2004年11月29日

今日の朝10時頃に空を見上げた。空には厚い雲がかかっていたが、日が雲の隙間から出ている光の筋が幻想的でキレイだった。ファンタジーの物語の中に出てきそうな光景で、カメラを持っていなかったことを後悔した。もちろん、少し下に視線を移すと、そこには白やグレーの無機質なビル群が並んでいる。

夜の空の話もしてみよう。先週は空が非常に澄んでいて星が綺麗だった。都会でもしっかり星が見えるのには驚きである。土曜日の夜には、三角座の3つの星(一番暗い星は4等星)まで肉眼でしっかり見えるのだから川崎の空も捨てたものではない。さらに東の空を見ると双子座の下に見慣れない明るい星を見つけた。家に帰ってすぐに調べてみると、なんとそれは土星であった。

僕らの生活の中では、昼間の空も、夜の空も、黒または水色で塗りつぶされるだけで「背景」という名でまとめられてしまう存在なのかも知れないが、ほんの少し目を凝らしてその「背景」を見つめてみれば、退屈な普段の生活も、寒いだけだと思っていた冬の帰り道もきっと楽しくなるはずだ。

投稿者 masato : 13:30 | コメント (2) | トラックバック(0)

2004年11月26日

怒りを知れ

とある日の朝、駅へ向かうときの話である。

その男は5メートル程前を歩いている。身長は僕とあまり変わらない、つまり175cmぐらいだろう。スーツを着て右手には通勤カバンを持ち、左手の人差し指と中指でたばこを挟んでいる。年齢は30代前半ぐらいだろうか、歩くスピードは標準よりは速い方だが、僕の歩くスピードに比べたら遅い。

前から女性が歩いて来た。反対方向に向かうどこかのOLらしい、男はすれ違う瞬間にたばこの火を内側に向けた。とりあえず周囲に気をつかって「歩きたばこ」をしているつもりらしい。僕は試しに男の左側から抜きにかかる。1メートル程まで近付いたが、気付いた様子はない。もちろんたばこの火を内側に向けるはずなどない、近くに車通りの激しい道があって騒がしいので無理はない。

どういうつもりなのだろうか・・
自分が誰よりも歩くのが速いとでも思っているのだろうか・・・それとも「このたばこの火が見えるだろう?火傷したくなかったらよけて行きな」男の頭の中にある考えはこんな開き直りだろうか。だとしても、男がたばこを吸う瞬間、後ろからはたばこを持っている左手は男の顔で死角になって見えない、タイミングが悪ければたばこを吸っている事にも気付かないし、避けようがないのである。

−−−−−

再度、タイミングを見計らって男の左側から抜きにかかる。たばこを吸い終わった男の左手が下がってくる。カバンを持った僕の無防備な右手の甲に擦れる。予期していても反射というものは起きるものだ。熱さを感じた瞬間にはカバンは手から離れていた。カバンが落ちた事でようやく男も気付いたが、なにが起きたかはわかっていないようだ。僕は、おそらく火傷したであろう右手の甲を男に向けてその部分を左手で指差す。火傷の後が見えなくても、なにが起きたかは予想がついたのだろう。「あ、すいません」ようやく謝った男の鼻に、最初から用意されていたシナリオ通り、僕の右手の裏拳がめりこむ。男は防御するヒマもない。

男は苦痛に顔をゆがめて、鼻を抑えながら僕をにらむが、少しは罪の意識があるらしく、やり返す気はないようだ。僕は何も言わずに再び駅へ向かって歩き出す。

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たまにこんな衝動と僕は戦っている。もちろんこの衝動に負けた事はない。1人の男のマナーを正しても世の中の「歩きたばこ」は減らないし、それに費やす自分のエネルギーも勿体無いからである。それなら、何をすれば変わるのか?そうだ、ここに書いてみよう。少しは効果があるかもしれない。「怒りを知れ」と。

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2004年11月25日

別れのかたち

「世界を周りたい」そう言って3月にチームを辞めて旅立った友人がベトナムから日本に来ていた。関東には泊まる場所がないということなので、僕の家に月曜日から今朝まで3泊して、つい先程別れた。横浜から新幹線で実家のある兵庫に帰って、12月1日にまたベトナムに発つという。

改札前で、「本当にどうもありがとう」という彼に、「じゃ、また」と言って僕は改札をくぐる。一緒にサッカーをしていた頃の練習や試合後の別れと何一つ変わらない。こんな僕を「つれない人」と思う人もいるかも知れない。考えてみるまでもなく、その友人とは人生でもう二度と会う事がないかもしれないのである。

僕がなんでこんな行動を取るのか自分なりに考えてみた。もちろん普段の生活同様で「感情を抑えて常に物事を冷静に、客観的に見つめる」という信念にも起因すると思うが、心の底では「もう二度と会えない」などということを少しも信じていないからだろう。むやみに別れを悲しむよりも、素敵な別れになるような気がする。

それでも、人と会った時の喜び、別れる時の悲しみ。もう少し表に出してもいいかな・・そう思った。

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2004年11月22日

自分勝手な生き物

熊が民家の周辺に出没するという。そんなニュースが最近ワイドショーで多く取り上げられている。先日テレビで見たのは、そんな民家の周辺にあらわれる熊から危険を守るために活動をしている人たちを追ったドキュメンタリーであった。

彼等は熊の出没の連絡が入ると、罠をはって熊がかかるのを待つ。罠に熊がかかるとその熊を麻酔で眠らせて、生態を観察するための発振器をつけて、体長、体重などを測定する。そして記録作業が終わるとあとは山に帰すだけだが、それだけではまたそのうえでもう二度と民家の周辺に現れないように、人間の怖さを教え込む必要があるというのだ。具体的には、檻をが空いて出て来た熊に爆竹や大声などで脅かすのである。

番組のスポットライトは「こんな活動をしている人たちがいる」という部分に焦点があたっていたようだが、爆竹におびえて一目散に山へ逃げて行った熊を見ると、「彼等がなにか悪い事したというのだろうか・・」そんな感想が膨れ上がる。世間では少子高齢化が進んでいて大きな問題となっているが、それがそんなに大きな問題なのだろうか。人口が少なくなって過疎の村の付近で熊やその他の野生動物が安心して生活できる場所になるのであればそれは全然いいことだ。年金問題を議論している「人間」という種族は、他の生き物がどうなろうと、自分達は死ぬまで悠々自適に暮らしたいという自分勝手な生き物なのである。

投稿者 masato : 13:18 | コメント (1) | トラックバック(0)

2004年11月19日

友達づくりの機会損失

ソーシャルネットワークのmixiを利用している。ここに来てくれる人の大部分もmixi経由だろう。mixiでは個人の日記が閲覧できるうえに、趣味や特技なども知ることができる。同じような仲間を見つける上では非常に利用価値の高い手段である。ところが、本来人と人とのネットワークを広げるためには非常に有り難いmixiが、逆にブレーキになっていると感じる事もあるのである。

しかしmixiを眺めていると、日記の中からそれぞれの生活が意外と見えてくる。なるほど、この人は毎日いろんなイベントがあるんだな〜とか。この人はたくさんの友達がいるな〜などである。

そんな中、ある人に興味を持った。「この人ともっと話してみたい」と。とりあえず食事にでも誘ってみようかな、と。それでもmixiを眺めているウチに、この人は忙しい人だ、とか、この人はたくさん知り合いがいる、というのが少しづつわかってくる。そうすると約束を交わしても、その人の数あるイベントの中の1つになってしまうのか、たくさんの友達の中の一人になるだけなのか。そう考えて「また今度でいいか・・」となってしまうのである。

「自分以外の他の人ではなく自分が必要とされたい。」そんな気持ちは誰でも少なからず持っているはずだ。つまりそれは、逆に考えると、mixiに限らずブログなどでも、むやみにその日の出来事や友達の多さを公開することで、いろんな人から誘われるチャンスを潰しているのかもしれない。そう思った。

投稿者 masato : 13:15 | コメント (12) | トラックバック(0)

2004年11月17日

電気機器化

昨日充電しなかったために、今日は携帯の充電の表示が3つしか灯っていない。(フルで4つ点灯する)こんな日は微妙にブルーである。間接的ながらも携帯の充電状態が僕自身にも影響をおよぼしていると感じる。それでも、影響度合いでいえば、僕などはまだまだ軽い方であろう。

電車の中でずーっと携帯をいじくっている女子高生。もし彼女の携帯の電源を遠隔操作でオフにすることができたなら、彼女自体が機能しなくなるだろう。毎日ノートパソコンを持ち歩いて、移動中もキーボードをたたいているサラリーマン。そのパソコンの電源をオフにしてみよう。瞬く間に使えない人間になるだろう。

昔何かの本で読んだ覚えがある。「このままだと人間の電気機器化が進む」と。携帯の電源、ノートパソコンの電源イコールそれを持つ人間の電源になっているのである。

投稿者 masato : 13:29 | コメント (7) | トラックバック(0)

2004年11月15日

行ってみたい場所

SEをやっていた頃、あるオフィスで作業をする機会があった。そのオフィスはビルの8階ぐらいで、季節的に少し暖かくなってきた春だったためか、床から高さ80cmぐらいの位置にある1メートル四方ぐらいの窓が大きく開けてあった。僕の体など余裕で通るぐらいである。とても怖かったのを覚えている。とはいえ、僕自身が高い場所を苦手としているわけではない。バンジージャンプもやるし、パラグライダーもやる。高い場所は全然平気な人間である。

少し話を変えてみる、もし、行った事のない場所に簡単に行けるとしたら、とりあえず行ってみたいと思うだろう。例えばそこが北朝鮮やイラクだったとしても、ドラえもんの「どこでもドア」なんかがあって、ちょこっと行って、ヤバそうならすぐに帰ってくる、そんなことができるなら行ってみたいと思う。この感覚って多くの人が持っているものではないだろうか。すぐに行ける場所というのは、すぐに帰って来れる場所でもある。そんな考えが染み付いているからだ。

僕の場合、これが物理的な場所だけではなく、「生」と「死」という場所でも同じように適用される。どういうことかというと、たとえば駅のホームで電車を待っていて、ホームに列車が進入してくるその瞬間。僕の2,3メートル前は線路であり、そこは事実上「死」の世界である。あまりにも「死」」という場所が近すぎて、「ちょこっと向こうに行ってみようか・・・」たまにそんな考えに襲われる事があるのだ。

最初に挙げたオフィスの窓の件、なにが怖かったかと言うと、長い間その部屋にいることによっていつかその窓から飛び下りて、「向こうに行ってみよう」としてしまいそうな自分の感覚が怖かったのである。

この話を何人かの友達にしたら、1人だけ共感してくれる人がいた。ひょっとしたら意外とこの感覚を持っている人は多いのかも知れない。そして、世の中で起きる自殺というもののなかには、ひょっとしたら同じような感覚で「少しだけ向こうに行ってしまった」人もいるのかもしれない。

よく知られている例を一つ挙げるなら、XジャパンのHIDEの自殺などはまさにそれのように思えるのだ。

投稿者 masato : 13:48 | コメント (10) | トラックバック(0)

2004年11月12日

太らない体をつくるために

僕は太らない体である。世の女性達はうらやましがるかもしれないが、食費がかさむとか、普通の定食じゃ足りないとか、それなりに悩みはあるが、今回はその体ができた理由について考えてみた。

この体はどうやら僕が毎週のようにサッカーをやっていることによってできあがったらしい。サッカーを定期的にやっている人に太っている人はいない。これはマラソン選手に細みの人が多いのとは違う。マラソン選手は繰り返し練習で走る事で脂肪を燃焼させているだけで、太らない体ができているわけではない。それはオフの高橋尚子などがひと回り太めになることからも分かるだろう。これに対して、サッカーをやる人は普通の生活をしているだけで脂肪が燃焼する体なのである。だから週末サッカーをやって、平日は普通に生活しているだけでも自然とエネルギーを消費していくのだ。

さて、その理由はというと、サッカーで鍛えられる大腿筋(だいたいきん)つまり太ももの筋肉が体積が非常に大きいからである。筋肉は体積が大きければ大きいだけ多くのエネルギーを消費するというわけである。一時期サッカーは足が短くなる・・などと言われていた時期もあったが、たまたまその時期マラドーナなどのもともと足の短い選手が有名だったからだと思う。実際には世界で活躍する選手には足の短い人などほとんどいない。

そんなわけで、僕も見た目は細身だが太ももは太い。ジーンズを買う時などは店員の持ってくるジーンズはだいたい28インチか29インチ・・すべて太ももで引っ掛かる。ダイビングのためにウェットスーツを買う時などは、店員が僕を一目見て「フルオーダーじゃなきゃ無理だね」と発言する始末である。

そんなわけで、「なでしこジャパン」など、すこしづつ女子サッカーの底辺が広がっているようである。所属しているフットサルのチームでは最近女性が一人入部してきて、毎週イチから教えている、サッカーのチームでも1年前まで女子部が活動していた(運営上の問題により現在停止中)が以前として女子部員募集中である。

ここで書いた内容を読んで、「サッカーをやってみよう」という女性が増えれば嬉しい限りである。

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2004年11月05日

大瀬崎 2004.11.3

この日は「空と海の会」での日帰りダイビングツアーである。横浜駅に7時に集合して、西伊豆の大瀬崎を目指す。メンバーは15人程だろうか、良く知った顔ばかりである。

大瀬崎に来るのは昨年の9月のオープンウォーター講習以来2度目、今回はダイブマスターコースということで、オープンウォーター講習のアシスタントとしてサポート役に徹した。この時期は毎回最初は寒そうで本当に潜れるのか・・と思うのだが、入ってみればなんてことはない。ウェットスーツ内の海水が体温によって暖められれば快適である。初めて海に潜ってたくさんの魚達にに一喜一憂している講習生たちを見ると、1年前の自分を思い出す。自分としては大して上達したとは思っていないので、こうしてサポートする側にまわっていることが少し不思議な感じ。とはいえ、自分のことは自分でしっかりやらなければならないし、あたふたしても講習生を不安がらせるだけなので、そのへんはしっかりした行動を心掛ける。1本目は水深3メートルぐらいのところでの講習のサポート。食事をとったあとの2本目は水深10メートルぐらいで講習生たちはコンパスナビゲーションなどを行って、それが終わると少し深いところまで行った。そんな流れだったので、あまり深くまで潜れなかったが、それでもひさしぶりに潜った海はいいものだった。

みかけた魚はたくさんいるのだが、悲しい事に多くの魚はまだ名前を覚えていないし、記憶など曖昧なので帰って来てから調べてもイマイチ自信がない。わかる魚だけ挙げておくと、アオヤガラ、クロダイ、カワハギ、ウツボ、ソラスズメダイといったところかな。あれ、地味な魚の名前しか覚えていない。キレイな魚もたくさんいたのだが・・・というわけで、魚の名前ももっとしっかり覚えなければならないということを実感。また近いウチに潜りに行くと思うので今度はしっかりと覚えてここに書こう。

投稿者 masato : 01:18 | コメント (3) | トラックバック(0)