ある店の場所について友人と話していたことがある。彼はこう言う「パスタ屋のところを右に曲がって、洒落たカフェのわきの道を入って・・・」。僕には彼の言うパスタ屋も洒落たカフェもどこにあるのかわからない。そこでこう聞き返した「つまりサッカーショップの近くだよね?」ところが彼には僕の言うサッカーショップの場所がわからない。結局その話は通じなかった。なんというか、生き方や考え方で日常生活から取り入れる情報が全く異なるのだと感じた。そしてその考え方の異なる友人の話はいつも僕に新しい刺激を与えてくれるのだ。
どの時代にも人間はグループ分けされていて、そのグループを飛び越えるには大きな行動力が必要である。例えば中学生は年齢でグループ分けされていて、1歳年が違う人と接するのさえ難しい。その理由はフロアが違ったり、ジャージや名札の色が違ったりという小さなものだ。
あれから15年経った今、グループの分け方は少し変わった。その分け方は仕事だったり趣味だったりときには出身大学などというくだらないものである。そのグループの中で、みんな同じような考えを語り、同じような考えを持った人に同意してもらって満足してる。そして、そんなグループのなかの居心地のよさに浸りながら「なにかおもしろいことないかな〜」などと刺激を求めてぼやいているから滑稽である。それが今の世の中の大部分の人の姿である。
気が付けば、15年前には隣の席にあった新鮮な考え方、刺激的な考え方はどこか遠くのグループに吸収されてしまったようだ。今の社会でその考え方に触れるには相応の行動が必要となる。しかし悲観するなかれ、今は別のグループに飛び込んでいったとしても「おまえ生意気だよ」などと因縁つけられて体育館の裏に呼びだされることはない。恐れることなく他のグループに飛び込んでいって、いろいろな生き方、考え方に触れるべきだ。
投稿者 masato : 2005年03月29日 00:46 | トラックバック(0)悲しいかな、これは現実の話ですね。
一人で行動できる人がなんて少ないことか。そして同じ価値観の中でしか自分を肯定できない人がなんて多いことか。
切実に感じますね・・
みんな怖いんじゃないかな。自分と違うものを受け入れるには、自分の価値を否定されたり、相対化されたりするリスクが伴いますし・・・
今は確かに別のグループに飛び込んでいっても、体育館の裏に呼び出されることはないでしょう。
でもその時代のほうが良かった、と思うときもある。生意気だ、と思う側も、殴ればすっきりしたんでしょうから。
今は無言で、または笑顔で、抹殺されてしまいます。
だからグループ分けに属さない、共通の言語を身につけることは必要かもしれませんね・・・
私の好きなドラマのサイトですが、ちょっと元気になる、というか、怖いものだと思いながらも、それでも人間を、仲間を、信じようという気分になります。
お暇なときに見てみてください。
http://www.alived.com/blue/miseinen/script.html
Posted by: akira : 2005年03月29日 14:55「抹殺」って感じるのはきっとそのグループに固執しているからでしょう。15年前のグループ分けのデメリットとして、そのグループが自分に合わなかったとしても半日近い時間そのグループの中で半強制的に生活を強いられる。というのがあった。
それに対して、今のグループ分けは、あるグループに飛び込んでいって、抹殺されそうになって、「ああ、このグループは新しい人を受け入れる体制じゃない。]
と思ったらさっさとそのグループはあきらめて他の新しい人を受け入れる体制の整ったグループを探せばいい。そんなメリットも今はあるのだと思いますね。
相変わらずシンプルな考え方で爽快ですね。
思わず笑ってしまいました。
ただ、安易に自分を受け入れてくれるグループは、意外と自分と同じような価値観だったりするんじゃないかな、と思ったりもするんですよ。
もちろんそうじゃない体制の整ったところなら大満足ですが!
新鮮で刺激的な考え方をどんどん取り入れて、人として成長していけるといいですね。
お互いがんばりましょう。
言いたいことが分かるが
「抹殺される」か「安易に受け入れる」か
のどちらかしか仮定されていなくて、
ずいぶん考え方が両極端だな・・というのが
聞いていて感じることですね。
あ〜ごめんなさい。
落しどころがそこしかなかったもので・・・
私も言いたいことはわかりますが。
文章は難しいですね、、、、
仮定の詳細は宿題にさせてください。。。
まぁ言いたいことはわかります。
確かに落としどころを考えると文章は難しくなりますね。
そうですね。
言葉遊びもほどほどに!



