2005年04月30日

思い出した

あしたをつかめ平成若者仕事図鑑」という番組がある。といっても僕自身本日初めて目にした番組である。どうやら毎回いろいろな仕事に焦点をあてて行く番組らしい。今回はセントラルフィットネスクラブの一人の女性インストラクターの仕事を追っていた。お客さんに笑顔を絶やすことなく接し、丁寧に指導し、そして常に向上心を忘れない彼女の姿はやはり輝いていた。

僕は学生時代にスカッシュのヒッティングパートナーをしていた頃を思い出した。そういえばあの頃、毎週土曜日の僕の担当している時間帯にスカッシュをしに来るお客さんが何人かいた。そのうちの一人の男性が、僕にたくさん走らされて息を切らして、そして、終わった後に一言こんなことを言ってくれた。

「僕は毎週この時間を楽しみにしてるんですよ〜」と。

後にも先にも、仕事をしていてあのときほど嬉しかったことはない。もちろん今の仕事にもあのときほどの嬉しさはないし、おそらくこれからもないのだろう。

番組のなかで「お客さんに喜んでもらえるのがなにより嬉しい」。そう語る彼女を見て、こんな生き方もあったのかも・・・と思ったりした。あ・・なんか珍しく後ろ向きな考え。違うな。これからの生き方を模索する前向きな行動の一つとしておこう。

投稿者 masato : 01:49 | コメント (0)

2005年04月29日

報道の無責任さ

ニュースは相変わらず尼崎線の脱線事故。ようやく106人の犠牲者ということで捜索活動は終了したようだ。それにしても今回の事件を通じて僕が感じるのことの一つにメディアの報道の無責任さがある。

最初は「運転手がオーバーランの虚偽報告」「目がうつろだった」などと、この事故は運転士が原因だという流れで多くのメディアが報道していた。しかし、捜索活動の終了した今は「高見運転士は最期までブレーキを握っていた」「過密ダイヤで運転士はプレッシャーを感じる」というようにJR西日本に責任があるという報道に変わって来ている。

どちらにしても実際には1年も経てばこの悲劇も多くの人の記憶から薄れて行くことだろう。にもかかわらず新聞やワイドショーはこの事件を利用して売り上げや視聴率を上げようと必死になる。その結果、わずかに得られた情報から足りない部分を仮説と想像で補って、もしくは目撃者の証言などで視聴者に与えるイメージを意図的につくり出した報道がされるのである。そんなメディアの報道によって、加害者にされたり被害者にされたりしたら家族はたまらないだろう。当人は言い返すことも、汚名を挽回することも永久にできないのだから。

投稿者 masato : 15:01 | コメント (3)

2005年04月28日

未来が奪われたとき

二ュースは相変わらず尼崎線の脱線事故。すでに死者は97人に達した。Yahooニュースでは「死亡した人の乗車理由」という記事が掲載されている。彼等が僕と同じように今まで長い年月をかけて成長し、そしてこれからもいろんな人たちと関わりながら生きて行くはずだったという現実を目の前に突き付けられ、仕事中でも泣きそうになる。

大学生の男性は4年後の未来に社会人として立派に働く自分の姿を少し考えていたかも知れない。そしてそれを実現するためにこの日も大学へ向かっていたのだろう。会社員の男性はGWの家族との時間のことを考えながら「もうひと頑張り。」そう思って会議に出るために会社に向かったのかも知れない。彼等の頭の中には事故の直前まで、確かに未来があったはずだ。

彼等が自分の未来がないことに気付いたのは一体いつだったのだろう。普段よりもスピードの出ていることに気づいた事故の10秒前だろうか。ブレーキの音を聞こえる事故の5秒前だろうか。列車が脱線して宙に浮いて、体も浮いた事故の1秒前だろうか。それとも今でも気付いていないのだろうか。

投稿者 masato : 14:56 | コメント (0)

2005年04月27日

小さな偶然

つい先ほどの会社帰りの話である。23時5分渋谷発の田園都市線のほぼ中央。正確に何両目かはわからないがこの位置が溝の口の階段の前であることを僕は知っている。発車間際の人の波に押されて少し揺られて位置が定まると、例によって本を読みはじめる。時間の違いこそあれ、いつもと変わらない日常である。

20分程揺られて、そろそろ溝の口が近いことを知らせる車内アナウンスが流れる。本から視線をはずして周囲を見る。やはり疲れが顔に溢れている人が多い。僕の左隣の女性も僕と同じように本を読んでいた。歳は20代後半、女性らしい赤い革のブックカバーをつけた本に集中している。「何をそんなに熱心に読んでいるのだろう?」そう思って、今でも1.5以上はある視力を活かす。彼女の読んでいる本は「海辺のカフカ(上)」の146ページ。主人公のカフカが着ているTシャツに血が付いていることに気付くシーンだ。それは偶然にも僕が読んでいた本と同じ。さらにページまで全く同じだった。

この奇妙な偶然に気付いているのはもちろんその車両で僕一人。彼女は身長差があるので僕の持っている本は見えない。この偶然を僕一人で楽しむのは勿体無い。

彼女の本の横に僕の開いている本を差し出して、「ページまで同じなんて奇遇ですね」と一言。そんなことを一瞬考えもしたが、やはりキャラクター的に無理だ。怪しさを感じさせずにそんなことができる人間になりたいものだ。

彼女にこの偶然を教えてあげたかった。アパートへの帰り道、少し悔やんだ。

投稿者 masato : 00:43 | コメント (4)

2005年04月26日

時間とお金に対する意識のバランス

2年ほど前に結婚した友人がぼやいていた。「我が家では電気代節約のためにパソコンやテレビは使い終わったらプラグを抜かなければならない」だそうだ。「そんな結婚生活はたまらない」というのが僕の率直な感想である。

「結婚相手を選ぶ際に重視することは?」という質問でよくある答えに「価値観が同じ人」というのがあるが僕ならこう答える「時間とお金に対する意識のバランス」が同じ人と。日々生活していると、時間を短縮することによって余計なお金がかかることがあるし、逆にお金を節約するために余計な時間がかかることもある。お金も時間も大切だが、世の中にはそのバランスが「お金」に偏った人と、「時間」に偏った人がいると思う。

最初に挙げた例。毎日使うパソコンやテレビ。使うたびにプラグを抜き差ししなければいけないなら。わずかなプラグをさしっぱなしにしたときの余計な電気代よりも、その抜き差しに使う余計な時間のほうが、僕には勿体無く思えるのだ。こんな「時間とお金に対する意識のバランス」の違いって大きいと思う。

投稿者 masato : 13:39 | コメント (0) | トラックバック(0)

2005年04月25日

Go smoking

僕は嫌煙家である。タバコの煙の中にいると5分で目が痛くなるし10分で頭痛が始まりひどいときは15分で吐き気をもよおすという体質である。そういう意味では最近の世の中はずいぶん生活しやすくなった。そんな僕のことを知ってか知らずか喫煙家の友人がこんな本を貸してくれた。タイトルは「Go smoking」。内容はというと今の日本の度を超えたまでのタバコ廃絶運動に対する理論をふまえた反論であり。「一部のマナーの守れない喫煙家のせいで、喫煙家すべてを悪者にするな。」という喫煙家の訴えをつづっている。

納得できるもあったし、逆に反論したくなる部分もあったが、そういえばあまり喫煙家の声に熱心に耳を傾けてこなかったなと自分を少し反省させてくれた。こういう考えのときはそういうオーラが外に出るものなのか、美容室のお兄さんともタバコの話になった。喫煙家の彼はこう言う。喫茶店の禁煙席と喫煙席の分け方を改善してほしいのだと。タバコの煙が禁煙席に行ってしまうと、悪いのは中途半端な禁煙席を作ったその喫茶店なのに非喫煙家の怒りは喫煙家に向いてくる。それがたまらなく嫌なのだと。

彼らにも彼らの言い分があり、嫌煙家に迷惑をかけることは避けようとしてくれているのだ。

今日の昼休み、前を歩いていた人が立ち止まりタバコを捨てて足で踏み消して歩き去って行った。マナーを守った喫煙家の思いがプラスされ、マナーの守れない喫煙家への怒りは増すばかり。

投稿者 masato : 13:14 | コメント (3)

2005年04月22日

この先どこへ行くんだろう

最近まで、物事を深く考えずに生きている人が理解できなかった。そういう人間は、人に利用されるか人に迷惑をかけて生きるだけだから生きている意味がない。そうまで思っていた。今はそこまで強烈な主張はしないである程度そんな生き方もあるのかなと考えられるようになった。

僕自身はよく、「この先どこへ行くんだろう。」と考える。今の仕事をこのままずーっと続けるなんて事はないと思うし。かといって次は何をしようかが決まっているわけでもない。は安定した仕事についても消えることのない考えなのだろう。

とりあえず、いろんな刺激を取り入れることに努力しながら、「これだ」と思い立ったらそのタイミングを逃さずに行動する人間でいたい。

今までに多くの時間や多くのお金、多くの機会を無駄にしてきたことを社会人になってから実感したのだ。同じことを繰り返さないために、何か思い立ったとき、それにかかる時間とお金とそしてそれによって得られる自分のメリットを考慮しながら道を選択するようしている。ここでいう「メリット」ってなんだろう。そもそも僕の目的は「楽しく生きること」である。だから「メリット」とは楽しく生きるための手助けになるものすべてである。人脈だったり、お金だったり、時間だったり、知識だったり、技術だったりである。

一週間後の自分になにかメリットをもたらすために明日は何をしようか。10年後の自分にメリットをもたらすために今年は何をしようか。30年後、50年後の自分にメリットをもたらすために・・・毎回この辺まで考えて「まずい」と思って考えることをやめるのである。

人生の終わり方が決まっている以上、すべては意味のないものになってしまう。芥川龍之介 太宰治、川端康成、そして最近では野沢尚。物事を深く考える人たちが「自殺」という選択肢を選んだ理由は分かる気がする。人生の意味を深く考えれば結局そこに落ち着くのである。

物事を深く考えずにその日を生きる。本当はそんな生き方の方が賢いのかもしれない。

投稿者 masato : 13:55 | コメント (0)

2005年04月19日

立ち止まることさえ

ここ最近、デジカメを持ち歩くようになった。日常生活の中で五感で感知できるものの多くをしっかり認識し、その良さを少しでも多く味わおう、という個人的な活動の一環である。駅までの道の途中。買い物へ行く途中。そんな道端の片隅にだって心を刺激するものはあるはで、単に普段目を向けていないだけだ。そんな日常の中のほんの一瞬をデジカメで切り取って保存することができればと考えているのだが、これがなかなか難しい。

日曜日、ゴミ捨て場の前のアスファルトの割れ目から黄色い花が咲いていた。この黄色い花の生命力と人間の捨てたごみの対比。なにか心を刺激するものがあった。これこそカメラに収めなければ。そう思った。とはいえ誰の目にも美しい夕焼けや星空ならともかく、道端のごみ捨て場なんぞで立ち止まってカメラを構えるのはさすがに少し怪しい。後ろからは普通に人が歩いてくるし、向かいの団地でふとんを干す主婦の目も気になる。自分がこんなに世間の目を気にする人間だったとは・・・

仕方がないので、カメラには収めずに自分の目にしっかり焼き付けることにした・・・しかし、そう思っても僕の足はなかなか止まらない。いまさらながら気づいた。僕の住む「都会」という世界では、赤信号だったり、靴の紐がほどけたり、誰かと待ち合わせだったりと、そんな正当な理由がなければ立ち止まることにさえ勇気が必要なのだと。

こんな世界で生きているからこそ、「自分に関係ないものには一切注意を払わない」。そんな人間が増えていくのかもしれない。

投稿者 masato : 14:27 | コメント (0)

2005年04月17日

大井町線にて

本日は大森にスカッシュに行って来た。その帰り道の大井町線の中での話である。大井町で列車に乗った時はすでに出発間近だったこともあり座席は9割がた埋まっていた。普段からよっぽど空いていない限り座席に座ることのない僕は立ったまま本を読む。ところが混んでくると、スカッシュの道具の入った大きなバッグを持ったまま立っていることの方がはるかに周囲に迷惑な気がして来た。とそんな僕の気持ちの変化を悟ったかのように大岡山で目の前の席が空いた。とりあえず座ってバッグを膝の上に抱えることにした。

さらに2駅進んで自由が丘に到着すると、50代後半から60代前半の女性が乗って来た。さて困った。老人と言うにはまだ早い気はするが、立っているのは少しつらそう、周囲をきょろきょろしているのは空いている席を探しているように見えなくもない。さらに僕を悩ませるのは後4駅で終点の二子玉川に到着すると言うことだ。普段座ることの少ない僕はこんな状況に置かれることに慣れていない、意を決して「座りますか?」と訪ねると。その女性は力強く「大丈夫」と微笑んでくれた。それだけの話である。

それなら「座りますか?」なんて言わなければ良かった。なんてもちろん思っていない。その女性に声をかけなかった場合と、声をかけた場合とではその後の僕自身の気分がまったく違っていたことだろうから。僕自身がその後気持ち良く一日を過ごすためにしたことで、決してその女性のためなんかではない。こうして「誰かのため」などと偽善者ぶって飾ったりせずに、「自分のため」というところが僕自身の好きなところかな。

投稿者 masato : 23:50 | コメント (0) | トラックバック(0)

2005年04月15日

自動改札の理想形

渋谷に田園都市線で通勤していると毎日はもちろん満員電車である。渋谷に到着すると、JRへの乗り換えのために大量の人が吐き出され7つほどある自動改札に人が流れ、それぞれの目標の自動改札へ列を作る。僕もまたそんな規則正しい流れにしたがう生き物の一人である。3人ほど前の人が間違った定期を入れたのか、それとも残り度数の足りないパスネットを入れたのか、自動改札がふさがった。しかしそれを入れた本人はそのままの勢いで素通り。後ろを不思議そうに振り返りながら歩いていく。仕方がないので隣の自動改札へ進路変更を試みるが、そこもまたキャリアウーマン風の女性が折れ曲がった切符を入れようとして、途中で引っかかって、ここもまた自動改札停止。毎日渋谷を利用していればよくあることである。

どうもこの自動改札というやつは、世の中に普及し始めてすでに10年ほどたつが、人件費の削減、無賃乗車やキセルの管理という鉄道会社側のメリットはあるものの、客にとってはあまりメリットがないように感じる。なぜ一人の違反者によって、マナーを守っている利用者の出口が閉じられて大きなルート変更をしなければならないのか。といっても自動改札を閉じなければ違反した人はそのまま通り過ぎてしまうし、それもまた問題である。

鉄道会社の利益を減じることなく、また利用者にも優しい、そんな「自動改札の理想形」とはどんなものか。そんなくだらないことを考えてみた。

度数の足りないパスネットや、期間の終わった定期を自動改札に入れたら。その瞬間床が開く。そして違反者は下の階に転落。もちろん転落した際に怪我をされると困るので下にはクッションなどはしっかり敷いてある。これなら違反者によって人の流れが乱されることはない。さらに下の階を鉄道警備隊の控え室にしておけば理想である。鉄道警備隊の方々は休憩しながら違反者が上から降ってくるのを待てばいいだけだ。

きっとこんな自動改札ができたら、一度映画のような転落を経験するためにわざと期限切れの定期を入れてみたくなるんだろうな。

のどかで仕事のひと段落した午後は、空想も止まらない。

投稿者 masato : 16:50 | コメント (2) | トラックバック(0)

2005年04月13日

春の特別編

「世にも奇妙な物語 春の特別編」もはや季節の変わり目の定番となったこのシリーズ。毎回、5話のうちの1話はしびれるストーリーが含まれていて、その1話を見たいがために家にいるときはチャンネルをあわせているような気がする。今回も4話目の「美女缶」に心を動かされた。ストーリーは妻夫木聡が演じる雄太が隣の住人の部屋で美女缶なる缶詰を見つけ、それを開けると中から女性が現れるというもの。
悲しいのは品質保持期限があるということ。過去の記憶が脳裏をかすめる・・あのとき終わりがあると知っていたら・・・
身にしみるテーマを持った、恋人に優しくなれそうな話だった・・・
見逃した方は再放送を見てくだされ。感想を求む。

投稿者 masato : 08:42 | コメント (2) | トラックバック(0)

2005年04月11日

毎日を少し楽しくするために

クルマの免許を取ったとき、自分の世界が少し変わったことを覚えている。例えばそれはアスファルトに描かれた大きなダイヤモンドや、一方通行の青の看板に白い矢印の載った一方通行のマークなどで、それまで意識をせずに視野を通り過ぎていったものが、認識できるものに変わったのである。

社会人になって少しして、星座を覚えたときもそうだった。今までただの空として視野を通り過ぎていったものが、オリオン座、カシオペヤ座、などと名前を認識できるようになり、寒い夜の帰り道が少し楽しくなったものだ。

そして先日、生活の中でにたくさんの木や花が視野に入ってくるにもかかわらず、そのほとんどの名前を知らないことに気づいた。そんなわけで今のマイブームは樹木の名前を覚えること。ケヤキやクスノキ、ハナミズキやメタセコイヤ。調べてみると、幹の表面の色や形にすら多くの種類があることに驚かされる。葉の形をみただけで樹木の名前が特定できる種類もたくさんあるのだ。

半年もしたら道端に生える樹木のいくつかが僕の日常の中でしっかり認識できるようになっているとうれしい。そしたらまた少し、普段の生活が楽しくなるかもしれない。

投稿者 masato : 20:21 | コメント (0) | トラックバック(0)

2005年04月09日

ついていける人

勤めている会社はやや混乱気味である。おそらく2,3ヶ月ののちに会社の組織は分裂し、上司の誰についていくかの決断をしなければならないだろう。といってもついていけるような人は限られているので、すでに答えは出ている。こんなことを書くと僕自身がとんでもない状況に陥っているように思われるかもしれないが(実際そうなのだろうが)、人生においてこんな経験ができることはそんなに多くはないはずだ。例によって自分の窮地をそんな受け止め方しかできない僕は少しわくわくしていたりする。貴重な経験なので現状を少し客観的に見つめてみる。

「ついていける人」「ついていけない人」僕はその判断を何を根拠につけているのだろう。完璧な人などいないことはわかっている。誰にでも長所もあれば短所もあるし、どんな人とでも長い間一緒にいればケンカをすることもあるはずだ。
そしてまた、仕事というなかでそれを判断する時、「いい人」か「悪い人」かのみを判断材料とすることはできない、「会社」である以上利益を上げなければ成り立たないし、「いい人」とはそのための必要十分条件ではないからだ。

結局僕の出した答えはこうだ、僕の「ついていける人」は、立場の上下問わず人の話に耳を傾けてくれる人、人の努力や気持ちを理解しようとしてくれる人、どんな人に対してでも自分に否があれば謝ることができ、なおかつ同じミスを失くそうとする努力を怠らない人だ。そしてそれは、結局のところ僕が追い求める人間像と重なる。いつか上の立場になったとき僕は「ついていける人」になれているだろうか。

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2005年04月06日

自動改札の不思議

毎朝田園都市線を利用する僕は、通勤の途中でわずかながら感動することがある。自動改札である。田園都市線の自動改札はJRほど発達はしていないので、定期券を滑り込ませなければならない。ここで僕を驚かせるのは定期を裏向きに入れても、出てくるときは表だということだ。では表向きに入れるとどうなるかというと、今度はそのまま表向きに出てくるから不思議だ。いったいどんな仕組みなのだろう。そう思いながらも1分ほどでまた僕は日常生活に戻って、そんな小さな感動は忘れてしまうのだ。

出てくるときに裏向きだろうと表向きだろうと、自動改札を利用する人にとっては大した影響がないことを考えると、それほど大それた仕組みを取り入れているとは思えない。なにか、ほんのひらめきで解決するようなことなのだろうか・・横に裏返すのか、たてに裏返すのか、せめてそれだけでも知りたいものだ。

投稿者 masato : 21:23 | コメント (0) | トラックバック(0)

2005年04月04日

プロの助言

ウェブクリエイターという仕事にはこの仕事特有の悲しさがある。しっかりとデザインしてしっかりとしたサイトを作ったにも関わらず納品後、素人のクライアントの手によってサイトの更新が繰り返され、半年も経つと見るも無惨なサイトに変わってしまう。というものである。そしてそんなクライアントを少し軽蔑したりするから我ながら怖い。

しかし、今日、美容室に髪を切りに行って思ったのだ。ひょっとしたら僕はヘアスタイリストが作った髪型を3ヶ月も放置して、見るも無惨な髪型に変えているのかもしれない、と。形こそ違えど、彼等もクリエイターなのだ。

だから僕は細かいことは言わずに、おおまかな気持ちだけを伝える

「前髪はおろして、シルエットを縦長にしてください」

店員さんが髪を切り終わって聞いて来た

店員さん「こんな感じでいかがですか?」
僕「横が少し長い気が・・・」
店員さん「横をこれ以上切ると、ふくらんだように見えてますよ」
僕「そういうことならオッケーです!」

仕事でも、僕らの助言を無視してダサくなったサイトをたくさん見て来た。素人の主観的な意見が、プロの客観的な意見に叶うはずがない。ということかな。

投稿者 masato : 00:53 | コメント (0) | トラックバック(0)