2004年08月25日

シキモウ

「色覚異常」というものがある、「色盲(シキモウ)」という言葉で言われる事も多く、生まれつき人と色の見え方が違う特性である。その割合は意外と多く、男性では20人に1人存在する。つまりクラスに1人か2人はいることになる。人と色の見え方が違うとは言え、本人は生まれた時からその色をその名前で言われてきたのだから不自由する事はない。そんなふうに思うかも知れないが、問題は色が隣り合った時に起きる。ここに載っている図を見てみよう、僕の場合、上の図を見れば右の「9」の方が読みやすいし、したの図を見れば「4」の方が読みやすい。なるほど僕は「色覚異常者」なのだ。

とはいえ、日常生活に不自由を感じたことなど一度もない。人との違いを感じた事もない。みんなが「キレイ」だと思う景色を僕も同じように「キレイだ」と思うのである。それでも健康診断などであの色覚検査の本を見せられるたびにイヤな思いをしたのを覚えている。「なぜ区別する必要のないものを区別するのか」と。

大学時代、友達とそんな話をしたとき、その友達はこういっていた。「へぇ〜色盲なんだ・・だから絵が上手いんだね」と。過去にその友人の周囲にいた色盲の友達はみんな絵がうまかったという。そういえば僕自身もかなり芸術的センスは持っていたように思う。特に絵を勉強していたわけでもないのだが、美術の時間には必ずみんなから注目を集める絵を描いていたように思う。おそらくそれがあったから、今はデザインの仕事をしているのだ。

「色盲の人は絵が上手い」その事実にはまったく根拠がないのだが、その友達の発言を聞いて考えが少し変わったのである。「色盲」である僕は、「普通の人が判別できる色の組み合わせが判別できない」という能力の欠陥を抱えた人間ではなく「普通の人が判別できない色の組み合わせが判別できる」という特殊な能力を持った人間なのだと。恵まれた人間なのだと。少し楽になった。

今でも、小学校や中学校の健康診断では色覚の検査をするのだろうか・・・
それに該当してしまって悩んでいる人が読んでいたら、彼等に言いたい。それは特殊な能力なのだと。美術の道に行きたくても「色盲」ということで諦めようなどと考えている人がいたなら教えたい。僕はデザインの仕事をしているのだと。ポジティブシンキングは困難な道を開くのだ。

【参考サイト】
色覚異常web site

投稿者 masato : 13:43 | コメント (0)

2004年08月17日

眠っている間にも人は大量の汗をかく

「あるある大辞典」でこんなことを言っていた。眠っている間も人は大量の汗をかく、だから眠る前とおきた後の水分補給は非常に大切だと。それを見てから水分補給の重要性を意識し、常にスポーツドリンクを買っておくようにした。最近ではペットボトルをベッドのわきにおきっぱなしにしてあることも年中である。

ある晩、夜中に目を覚まし、喉が乾いていたので、うとうとしながらペットボトルを探した。ペットボトルを手に取ると、中身をが〜っとのどに流し込んだ。

実はそれはウォッカのビンだった・・・胸の中が焼けるかと思った。

投稿者 masato : 13:19 | コメント (2) | トラックバック(0)

2004年08月14日

日記20040814

「日記」というリンクからこのブログに辿り着く人も多いはずだ。しかし実際にはここに書いてあることはただ思い付いたことを書いているだけである。今日は日記らしいものを書いてみようと思う。

フットサルチームも、サッカーのチームもお盆のためか人数不足のために練習が中止になった。普段の土日ではありえないことである。

そこで、午前中は武蔵小杉に行って来た。ダイビングショップの移籍先として候補にあがっている「シーブロス武蔵小杉」を見に行ったのだ。というのも現在四谷にあるショップのメンバーになっているのだが、伊豆などに潜りに行く際、わざわざ四谷に集合して、また、帰りも我が家のすぐ近くを通って四谷まで行ってから解散。そんな無駄な時間を極力少なくしたいので、できれば近所にあるダイビングショップに移籍したいと考えての事である。ところが「シーブロス武蔵小杉」はスポーツクラブオアシスの一角で、とてもとてもメンバー達が集まって交流を深められるような環境には見えない。スタッフに話を聞くまでもなく却下した。また、別のショップを探すとしよう。

その帰り、本屋でパラグライダーの雑誌を買って来た「パラグライダーチャレンジ2004-2005」という本である。1月に始めたパラグライダー。最近はいい風に恵まれないため、斜面での練習が続く。同じ山からだけでなく、海の見える場所、富士山の見える場所、海外でもいつかフライトしてみたいと考えるようになった。そして、そのためにはどのレベルに達すればいいのか、いままでは気にもしていなかったパラグライダーの基本的な知識を深めるためである。僕のスクールはJHF(日本ハング・パラグライディング連盟)なので、全国のフライトエリアで自由自在にフライトするためにはP証というのが必要らしい。まだまだ先は長いらしい。

午後は、恵比寿のスポーツプレックスにスカッシュをやりに行って来た。ここでは16時から18時までを「チャレンジタイム」とし、この時間に集まったスカッシュ好きな会員同士で小さな大会をするのである。今日は参加者が10人だったのでトーナメントだった。残念ながら2回戦でスピードのあるボールを武器とする外人さんに敗退。ずいぶん動きやショットの精度は学生時代に戻って来たのだが、毎回後半に体力切れしてしまう傾向が強い。体力不足ではなく、どちらかというと長いブランクによって腕の筋肉が落ちているためだと考える。後半、腕が下がって来て無理な体制で打つことによって体力を無駄に消耗するのだ。
もう少し練習できる環境が近所にあればいいのだが、現在の週1回のスカッシュでは、筋肉が戻るのにずいぶん時間がかかることだろう。会社帰りに練習できる立地条件で、なおかつ毎日スカッシュ好きの会員たちが集うスポーツクラブ。そんなのがどこかにないだろうか。その前にもう少し残業の少ない仕事に転職しないと無理かも。週2回、安定して練習できるようになったら、学生時代のように大会に出たいものだ。

以上、自分にとってはおとなしい1日でした。

投稿者 masato : 20:57 | コメント (5)

2004年08月13日

その姿勢を尊敬する

社会人1年目、ネットワークエンジニアという職業に就いていた。毎日、打合わせや、提案書づくり、ルータの設定に追われていた。休日出勤も3週間に1回ぐらいで、それでも使い切れないぐらいのお金が貯まった。誰がやっても同じものができる仕事の性質にやりがいが感じられず、一人暮らしを始められるだけの貯金がたまって何をやっても親に迷惑をかけない条件がそらったのと、なにかしらデザイン関係の仕事がしたかったこともあって、とりあえず会社を辞めてみた。2000年の春のことである。

結局アルバイトとして、ウェブデザインの会社に勤めることになった。SEからデザイナーへの転職。時給1,000円で1日8時間、毎月15万程度の収入で、ヘタをすると前の会社の半分だった。今考えると信じられないような貧乏生活だった。あれから4年。何度か会社を移りながらも、デザインのセンスやプログラムに関する技術も身につけ、やっとそれなりの収入を得られるようになった。

アルバイトとしてこの仕事を始めた頃、一緒に仕事を始めたUさんという女性がいた。4才年上で当時28才の彼女もまた未経験からのデザイナーへの転職であった。

先日、僕は誕生日を迎えて28才になった。当時の彼女と同じ年齢である。まだまだやりたいことは山ほどあるが、今、月給15万の貧乏生活に戻ってまで追い求めたい夢は、残念ながらない。見栄やプライドが少し邪魔をするのだ。

Uさん、あんたはスゴイ!女性でその年齢で自分の行きたい道を諦めないその姿勢はスゴイ。4年後の今になって、少し尊敬するのだ。

投稿者 masato : 04:48 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年08月12日

スーツにネクタイ

会社には私服で通勤している。こんな暑い季節はTシャツ、ジーンズで出社である。それでも客との打ち合わせのときにはスーツを着るように言われている。先日の打ち合わせの時ももちろんスーツで、会社を出る直前までバタバタしたために、駅まで走ることになった。駅に着いたらスーツの中は汗びっしょり。スーツにネクタイ、なんて意味のない習慣なんだろう。

女性にとってのフォーマルはいろんなバリエーションがあるのに、男性のフォーマルはスーツにネクタイのみ。もちろんネクタイの色やスーツの色で若干の個性は出せるが、僕はシルエットを重視する人間なのだ。服装も個性の一部と考える僕にとっては、スーツで出社する日が嫌でたまらない。

そこで、一般的な企業のよくある一場面を想像してみた。

スーツで外出していた上司がワイシャツ姿で社内に戻って来た。このクソ暑いのに、シャツの中にランニングを着ている事になんの疑問も抱かないその上司は、「いや〜暑い暑い・・」そう言いながら、エアコンの設定温度を周囲の了解も得ずに、2度程下げることだろう。少し暑さがおさまって来た上司はエアコンの温度によって若干寒く感じたのか、椅子にかけてあったスーツの上着をはおって温度調整完了。こうなったら、比較的服装の自由なOL達はたまらない。寒い。けど上司には意見できない。こんなことを繰り返すうちに、体調をくずして会社をやすむことになる。せっかくの有給を家で寝て過ごすのだ。

というわけで、「スーツにネクタイ」という習慣を無くしたら世の中はどうなるかというと。会社の光熱費、OLの人件費を削減できるだろう。そして、OLたちは有給をつかって外に繰り出し、その効果でサービス業は不況からいち早く脱出することだろう。景気の好循環が始まるかもしれない。

かなり極端な仮説だったが、「スーツにネクタイ」この習慣が今の世の中に少なからず悪影響をおよぼしている事は事実のような気がするのだ。

投稿者 masato : 13:13 | コメント (5) | トラックバック(0)

2004年08月11日

こんな例え話

誰かが僕のことを1日中ビデオに撮っているとする。撮ったビデオは1日を10分程度のダイジェスト版にまとめて保存しておいてくれている。これを毎日毎日繰り返す。1年で365本の10分テープがその人の元にはたまる。

さて、次の年も半分を過ぎた頃、去年撮ったビデオを順番はランダムに見せてもらうことにしよう。そのビデオを見て。「これは○月○日だ」と自信を持って言える日はどれくらいあるのだろう。去年のカレンダーぐらい手元に用意してもいいかも知れない。それを見れば、何月何日が何曜日かはとりあえずわかるので大きなヒントになるだろう。

例えば去年。つまり2003年であれば僕の場合はどうだろう?

サッカーの試合中に足を骨折したのは1月18日。
足を手術したのは1月22日。
サッカーで肋骨を骨折したのは7月26日。
よみうりランドでバンジージャンプをしたのは12月7日。
社長に「会社を辞めさせてください」と告げたのは12月26日。

今は手元に去年のカレンダーがないのでこの程度だが、カレンダーがあったら、50日ぐらいは当たるかな。仮に50日だとすると365分の50で、だいたい7分の1ぐらい。これが普通の人と比べて多いのか少ないのか。

話は長くなったが、何が言いたいかというと、この割合を増やして行く努力を常にしていきたいのである。今日と明日は常に違う日。そんな生き方を求めて毎日刺激を求めているつもりでも、なかなか実現するものではない。ちなみに昨日と今日はどちらもとある企業のサイトのデザインに悪戦苦闘して終わった。おそらく来週になれば、8月10日と8月9日の区別はつかなくなっていることだろう。

こんなことではいけない。刺激を求めるだけでなく、毎日、日常のほん些細な出来事にもいろんなことを感じるようにしよう。例えば、今日の朝、電車で僕の隣に立っていた人と、明日の朝、隣に立っている人はきっと違ってうし、その人の中にも僕と同じぐらい密度の濃い世界観があって、服装や姿勢、腕につけている時計も、その世界観が反映されているはずである。それを感じ取れるようになれば、また毎日は違ったモノになるかもしれない。

投稿者 masato : 00:55 | コメント (5) | トラックバック(0)

2004年08月10日

2004年夏 青春18切符の旅【山陰】

昨年に引き続き、今年も青春18きっぷで一人旅に出かけた。今回は西に向かうことにした

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1日目(2004年8月6日)

6日の夜23時頃に家を出て、日付けが変わった0時ジャストに横浜駅の改札をくぐった。0時14分横浜発のムーンライトながら91号に乗車。ワクワクしてくる。5時間程前まで仕事をしていたのが嘘のようだ。去年乗った、新潟方面のムーンライトえちごとちがって、こちらは満席。なかなか眠れない。まあいいさ。眠たくなったらいつでも眠れる。鈍行旅行の魅力の1つである。もちろん座れればの話だが。

翌朝5時55分、ムーンライトながら91号の終点、大垣駅に到着。ここからは東海道本線に乗り換えて、米原(まいばら)まで向かう。運良く座ることができた。6時35分、米原に到着。ここまで座って来たために次の乗り換えに出遅れる。そのため米原〜姫路間の約2時間半を車内で立って過ごすことになる。途中、京都、新大阪、大阪と良く聞く名前の駅を通り、途中はかなり混んで来た。「あつは夏いなぁ〜」。ここでそう呟いたらみんな突っ込んでくれるのだろうか・・などと考えたりした。

8時58分、姫路に到着。次の乗り換えまでは40分程で、残念ながら姫路城まで行く余裕がない。それでも駅前に出たら姫路城の右側がちらっと見えた。またいつか来よう。駅前のフードコーナーでお好み焼きとアイスコーヒーで昼食を済ませた。のんびり昼食を取っていたためか、次の電車に乗車したらすでに席は埋まっていた。この後の山陽本線の姫路〜岡山間の約1時間半も立って過ごすことになる。

11時29分、岡山に到着。ダッシュで瀬戸大橋線のマリンライナー27号に乗り換える。ついに瀬戸大橋を渡るのだ。初の四国、もちろん初の瀬戸大橋である。3つほど途中駅に停車した後、ついに瀬戸大橋にさしかかる。感動。人目をはばかることなく車窓からデジカメで写真を取る。しかし、橋桁が邪魔でなかなかキレイな写真が撮れない。デジカメの液晶画面で見る写真と自分の目に映る風景のギャップに悲しくなる。坂出の駅で降りて駅前を少しぶらぶら。なんにもない。駅前にはSATYがあって中にはゲーセンあり、スポーツクラブあり、SATYのほかに娯楽施設らしきものはないところを見ると、この周辺住民の集いの場なのだろう。瀬戸大橋記念公園にも行きたかったが時間がない。ここもまたいつか来よう。さぬきうどんの店が駅前にあったが順番待ちが長いので、ファーストフードで昼食を済ます。13時07分発のマリンライナー29号で岡山へ戻る。1時間程の四国滞在でした。四国一周の旅はまた次回以降。

岡山に再び到着、次の乗り換えまでは40分程、少し駅前を歩いてみる。残念ながら良くある乗換駅と言った感じ。岡山を感じさせるのは駅前のポストの上に乗っている桃太郎ぐらいだろうか。さて、ここからは鳥取を目指す。まずは津山線で津山まで行くことにする。ホームに入って来た電車は2両。ようやく本格的に旅が始まったという感じ。しばらくうとうとして目覚めると、車窓に広がるのは山奥の町並み。それでも津山線の終点の津山はしっかりと栄えた町でびっくり。正直、岡山から鳥取の間は過疎地だと思っていた。この辺の住民の方、ごめんなさい。

津山でしばらくぼーっとして、因美線で智頭(ちず)を目指す。この路線の周囲の風景は今回の旅でもっとも魅力的な風景、茶色い屋根と山の緑と茶色い畑は、何年も前にタイムスリップさせられたかと思う程である。次の電車までの間隔が短ければ、降りてぶらっと探索したいところだが、それができないのが悲しいところ。17時48分、終点の智頭に到着、ここで乗り換えて鳥取を目指すが、ATMでお金をおろすために智頭の駅前に出てみる、こちらもまたキレイで町。駅舎の形も個人的に好きである。

まばらだった家も次第に密度が濃くなってきて、都会っぽくなってくると感じ始めた18時44分、今日の最終目的地の鳥取にようやく到着である。まだ日は落ちていなかったので、鳥取砂丘に行こうとするが残念ながら鳥取砂丘行きのバスは19時20分までない。さすがに日の落ちてからの鳥取砂丘に行く元気がない。残念。鳥取に来て鳥取砂丘に行かないなんて。結局、駅前で夕食を食べて、ホテルに泊まることになった。

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2日目(2004年8月7日)

5時20分起床。鳥取駅前のローソンで朝飯を買って、6時1分の山陰本線で東へ向かう。浜坂の駅で乗り換えの際、ホームの端の方に行ってみる。こんな草を刈ってないホームというのがまた好きなのである。浜坂の駅を出てしばらくすると、今回の旅の山場の余部(あまるべ)〜鎧間の余部鉄橋である。ところが残念ながら、電車に乗っているとすごさがイマイチわからない、もちろんかなり高い場所を通っているのは感じるが、この鉄橋の凄さを実感するためには、余部の駅で降りてみるのがいいだろう。余部の駅には撮影用の場所が用意されているらしく、実際ホームにも「撮影ポイントへ」という看板と山の上に続く階段があった。次回ここを通る時は一度降りてみることにしよう。1時間に1本しか列車がないとしても、きっとその価値はあることだろう。

続いての駅の鎧駅も「青春18きっぷ2001冬」のポスターの舞台となった駅。当初、この駅で一度降りることを予定していたのだが、イメージと違う駅だったため、迷っているうちに列車は発車。後で少し後悔。列車の本数が少ないので、引き返すという行動はできるはずもない。そのせいで豊岡には予定より1時間程早く着いたが、次の北近畿タンゴ鉄道は本数が少なく、発車の時間が来るまで豊岡の駅でぼ〜っと時間を潰すことになる。

10時56分、北近畿タンゴ鉄道で日本三景の一つだる、天橋立に到着。今回の旅で唯一、観光地らしい場所である。しばらくぶらっとしてみる。観光地ということで人が多い。特に年輩の女性が多い。リフトに乗って「天橋立ビューランド」へ。ポスターで見なれた風景が見える。あまり感動がない。僕は旅に一体何を求めているのだろう・・とりあえず「観光地」というものにその答えがないことはなんとなく理解できた。

天橋立を後にして、再び北近畿タンゴ鉄道で西舞鶴へ、続いて舞鶴線で東舞鶴。その後、小浜線で敦賀を目指す。小浜線はたった1両。そのわりに乗客は多く、約2時間立ちっぱなしである。左手に海を見ながら進む。途中、美浜という駅を通った。この2日後。美浜原発で蒸気漏れが起こり、4人の死者を出すことになるが、このときは原発があることすら知らなかったのである。

16時34分、敦賀に到着。高校野球で聞いたことのある町だが、感想はというと、大きくも小さくもない町といった感じ。16時57分発の北陸本線で米原へ向かう、ついに旅も終わりが近付いて来た。予定より少し早いので長浜でおりることにした。琵琶湖を見に行くのである。長浜の駅から10分程歩くと、ついに琵琶湖。初の琵琶湖である。日が暮れ始めの時間なので、キレイな写真が撮れた。空の広い琵琶湖の湖畔では、琵琶湖よりも大きな雲に驚いた。

18時28分、再び米原を目指す。米原に到着すると、東海道本線に乗り換えて、19時39分には大垣に到着。あとは23時00分のムーンライトながら92号の出発を待つだけである。3時間も余裕を持って大垣に到着したのには理由があって、この日は、アジアカップの決勝、日本対中国である。駅前を探索しながらテレビのある店を探す。しかし、そんな店はない。というより、ほとんどの店が22時には閉まってしまう。このあたりが東京とは、生活の基準がちがうのだ。ホテルのロビーやパチンコ屋など、いろいろ探したが結局諦めて、カツ丼を食べて駅に戻る。

これでもう旅も終わり。後は帰るだけ。そう思っていたらなんと、豪雨で名古屋〜共和間で運転見合わせ。最終的に3時間半ほど電車が動かない状態が続いた。その際、ホームや階段には列車の運転再開待ちの人でいっぱい。駅員に八つ当たりをする人、汚いホームの上で横になって眠る人、何時間でも座らずに立って待っている人。こうなってくると人間観察がおもしろい。途中、僕の隣で運転再開を待っていた女性が話し掛けてくれた「(ムーンライト)ながらで帰るんですか?」って。しばらく他愛ない話をした。なるほど、旅にはこんな楽しみ方もあるのか。残念ながらその女性の電話番号はもちろん、名前も聞いていない。この旅最大の後悔。素敵な女性だった。

結局、ムーンライトながら92号は1時間50分遅れの24時50分頃に大垣駅を出発。それでも横浜に着いたのは予定より50分遅れの翌朝5時30分頃だった。

今回、僕が得たモノってなんだろう。とりあえず、人がたくさん入る場所に行きたいわけじゃない。僕の知らなかった場所でで生活している人のその空気に触れたいのだ。そのことは再認識できた。

あ〜〜。また旅に出たい。今すぐにでも。

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