SEをやっていた頃、あるオフィスで作業をする機会があった。そのオフィスはビルの8階ぐらいで、季節的に少し暖かくなってきた春だったためか、床から高さ80cmぐらいの位置にある1メートル四方ぐらいの窓が大きく開けてあった。僕の体など余裕で通るぐらいである。とても怖かったのを覚えている。とはいえ、僕自身が高い場所を苦手としているわけではない。バンジージャンプもやるし、パラグライダーもやる。高い場所は全然平気な人間である。
少し話を変えてみる、もし、行った事のない場所に簡単に行けるとしたら、とりあえず行ってみたいと思うだろう。例えばそこが北朝鮮やイラクだったとしても、ドラえもんの「どこでもドア」なんかがあって、ちょこっと行って、ヤバそうならすぐに帰ってくる、そんなことができるなら行ってみたいと思う。この感覚って多くの人が持っているものではないだろうか。すぐに行ける場所というのは、すぐに帰って来れる場所でもある。そんな考えが染み付いているからだ。
僕の場合、これが物理的な場所だけではなく、「生」と「死」という場所でも同じように適用される。どういうことかというと、たとえば駅のホームで電車を待っていて、ホームに列車が進入してくるその瞬間。僕の2,3メートル前は線路であり、そこは事実上「死」の世界である。あまりにも「死」」という場所が近すぎて、「ちょこっと向こうに行ってみようか・・・」たまにそんな考えに襲われる事があるのだ。
最初に挙げたオフィスの窓の件、なにが怖かったかと言うと、長い間その部屋にいることによっていつかその窓から飛び下りて、「向こうに行ってみよう」としてしまいそうな自分の感覚が怖かったのである。
この話を何人かの友達にしたら、1人だけ共感してくれる人がいた。ひょっとしたら意外とこの感覚を持っている人は多いのかも知れない。そして、世の中で起きる自殺というもののなかには、ひょっとしたら同じような感覚で「少しだけ向こうに行ってしまった」人もいるのかもしれない。
よく知られている例を一つ挙げるなら、XジャパンのHIDEの自殺などはまさにそれのように思えるのだ。
投稿者 masato : 2004年11月15日 13:48 | トラックバック(0)私もそんな風に思うときがあります。
ホームにいる時は電車に本当に引き込まれそうな気がして、
そうなったら目を瞑って考えるのをやめます。
刹那的に自殺してしまう、ってあると思います。
Posted by: ハチ : 2004年11月15日 19:25この書き込みをしてから何人がこれを読んでくれたのかわからないけど、
ハチさん一人か。
たぶんこういう感覚を覚えた事のない人には
「こわい人たち・・」って感じなのかな。
それにしても「刹那的な自殺」って表現は
まさにぴったりだね。
そうだこれを「刹殺(せつさつ)」と呼ぼう・・
他殺には毒殺や殴殺や刺殺があるのだから
自殺にも悩殺や刹殺などの種類があってもいいのかも
とりあえず俺やハチさんが突然遺書も残さずに自殺したら
間違いなく刹殺だな。
他に自殺する理由なんかないし人生楽しいし。
あぁまたこいつ変な事を言っていると思われてるなきっと。
マイノリティにはそれなりの主義主張があるので、
どう思われようと構わないですけど。
正直自殺を考えた事がないわけではないですが、
(とはいってもそんな深刻にではなくて、
現実逃避的にですよ、と言っておく)
おそらく理由はどうあれ遺書は書かないな。
遺書書くくらいなら生前に伝えるよ。
って、話の筋がずれてる〜
Posted by: ハチ : 2004年11月17日 00:01まじでズラしてくれたな・・・
Posted by: masato : 2004年11月17日 00:20昔は良く考えてたかも。仙台に残って職場を変えなければ行動に移してたかも。仕事楽しくない。友達休みが合わなくて遊びにいけない。プチ引きこもり??
音楽もテレビも見ず、ただただ休みの日は寝て過ごす。頑張って抜け出せた!! 良かった。
悩殺か・・・だね・・。
Posted by: チィ : 2004年11月21日 04:13>チィ
あはは、でも悩殺しなくてよかったね。
俺は悩殺は正直考えた事ないな・・
かなりのポジティブシンキングが特技だからね。
もちろんあまり不幸なことは
俺には起きていないのかもしれないが、
多少のイヤな事でも
「これは話のネタになる」
という受け取り方で
すべて自分にとってメリットのあることにしてるよ。
昔働いていた電気メーカーは敷地内に貨物列車の踏切があり、良くそこで足止めをくった。
目の前をガタゴト走り抜ける、でっかい車輪と車輪のスキ間を見ながら、「誘ってるな〜、おいでおいでしてるよ〜」と良く感じていた。
別にそれが怖いとかじゃなく、たぶん誘いに乗っちゃうタイミング、もしくは誘いに乗っちゃう奴もいるのだろうと、容易に想像できるくらい、その時、その境界線は身近に感じられた。
「よし大丈夫。まだ大丈夫。」と、足止めをくうたび訳のわからない「確認」を行っていたのを思い出す。
(以上、なんとなく思い出したことでした)



