小学校3年生のとき、日記を書かされた。たしか一週間ごとぐらいに提出して、それに担任の先生がコメントをつけて返してくれるのである。1クラス40人ぐらい。先生にとっても面倒にちがいないこの習慣。なぜそんな宿題を出すのか。それは、「子供達の表現力を育むため」である。表向きの話である。
さて、裏向きの話。日記という宿題は、クラスの子供達のすべての行動を把握したいという担任の独占欲の現れである。「私は子供達の事を熟知している。親よりも、子供達の友達よりも」そんな想いがこの日記という習慣を子供達に植え付けるのだそうだ。
世代は変わって、今、僕が務めている会社には日報というものがある、毎日メールで、その日の作業内容や作業にかかった時間、作業で感じた事などを社長宛に送るのである。なぜそんなことをするのかというと、「従業員に指示を与える立場の社長が、従業員の作業内容を把握し、作業を円滑に進めるため」である。それが表向きの話である。
大学時代、僕と同じくらい細身の友達がいた。彼は細身に見られる事を嫌って、太めのジーンズとトレーナーを好んで着ていた。
サッカーのチームメイトで身長146cmの女の子の友達がいる。最近は会ってないので今はどうなのかわからないが、彼女はいつも10cmぐらいの厚底ブーツを履いていた。背を高く見せたいらしい。
先日、僕より背の高い女性と話す機会があった。彼女はスニーカーをはいていて猫背で姿勢が悪かった。背が高く見えるのを避けたいらしい。
どうしてみんな「普通」というグループに埋もれたがるのだろう。一方で、「人にはできないことがしたい」などという夢を語りながら、自分にしかない才能を自ら埋もれさせようとしている。「自分にしかないもの」を「自分にしかない短所」ではなく「自分にしかない長所」と受け取ることが人生を明るく変えてくれるはずなのに。
「多くを語らず、行動で自分を表現する」という根元にある僕の生き方はこの先変わらないだろう、そして、そういう僕を知ったうえで嫌う人が世の中にいるのなら、それは仕方がないことである。しかし、初対面の第一印象で誤解した捕らえ方をされて、カベを作られたらせっかくの人脈および自分の世界を広げる機会をなくしてしまう。それは視野を広げるということにおいては非常にマイナスである。というわけで改めて言うまでもないことかもしれないがコミュニケーションというのは非常に大切なのだ。
最近読んだ本にこんなことが書いてあった。人と会話をするのに重要なのは「聞く技術」である。なぜならほとんどの人は自分のことを話したがる。だから人の話を上手く聞くという技術は会話をするうえで非常に大切なのである。
それではその「聞く技術」というのはどんなものか。僕の記憶に残った「聞く技術」を2つ挙げてみることにする。1つは、人の話に対して「でも」「だけど」「しかし」などの逆接の言葉を使わないというものだ。反論したくてもあえて「そうだね」と肯定するのである。それによって相手の話はすこしづつ深い部分にはいっていくのである。もう1つは、人の質問に対しては1行程度のセンテンスで回答し、同じ質問を相手にもしてあげるというものだ。例えば「最近仕事どう?」と聞かれたら「順調だよ。そっちは仕事どお?」と返してあげるのである。ある事に関しての質問をしてくる人はその事について話したがっているというわけである。
とりあえず、この2つはしっかり頭にたたきこんだ。なんか誰かと会話をしたくなってきたな。
先日の飲み会で隣に座った女性と話をしていて、お互い一人暮らしということで、生活の話になった。「新聞とってる?」と聞いて来た。とっているので「とっている」と答えた。彼女は「そうだよね。とってない人なんてどうしようもないダメ人間だよね〜」。さらに話は続いて、彼女に聞いてみた「ネットやる人?」「やらない。インターネットのなにがおもしろいの?」だそうだ。その女性は看護婦ということなので、ネットに関わることはほとんどないらしい。
話は変わるが、最近、新聞をとるのを辞めようかと思っている。ネットでほとんど読むことができるし、新聞は油断するとものすごいゴミになって部屋に散乱してしまうからだ。しかもネットで新聞を読めば、調べたいことはたいていその文字からリンクがはってある。リンクされていなくても、モニタに向かっていれば別のサイトからいつでも調べることができるからだ。
そんなわけで、実は僕にとっては先程の女性の話は少し滑稽だったのである。毎日、新聞をスミからスミまで読もうとも、インターネットという手段を利用しない人の中には大した情報量はないに違いない。そう思うのである。しかも、新聞は受動的な知識の吸収であって、インターネットは能動的な知識の吸収である。どちらが深く記憶に刻まれるかは明らかである。もちろん最近、少し大人になったと自覚している僕は、あえてその女性に反論したりはしなかった。
ちなみに今僕が勤めている会社の社長は、WEB制作会社の社長であるにも関わらず「ネット」新聞よりも「紙」新聞推奨派なのである。なぜなら、「紙の新聞のレイアウトが問題で、あのスペースの使い方でどの記事が重要なのかが伝わってくるから」だそうである。しかしそれって新聞の編集者の判断に振り回されていることにならないだろうか。記事の重要性だって、個人によって変わってくるのだから。
さて、そうなると問題はテレビ欄である。こればかりはわざわざネットで調べるのはめんどくさい。
9月8日から9月12日にかけて、所属しているサークル「空と海の会」恒例のセブ島ツアーに参加してきた。もちろん目的はダイビングである。そのときの出来事や感じたことを書いてみようと思う。
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1日目(2004年9月8日)
12時00分に成田空港に集合。14時00分にセブへ出発。マクタン空港からバスで3時間程。右ハンドル。センターラインはほとんどなく。文化の違いを感じる。日本ほど家の中に娯楽がないのだろう。結局、宿泊場所のカワヤンマリンについたのは日付けが変わった深夜1時頃。1日移動で終わってしまった。
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2日目(2004年9月9日)
ダイビング日和である。メンバーは2つのグループに別れる。アドバンス(AOW)講習組とオープンウォーター(OW)講習組である。僕はアドバンス組なので船、クールバナナ号でモアルボアルを目指す。乗り物酔いの激しい僕は船での移動は非常に不安だったが、波もほとんどなく非常に快適で船で2時間程で無事に目的地に到着。午前中の1本目は初めてのボートダイブ。初めて野ジャイアントスライドエントリー。ボートから歩くようにして大きく一歩、海に踏み出すのである。半年降りのダイビングだったので潜降に手間取ったし、ウェイトの調整が甘かったためか途中なんども浮きそうになった。サンゴを傷つけずに潜れただろうか・・。午後は船で5分程離れた距離にあるペスカドール島でのナチュラリストを兼ねたダイビングだった。2本目にウェイトを4kgに増やしてからは安定して水中の生物を楽しむ余裕ができた。まだまだダイビング経験が浅く、水中で見たものの名前がわからない。ここに記述できないのが悲しいところだ。
2本のダイビングが終わってからは、スタッフが打ち合わせしている間、船の回りでシュノーケリングして遊んだ。カワヤンマリンに戻って来て、1時間程の休憩を経て、今度はレスキューの講習、溺れている人を救出するときの運び方など、みんなで競争したりして非常に疲れた。
さて、レスキュー講習が終わってひと休み。今度はAOW講習のナイトダイビングである。18時頃に潜ってしばらくするともう海の中は真っ暗。ライトを手に持っているからとは言えさすがにこれははぐれるのが怖い。唯一の救いは潜っているのが僕らだけということだろうか。見える光はみんな仲間の光なのである。日本のダイビングの盛んな場所で潜ったらこうも行かないだろう。
御飯を食べてから、今度は近くで開かれているお祭りに行く事に。いってみると小さなギャンブルがたくさん並んでいる。ルーレットや輪投げやなどの素朴なゲームである。僕も何度か挑戦。ルールが良くわからなかったが地元の空気に少しだけ馴染めて楽しかった。やはり日本人は珍しいらしく、四方八方から視線を感じる。
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3日目(2004年9月10日)
前日12時頃寝たため、長い事寝てられない。6時には目が覚める。起床時間は8時、食卓に行くと、すでに2,3人が先に起きてのんびりしている。しばらくすると他にも何人か早起きして来たメンバーが。誰が言い出したのかなぜか麻雀が始まることになる。青い海、青い空、白い砂浜、そして麻雀牌をかき混ぜる音・・なんともミスマッチである。
今日はネグロス島でドリフトダイビング。OW組もAOW組も一緒にクールバナナ号でネグロス島へ。1時間程船に揺られている途中。左右からトビウオが飛ぶ。その距離3,40メートルぐらい。
OW組をホワイトサンドに残してAOW組はディープダイビング。水深23mで簡単な数式を解く。15×3・・・・45。なんてことはない問題だが普段あまり数字を見ないので少し考えてしまった。結局最大水深は23.6m。水深5mで10分間の安全停止を終えて浮上。この日は酔い止めの薬切れ。少し波に酔った。船で砂浜に戻ると、今度はOW組の講習。その間、船の上で昼寝をすることにした。午後はドリフトダイビング。ジャイアントスライドエントリーも少し慣れて来た。傾斜に沿って移動して浮上後、船に拾ってもらう。
帰る途中。ついに遭遇。イルカの群れである。クールバナナ号の舳先に移動した僕の2,3メートル先を何度もイルカは飛び跳ねてくれた。その瞬間をみんなが一生懸命カメラにおさめようとするがタイミングがなかなか合わずにいい写真が撮れなかったらしいが、僕の目にはしっかり焼き付いているのである。
カワヤンマリンに戻ってくると現地の人がデジカメを持って寄って来た。なんと僕らがダイビングをしている間に、カワヤンマリンのすぐ前をジンベイザメが泳いでいたと。デジカメには大きなジンベイザメが写っていたのである。大きさは8メートルだとか・・・信じられない。明日はファンダイビング。ジンベイザメが通るころ海の中で待機しよう。ということになった。
夕食は車でモアルボアルへ向かう。トラックとバスの中間のような車。当然のように屋根の上にも人が乗っている。もちろん窓から顔を出しても怒られることはない。モアルボアルで夕食を食べていると、地元の女の子達がTシャツを売りに来た。日本人は美味しいカモなのかもしれない。そんなカモになってしまった。150ペソで買ったTシャツは残念ながら小さすぎて着れなかった。別にそのTシャツが欲しくて買ったわけではない。
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4日目(2004年9月11日)
この日も早起き。すでに麻雀の音が・・。このままこの場所の朝の恒例になってしまうのだろうか。この日はファンダイビング。酔い止めのない僕は波に酔うのがもはや当然のような流れ。どうやら僕は酔い止めなしで海に潜ってはいけない人間らしい。この日は1本だけで残りはの時間はのんびり昼寝をして過ごした。結局残念ながらジンベイザメに会えずにすべてのダイビングを終えたわけでが、まぁいつだってやり残しは大切。それによって次に繋がるからだ。
その後はサイマンフォールという地元の観光地である滝に遊びに行った。「神の天国」というコピーの滝は僕にとってはジャングルの奥地のような感じ。帰って来た後のカワヤンマリンからみえる夕日もまた奇麗なこと。夕食後には豚の丸焼きを食べた。昼間、豚の悲しそうな悲鳴を聞いているだけに、複雑な思いもある。食事の後は最後の夜を満喫。アドバンスなどの申請書を書いて、ログ付けを終えたあとは、最後の夜を満喫。現地の人たちもカラオケパーティ。現地の人が歌う英語の曲は新鮮で、歌の上手さが印象的。セリーヌディオンの曲などは涙を誘ってくれた。生活の違いからだろうか、10才くらいの女の子がものすごい歌唱力だっりするのである。
24時頃まで地元の10才ぐらいの女の子3人組と話していた。といっても会話が成立していたかどうかは自信がない。いつまで起きているのだろうと思って、英語で聞いてみた。「What't time will you go to bed?」「Ten o'clock.」。そのときはもう12時をまわっていた。会話は成立していなかったらしい。
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5日目(2004年9月12日)
最後の日、5時起床で、6時に出発現地の人たちと別れを惜しんで出発。結局成田に着いたのは20時頃。密度の濃い5日間だった。
クールな人間が好きである。もちろん「勘」や「勢い」も人生においては必要であるし、それが結果的に良い結果を生み出す事もあるだろうが、物事を冷静に見極めて判断する方が、結果的にはいいほうに転がる可能性が高いだろうという考えからである。そのような理由から僕自身もそういう人間を目指しているし、これからもそうだろう。
日曜日の昼間、ドキュメンタリー番組で明治大学の応援指導部を追い掛けた番組が放送されていて、点けっぱなしになっていたテレビから流れていたので見ていた。真夏にも関わらず学ラン。わずか1メートるの距離で先輩と声を交わすのにも大声を出す。そんな毎日を彼等は4年間続けるのだ。彼等が大声を出すのは、大声を出す事によって自分の気合いを人に認めてもらいたいからだとか・・そんな説明を聞いても、残念ながら僕には理解できない。
しかし、「こんな生き方もあるのだな」と少し思った。人の考えを否定するのではなく、受け入れようと耳を傾ける姿勢だけはずっと持っていなければならないと。そんな当たり前のことをふと考えたりした。
社会に出て今年で6年目である。あっという間だった。この6年間が小学校の6年間と同じだなんてとても信じられない。
子供の頃の時間は長く、大人になると時間が経つのが早くなる。そんな時間の長さの感覚的な違いと言うのは多くの人が経験している事で、過去いろいろな人がその理由を説明しようとした。1つにはこんな説がある。
「5才のときの1年は人生の5分の1だが、30才のときの1年は人生の30分の1なのだ」
しかしこの説明はおかしい、身近なもの置き換えてみる。例えばこの前、フルマラソンをしたのだが、この説明だと最初の1kmよりも最後の1kmの方が短く感じる事になる・・・あの最後の苦しみは経験した者にしかわからない。「走ってみろ!」と言いたい。さらに、昔を振り返ってみると、中学2年の1年間より中学3年の1年間の方が長かったし、高校3年の1年間より大学1年の1年間の方が長かったのだ。
もう1つの説はこんなものだ。
「人は待ち遠しいと思う事によって時間を長く感じる。子供時代は待ち遠しいイベントが多かったから時間が長く感じるのだ。」
子供の頃を振り返ってみる。そんなに待ち遠しいイベントが多かっただろうか・・。待ち遠しいのは体育の授業ぐらいで、全体的に今とくらべると待ち遠しさの度合いが小さい気がする。今の方がはるかに待ち遠しいイベントは多いし、待ち遠しさの度合いもずっと大きい気がする。そんなわけでこの説にも納得がいかないのである。
たしかに「早く○時にならないかな〜」と時間が経つのを待っているときの時間は長く感じるが、あとでその日のことを思い返して「あの日は長かった」などとは決して思わない。僕らが求めている「時間の長さ」とは、後でそのときのことを振り返った時「あの日は長かった」とか「あの1年は長かった」とか、そのように感じられる「時間の長さ」なのである。誰かその「時間の長さ」を感じる秘けつを説明してもらえないだろうか。
最近でも時間が長く感じる事はある。
先週の土曜日。朝は渋谷で9時から11時までサッカーのチームの練習をして、一度家に帰って昼飯を食べてから、15時〜18時で恵比寿にスカッシュの練習をしに行った。その後は19時から21時までは大井町でフットサルをしたて22時、家について1日を振り返ってみる。すると、サッカーをしたのが同じ日とは思えないぐらい昔に感じるのである。きっとこれが大きなヒントなのだ。
「グータン」という番組がある。ゲストの行動を追って、精神科医が心理を分析するという番組だ。あるゲストに向かって、その精神科医が言っていた。
「あなたは人には絶対に借りをつくりたがらない人です」
どきっとした。自分のことを言われているのかと思った。
そうそう、僕は人に借りを作るのが嫌いなのだ。だからどんなに仕事が忙しくても人に手伝ってもらおうなどと思わない。人と待ち合わせをして、万が一遅れてしまうようなことがあったら、「さっき遅れたから御飯おごるよ」といって、その日のうちの貸し借りなしの関係に戻そうとするのである。後日、その友人が待ち合わせに遅れて来て「これでお互い様だね〜」なんてのは絶対ナシなのだ。
大学1年のときの話である。サッカーサークルの新歓コンパでたまたま隣に座った人と意気投合。財布に細かいお金がなかった僕は、その人に3,500円払ってもらった。後日、サークルに行くようになったが、その彼はサークルには入部しなかったようで、それから今まで会う事はなかった。結局3,500円を返す機会は訪れなかった。1度しか会っていないその人。確か、名前はニシワキさん。2浪して入学したということだから今は29か30才のはずである。おそらく彼の事は、お金を返すまで忘れられないのだ。つまり、たぶん一生。もっとアバウトな性格になりたい・・と言いつつ、やはり義理堅い自分の性格が好きだったりもする。



