無関心さが少し有り難い。ベンチを3つ占拠しても誰も文句は言って来ないのだ。
1時間ほどすると駅員さんが声をかけてくれたので事務室に移動した。やっと電話を借りて会社に連絡。GWのためか特に仕事上の問題はないらしい。さらに3時間程寝る。
結局、会社の社長に迎えに来てもらったが、1月の頭を強打したことも気になるので救急車を呼ぶことで意見が一致。

結局、救急車で慶應大学病院へ運ばれる。救急車に乗るのはこれで3回目。最初は左腕の骨折、次は左足の骨折、「これで税金のもとをとったかな・・」などと考える。

病院で一通りの検査をしながら医者から聞かれた。
「最近食事を抜いたり睡眠不足だったりしてない?」

ここ2,3日を自分の中で振り返ってみる。

29日は17:00から20:00までスカッシュ。夜はなぜか缶珈琲を飲んだためかすぐには眠れずに。さらに暑いのでエアコンをつけて、結局4時頃就寝。30日、エアコンをつけっぱなしで朝を迎えてしまい睡眠不足と若干の体調不良のまま7:00起床。この日は久々の黄金スケジュールで、9:00から11:00までサッカーの練習、15:00から17:00までスカッシュの練習。途中強烈な腹痛と体調不良がぶりかえすがベンチで一眠りして、19:00からフットサルの練習。家に帰って、気が付くと翌日の朝。1日、前の日晩ご飯を食べた覚えがないが、あまり気にせずに、ジムで筋トレに向かう。そして今日、あんま体調よろしくないが、打合わせもあるし、自分にしかできない仕事もあるので普通に出社。

その日までの生活を伝えると
「ちゃんとご飯食べてゆっくり休めば問題ないでしょう」

ひたすら反省。


今回の教訓
・部屋は常に奇麗にしよう。
・周囲に迷惑かけまいと無理することで余計に迷惑をかけることもある
・食事はやっぱり大切
・一人暮らしでも体温計は必要
・ケータイのメモリ以外にも友人の連絡がわかるようにしよう。

投稿者 masato : 12:17 | コメント (2)