2004年07月30日

春は黙って行ってしまうようになる

mixiで「青春18きっぷ」というコミュニティを立ち上げたので、それに合った画像を探すために過去の「青春18きっぷ」のポスターを見ていた。99年の春の「18きっぷ」のキャッチコピーはこうだった。

−− 学校を卒業すると、春は黙って行ってしまうようになる。 −−

ぐっと来た。仕事中なのに涙が出そうになった。
社会に出て6年目。その間に春が6回やって来たはずだ。しかし、それを実感することは残念ながらできない。花見を6回やったわけでもない。卒業式を6回なんて絶対やってない。新入社員を5回迎えたわけでもない。社会に出たら季節の移り変わりは、自分で意識して行動しないと実感できないし、気がつくと時間はどんどん過ぎて行ってしまうのだ。冷房の効いた部屋で夏を乗り切る。暖房の効いた部屋で冬を越す。そんな季節の移り変わりから逃げた生き方は問題外だ。

学生時代、意味がないと思っていた、始業式や終業式さえも、季節の移り変わりを実感するためにはきっと必要だったのだ。

投稿者 masato : 12:21 | コメント (2) | トラックバック(0)

2004年07月27日

姿勢は性格を語る

「好きな女性のタイプは?」と聞かれたら「姿勢と歩き方のキレイな人」そう答えるようにしている。というのも、僕は人の姿勢や歩き方にはその人の性格が反映されると考えるからだ。

歩いている最中の顔の向き。下を向く人、左右を伺う人は自信のない人、真直ぐ前を見て歩く人はしっかりと目的を持った人。信号待ちやエスカレーターでの姿勢は特に注目すべきである。両足が揃っていて膝が真直ぐに伸びている人は「意志の強い人」。雨の日の傘の持ち方などではその人の周囲への気遣いの大きさがあらわれる。などなど、他にも書きたいことは山程あるのだが・・・

とにかく、こんなことを考えながらすれ違う人を見ていると意外と楽しかったりする。しかし、あからさまに見つめ過ぎると怪しいので気をつけないと・・

投稿者 masato : 13:38 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年07月26日

鈍行旅行の魅力

青春18切符の鈍行旅行を今年も予定しており、ここ2,3日は毎晩時刻表と格闘している。昨年は東北をまわってきたので、今年は四国か中国地方。その辺を考えている。

なぜ鈍行旅行をするのかというと。もちろん観光という目的もあるし、安いというメリットもある、しかしなんといっても、その場所に根付いている人々の生活に触れられるのが楽しいのだ。特に通学の学生達などを見るとうれしくなる、毎朝学校に行き、部活をしたり、友達とたむろしたり、好きな子の事で一喜一憂したり、という彼等の青春の大部分が、僕の知らないその場所で、確かに繰り広げられているのだ。そして、それを目の当たりにすることで、日本という小さな国のなかにも、自分の知らない場所、知らない生き方がたくさんあることを実感できるのである。

日本もいいぞ。日本も広いぞ。海外旅行する前にもう少し日本を見つめてみよう。いまだ日本から出たことのない僕は世の中に訴えるのである。

投稿者 masato : 13:34 | コメント (0)

2004年07月25日

明日死ぬとしたら

後悔しない人生を送るろうと努めている。しかし「後悔しない人生」って一体どういうことなのだろうか。「明日死ぬとしたら今日何をするか?ってこと」。そうゆう説明をよく聞く。

僕が明日死ぬとしたら何をするだろう。とりあえず勉強はしないな。だって明日死ぬなら意味ないし。好きな女性にに告白するかな。しかしそれも意味ないな。付き合っても1日で終わるし。やっぱり蓄えてある貯金で遊びまくるのが現実的だ・・・

どうやら「明日死ぬとしたら」という考え方はしょうもない生き方しか生み出さないらしい。おそらく「明日」というのが近すぎる未来なのだ。それなら、1年でどうだろう。これも短すぎる。10年。長過ぎる。10年もあると最初の2,3年はだらだら生きそうだ。5年。こんなものか。「5年後に死ぬとしたら」。これがいい。これを僕の生きるテーマにしよう。

投稿者 masato : 09:20 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年07月23日

彼等は嬉しいのか?

先週の日曜日、ひさしぶりに渋谷からの帰りに田園都市線で座ることにした。途中、60〜70ぐらいの歳の女性が乗って来たので席を譲ることにした。「すぐ近くですから結構です。」そう言われたが、「僕もすぐ近くなんで」そういって席を立つと、仕方無さそうにその女性は座ってくれた。彼女にとっては僕のとった行動は有り難いことなのか、それとも単に迷惑なことなのかはわからない。週末は運動をすることが当然のような僕が、このまま60、70歳ぐらいになったとき、若い人から席を譲られたら不快に思うかも知れない。「馬鹿にしているのか」「立ったままでいることぐらいなんともない」そんなふうにである。

自立している人間に対して、むやみに同情をすることは失礼だと、僕は考える。例えば、足の不自由な人に対して、「可哀想に」とか「手を貸しましょうか?」とか声をかけることは場合によっては非常に失礼なことである。

話は少し変わるが、前クールのドラマにはそんなハンディキャップものが多かった、「愛し君へ」「オレンジデイズ」などがそれである。ドラマの中に登場する少しずつ視力を失う人、耳の聴こえないことに悩む人、彼等を見ているとさすがに泣けてくる、かっこいい男優、キレイな女優がその役を演じているからなおさらである。あのドラマを見て、全国で一体どれだけの視聴者が彼等の演技に涙したことだろう。しかしそれは、目が見えなくてもしっかり生きている人、耳が聴こえなくてもしっかり生きている人に対して失礼にはならないだろうか。僕が制作者サイドに訴えたいのは簡単な素材で視聴者に涙させることで満足しないで、もっと人の考え方を変えるような、視聴者が人生のバイブルにできるような深いドラマである。少なくとも「泣けるドラマ=いいドラマ」ではないということは念頭に置いておいて欲しい。

投稿者 masato : 18:26 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年07月18日

禁煙席

昨年の5月に健康増進法が施行されて以来、喫煙家たちは肩身の狭い思いをさせられていることだろう。タバコなどまったく吸わない健康試行の僕にとっては嬉しい限りである。そして、それに伴って多くのレストランや喫茶店等では禁煙席の占める割合が非常に高くなった。これまた幸せなことである。しかし、「禁煙席」の定義が間違っていないだろうか。タバコを吸わない人間が「禁煙席」に求めるもの。それは「タバコの吸ってはいけない席」ではなく「タバコの煙が来ない席」なのである。

投稿者 masato : 23:15 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年07月13日

卒業

中学を卒業することには意味がある。義務教育を終了してそれぞれの能力にあった高校へと進むためだ。同じく、高校を卒業することにも意味がある。大学に行くか、働くかを選択してそれぞれの道に進むためである。

しかし、小学校を卒業して中学に入学することに意味があるのだろうか。制服を着るか着ないかの違いを明確にするためだろうかか?男子と女子を体育の授業で分けるか分けないかをはっきりさせるためだろうか?別に小学校が9年間だったとしてもなにも問題はないはずだ。そうすればわざわざ仲のいい友達と別れなくてもすむ。そんなふうに考えたことがある人もきっとどこかにいるはずだ。

それでも、あえてここに「卒業」というイベントを起こすことにはなんらかの意味があるはずだ。なぜなら、新しい校舎、新しい友達。「新しい環境に適応する」ということが人を大きく成長させる。きっとこの「卒業」にはそういう意味があるのだ。

転職を繰り返しているうちに、ふとそんな考えに至った。「仕事が嫌になったから辞める」。転職を繰り返す人間をそんなふうに見る人がいるが、僕等はそんな小さな人間ではない、自分を成長させるために新たな環境に飛び込んでいくのだ。

投稿者 masato : 20:45 | コメント (0) | トラックバック(0)

2004年07月11日

そういえば僕は・・

行定勲監督、窪塚洋介主演の「GO」を見た。本ではすでに読んでいてある程度内容は覚えているのだが、それでも見てみた。内容は在日韓国人である窪塚演じる杉原が在日韓国人であるがゆえに悩みを抱え、社会や人々の偏見に対して疑問を持つ。そんな感じである。

印象に残る場面がある。恋人に自分が在日韓国人であることを告白するシーン。告白した彼に対して彼女は「朝鮮の人の血は汚れているってパパから言われた」と言う。なんて下らない話だ・・僕は思う。

かくいう僕も母親は韓国人、父親は日本人。いわゆるハーフだ。つまり体の中には汚れた血が混じっていると言うことか?

今まで付き合って来たコにそんなことをしっかりと伝えたことってあったかな・・?

投稿者 masato : 23:22 | コメント (0) | トラックバック(0)