2004年05月28日

インターネットの人間関係に求めるもの

現実世界の人間関係の継続は双方に「利益」をもたらすことが前提となっている、友達や恋人はその典型的な例である。しかし残念なことにある人が自分にとって「利益」をもたらす存在であるか否かを判断するのには非常に時間がかかる。少なくとも言葉を交わさずにそれを判断するのは至難の業である。そして、どちらか判断つきかねる状態が長く続くといつのまにかその人間関係自体がなくなっていることが多い。街で出会った人に連絡先を聞こうと思っても教えてもらえないのは、その人にとって「利益」をもたらす存在であるかどうかが判断出来ないからである。相手にとって自分は利益を与えながら、自分はその相手から利益を受け取れない。そんな人間関係を避けようとするのは誰でも同じだろう。

僕らがインターネットの人間関係に求めるものは、双方にとって利益をもたらす人間同士を時間をかけずに、物理的な距離に関わらず結び付けてもらうことだ。それには、この人は何を趣味としていて、何を特技としているか、そしてどこに住んでいるか、などの情報が瞬時にわかり、連絡を取ろうと思えばいつでもとれることが理想である。しかしそれを実現しようとすると今度はプライバシーがなくなってしまう。

そこで落ち着いたのが今のソーシャルネットワークと言われるmixiやGREEのような形である。これらのサービスはすでに会員になっている人からの紹介がないと会員になれないというもので、それによって、「会員になっている人は信頼のおける人」という世界をつくり出す。結局その信頼のおける限られた範囲の中でのみ自分の情報を公開しようというものである。しかし、このまま会員が増えて行けば結局会員数は無限に増え続け、非会員サイトと変わらない状況になり、ネット上にでかでかとプライバシーや、連絡先を後悔しているのと同じ状況になってしまう。そのような理由からソーシャルネットワークを楽しむのは、中途半端な広がりをしている今だけである。という意見を耳にする。

しかし、新しい試みの未来をそんなにカンタンに「今だけしか楽しめない」と言い切ってしまうのではあまりにも悲しいではないか。こんな可能性があると考える。現在利用しているmixiでは会社名や職種の公開のレベルを「友人まで公開」「友人の友人まで公開」「全体に公開」と3段階から選択することができるのだ。今はまだ限られた項目にしか適用できないが、これをすべての項目で選択できるようにするのはどうだろう。そうすればネットワーク内の人が多くなり過ぎたら、公開の範囲を狭めるなどして、自分で自分のネットワークの大きさを調整することが可能になるのだ。人が増えすぎて無法地帯と化す前にサービスを提供する側にぜひ導入を考えて欲しいものだ。

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2004年05月26日

音楽配信

ネットからダウンロードして楽曲を購入する音楽配信が本格普及の兆しを見せている。パッケージ商品に慣れていると形に残らない音楽データを買うことには抵抗あるが、24時間いつでも思い立った時に欲しい曲が手に入るのは非常に便利である。ネットラジオと連動している配信サイトも多く、曲名、アーティスト名がわからなくても「この曲いい!」と思ったら購入できるのはやはり大きな魅力である。「欲しい曲があるんだけど誰が歌っているのかわからない」ということは今後なくなっていくのだ。

ところが現在主流な音楽配信方式は残念ながらCDへコピーできないため、PC以外で楽しむには非常に使い勝手が悪い。国内展開の年内スタートを表明しているアップルの「iTunesMusicStore」はすでにアメリカで1曲99セント(約100園)、CDコピーは無制限、と言う内容でサービスを提供しているが、この内容では、それより高い値段で配信していて、著作権保護も重視する国内レコード会社の参加は無理だと思われ、日本市場向けにどのような形を取るかは注目すべきである。

ただ、個人的にはCDにコピーのできないのではあまり利用価値が見えて来ない。PCでしか楽曲を楽しむことができないのであればPC環境を先に整えることに配信側は力を注ぐべきである。まだまだ多くのPCにはリモコン等がないのが現状である。のんびり音楽を聞きながらくつろいでいる最中に、音の大きさを調整するためだけにわざわざPCの前まで行ってマウスをドラッグするのであれば、音楽など流さない。そう思うのは自分だけだろうか。

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2004年05月21日

てんとう虫とフリーター

どこから入ってきたのかわからないが、気が付くと部屋の壁をてんとう虫が歩いていた。しばらくすると案の定、部屋のライトのまわりを飛びはじめた。コツコツと電気に当たる音が響く。しばらくして静かになったと思って上を見たら、ライトの中で動く塊(かたまり)が見えた。そとから見てもまだ飛ぼうとしているのがわかる。「もう出れないだろうな。」と思いつつ、ライトのカバーをはずしてまで一匹の虫を救うような優しさを持ち合わせてはいない。1時間後、動かなくなった塊(かたまり)がライトの中に見える。人間界に入ってきた虫のよくある最期である。

ところで、人間界にはフリーターが溢れているという。終身雇用が少しづつなくなってきたこともあるし、企業側がアルバイトや派遣社員という形を好むようになったためだろう。転職を繰り返す生活を送っていると、フリーターとも仕事をともにすることがある。彼等には彼等なりの考えがあって、その多くは仕事にも妥協したくないため、自分の理想といえる仕事の形を求めているように見える。しかし、理想をもとめて突き進みすぎて、やり直しの効かなくなっていることもあるかもしれない。30過ぎたころ社員として雇ってもらおうとしても、技術がなければなかなかそうも行かない。それが、光を追い続けて抜けだせなくなったてんとう虫と重なって見えた。少し横を見れば別の生き方があるというのに。自分らしく生きて行くのに必要なのは広い視野を持つことなのだ。

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2004年05月19日

人生って

とある会社で働き始めて2年。最初の1年より2年目の1年ははるかに短いことに気付く。このままでは時間はあっというまに過ぎて行ってしまう。そう思って今の会社に転職をした。転職をした最初の1週間はおそろしく長かった。しかし3ヶ月経った今・・もうゴールデンウィークが終わってから10日以上経っている。また時間の流れが早くなっているのだ。常に新しいことに挑戦しつづけないと人生は簡単に終わってしまう・・そう思っていつもいろんなことを考えて、「今日は何をしよう」「明日はなにをしよう」もちろんぼーっと一日を過ごすなんて許されない。人生ってなんて疲れるんだ。

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2004年05月09日

「母の日」には花束を

実家の母親からメールが来た「花が今届いたよ」。そう5月9日は「母の日」である!2日前に突然思い出してあわててネットから花束を注文したのだ。母親からのメールを見てとりあえず自分の務めを一つ果たしたような気持ちになる。それにしてもこういうときは本当にネットの有り難みを感じる。数年前であれば遠く離れた場所に住む親に花束を送るという行為も、前の週の休みに花屋に訪れてどの花を送るか悩んで注文書に記入して・・などと時間も手間もかけなければ出来ないことだったのだろう。
しかし、「母の日」の感謝の意味という側面で考えるとどうだろう。正直、仕事の合間にネットから注文しただけで親孝行した気になっている自分を咎めるもう一人の自分がいる。時間をかけてプレゼントに何を送るか、母親のことを考えて悩む・・その時間も含めて感謝の気持ちを伝えることに意味があったのではないだろうか。

投稿者 masato : 02:18 | コメント (0) | トラックバック(0)