2008年11月19日

親切の形もそれぞれ

毎朝、大宮駅で宇都宮線に乗って終点の上野まで行く。同じ時間の電車で、いつも同じ車両に乗るから、その車両にはよく見る顔ばかり。毎日電車の中で化粧をしている人もいれば、とにかく寝ることを朝の車内の日課にしている人もいる。

さて、最近毎朝、赤羽の駅で一人の女性が乗ってくる。彼女は見た目にはそうとわからないが、妊婦らしく、「お腹にあかちゃんがいます」のキーホルダーがハンドバックについている。彼女が乗ってくるそのドアは優先席のある位置なのだが、朝の電車だからか、座っている人の多くは眼を閉じていて、彼女が席を譲ってもらえるのは、5日に1回程度である。

僕は電車の中では基本的にまず座らないので、彼女に席を譲るなどという機会はないのだが、僕が大宮駅で乗車して赤羽で彼女が乗ってくるまで、僕の周囲では何度も席が空いたり埋まったりしているわけだ。もし座ろうと思えば5割ほどの確率で赤羽までには席が確保できるのだろう。

その事実に考えが至ってふと思った。

僕のように普段座らない人間が、譲るための席を確保するために座る…。そんな親切の形もひょっとしたらあるのかもしれない、と。

投稿者 masato : 01:58 | コメント (3)

2008年11月16日

褒める人とけなす人

多くの人間は人に評価されたがっている。自分が付き合う価値のある人間で、自分が話す価値のある人間であると…。普通に生きて、普段の自然な振る舞いから周囲の人にそう評価されるのであればそれはとても幸せなことで、それこそ才能と言うべきものだが、必ずしもすべての人にそのような才能は備わっていないのだ。

そんなとき人のとる行動によって、人は大きく二つのタイプに分けられると気付いた。人をけなす人、と人を褒める人、である。

人をけなす人の目的は、自分の周囲の人間の評価を下げて、自分の評価を相対的に上げること。一方、人を褒めることの目的は、もちろん単純に人を評価しているのだろうが、一方で、「この人は自分に以外の人間に寛容な人だ」などと評価されるだろう。

どちらが最終的に自分の評価を上げるかは言うまでもない。多くの場合、思春期のころに前者の考え方から後者の考え方へ推移するものだと思うが、不幸にもそのステップを踏まずに大人になってしまった人もいるのだろう。

そういう人は自分の評価を上げようとして周囲の人間を批判しながら、結果として自分の評価を下げていることに気付かずに生きていくのだ。

むむむ、なんか他人事ではない気がしてきた。

投稿者 masato : 21:32 | コメント (0)

2008年10月24日

面接

最近、新規採用で多くの人を面接している。そんな中驚くのは、みんなしっかり時間どおり面接に来てくれるということだ。もちろん社会人なんだから時間を守るのは当たり前だと、いう人もいるかもしれないし、僕自身もんな考えの持ち主ではあるが、それでもみんながみんな5分前には会社のチャイムをしっかり鳴らすということに少々驚く。

もちろん面接をするのは、インターネット経由で応募された書類を熟読し、「これは・・」と思えたわずか1割程度の選び抜かれた候補者だけなのだから当然かもしれないが、その応募書類はもちろんすべてメールやインターネットというデジタル媒体である。

僕が言いたいのは、「手書きじゃないと気持ちや人間性は伝わらない」という意見を言う人がときどきいるが、そんなことはないということ。デジタルの世界でも、文章の紡(つむ)ぎ方、返事のタイミングなどで、その人の人間性は強く伝わってくる。少なくとも、今回応募書類で僕を魅了してくれた人々はほぼその期待を裏切らないふるまいを見せてくれている。

投稿者 masato : 14:05 | コメント (0)

2008年10月14日

実は年中泣いている

見たまんまかもしれないが、実はわりと年中泣いている。

最近のヒットはやはりアフラックのCM。闘病の末に幸せを掴んだフィギュアスケート選手、井上怜奈さんの話。30秒CMだけでも十分泣けるが、サイトに行ってその物語をゆっくり読むともはや涙は止まらない。

投稿者 masato : 21:36 | コメント (2)

2008年10月13日

「宮廷画家ゴヤは見た」

世の中には有名な画家をモデルにした映画が多数あることを、ある本を読んで知った。絵画をただ観て楽しむだけでなく、そこに画家そのものの性癖や、その人が生きた時代への知識が加わればさらに楽しむことができるだろうという考えから、そういう映画を時間が許す限り観てみようという考えに至った。その最初のステップがこの作品である。

ゴヤは肖像画が得意とされた画家だから、多くの権力者達の肖像画を描いている。しかし同時に、1700年代後半から1800年代前半というヨーロッパ動乱の時代を生きたことによって、時代が彼にもたらした衝撃がしばしばその作品に表れる。フランス革命やナポレオン率いるフランス軍のスペイン進行はまさにその最たる例である。

映画中には、ゴヤの作品はもちろん、他の有名画家たちの絵画も多数使用されていた。例えば、ヒエロニムス・ボス、カラヴァッジョ、ベラスケス、僕の乏しい知識で判断できたのはこの辺までだが、西洋絵画好きには楽しめる映画だろう。

ちなみに物語的にはどうかというと、もちろん期待していなかったのだが、やはりそれなりであった。今日の善が明日には悪になるような動乱の時代だから、もはや何がどうなればハッピーエンドかすらわからないのだから、仕方がないかもしれないし、この映画自体、歴史の一部を垣間見るような感覚で見るべき作品なのかもしれない。強いて言うならやはりナタリーポートマンの演技はある程度のインパクトをもたらしてくれた。

せっかくなので、画家を扱った映画をいくつか挙げておく。

「カラヴァッジオ」(1986)カラヴァッジョ
「真珠の耳飾の少女」(2004)フェルメール
「ゴヤ」(1999)ゴヤ
「ピカソ」(1996)ピカソ
「モディリアーニ 真実の愛」(2004)モディリアーニ
「フリーダ」(2002)フリーダ
投稿者 masato : 22:31 | コメント (0)

2008年10月08日

女性が職場に求めるもの

我が社もようやく男だけの職場から脱して女性社員を採用することを検討している。しかしだ、このむさくるしい職場。このままではたとえ採用したとしてもそう長くいついてもらえるとは思えない。そこでいくつか社内のルールを変えることにした。とりあえず案としてあがっているのはこんなこと。

・トイレのフタは必ず閉める
・トイレットペーパーの端は三角に折る
・ネコの食べ残しが床に散らばらないように餌置きを変える

社内が基本的に靴を脱いで過ごす職場なだけに、清潔面に関する問題が大きそうだ。そもそも女性は職場に何を求め、何をもっとも忌み嫌うのだろう。普段女性と接点のないような男性ばかりなだけに、試行錯誤の日々が続きそうだ。

投稿者 masato : 14:27 | コメント (3)

2008年10月04日

劇団四季「ウィキッド」

元々、ライオンキングの次にウィキッドを見ることは決めていたのだが、自分の周りのウィキッド観劇経験のある人たちが揃いも揃って「ウィキッドが一番いい」というので、そのたびにハードルは高くなり、その高いハードルのまま、本日観劇するに至った。

開演してすぐに思ったのは、「『オズの魔法使い』を復習しておくべきだったかも、ということだ。もちろん有名な物語だからいろいろな場面が記憶には残っている。例えば、オズの魔法使いが実はただの人間であることや、ドロシーが竜巻で飛ばされてオズにやってきて、最後は履いていた靴の魔法で故郷に帰ること。悪い魔女がバケツの水をかけられて死んでしまうことなどである。ただ、それでも観劇中に「あ、そんなエピソードあったな〜」というふうに思い出すこともいくつかあったということだ。もしこれから観にいこうと考えている人がいるならぜひその前にもう一度「オズの魔法使い」を読むことを勧める。

さて、もちろんネタバレするようなことは書かないとして、劇自体にも触れておくと、いくつかあるエルファバのシーンはすごく良かった。特に休憩間際の中盤の山場は圧巻。その歌声が強烈だったから、初めて出演者のリストをもらってきた。せっかくだから載せておく。


グリンダ…西 珠美
エルファバ…樋口麻美
フィエロ…北澤裕輔


ちなみに、前回ライオンキング観劇後に、「物語重視の作品より、音楽と踊り重視の作品の方が好きだ」と書いたが、前言撤回。本作品は物語抜きには語れない。もちろん演出もよかったが、その悲しい物語に涙が溢れ出て来た。この辺は言葉でいくら説明しても足りるものではないので、僕にできるのは、ぜひ足を運んでくれるように言うだけである。

ちなみに、休憩時間にスタッフに閉演時間を尋ねる人や、クライマックスに席を立って出て行くグループがわずかながら見られた。おそらく遠方から上京して観劇しに来た人が交通機関の都合でやむなく去ったのだと思う。こういうとき自分があらゆる芸術にアクセスしやすい、先進国の首都である東京周辺に住んでいることの幸運を感じるのである。

それにしてもいつからだろう。悪が悪でなくなったのは。ギリシア神話の中で人々の恐怖の対象であるメデューサが実は、アテナの怒りを買って髪を蛇に変えられてしまった美しく可哀想な少女であったように…、一寸法師に登場する鬼が、実はその容姿から村人に忌み嫌われた外国人であったように…、幼いころは簡単に、「この人は善人」「この人は悪人」って決められたのが、大人になるにつれて簡単に割り切れなくなっていくのだ。

まあ、なにはともあれ、ウィキッド最高。高いハードルを見事に超えてくれた。

参考サイト
Wizard of Oz
投稿者 masato : 23:00 | コメント (0)

2008年09月29日

スカッシュラケットはあえて見せる

最近スカッシュラケットを持ち運ぶとき、あえてラケットを外に出すようにしている。といってもラケットを生で持ち運ぶのではなく、購入した時に付属しているケースにのみ入れて持ち運ぶということだ。多くのスカッシャーたちはやがてバドミントン用や数少ない流通しているスカッシュ用ラケットバッグに入れて持ち運び、僕も学生時代はそうしていたが、ここ数年はあえてそれをしない。

こうやって持ち運んでいると、実は意外と世の中にはスカッシュというマイナーなスポーツに興味を持っている人がいることに気づく。

「そのラケット…なんですか?ひょっとしてスカッシュ?」

そして、その大半は、興味を持ちながらも始め方が分からないらしい。

「私、やってみたいんですよー」
「あれ、どこで始めたらいいんですか?」

よく行くマルイ店舗内のスタッフのお兄さんは(といってもたぶん年下)は最近地元でスカッシュを始めたと報告してきた。別件で出会ったまだ社会人なりたての女の子にはmixiの初心者が集まるスカッシュコミュニティを紹介しておいた。

中学生や高校生にはともかく、社会人の多くを魅力するのは、メジャーなスポーツよりもむしろ話題性のあるマイナースポーツなのかもしれない。

投稿者 masato : 13:45 | コメント (2)

2008年09月27日

「BLUE MAN GROUP IN TOKYO」インボイス劇場

以前より観たかったブルーマングループのパフォーマンスを本日ようやく見に行くことができた。考えてみれば、劇でもなく映画でもなくコンサートでもない。この手のものを生で観るのは初めてである。

劇場に入ると、実はそこかしこに仕掛けが施してあるのに気づく。例えば、劇場左上と右上に見えるメッセージ表示板(多くのコンサートホールでは「No Smoking」とか「携帯電話の電源はお切りください」とか表示されるあの部分)であるが、そこを暇つぶしに読んでいると「携帯電話、ipod、NintendoDS…ダイエット乗馬マシーンの電源はお切りください…」

「ダイエット乗馬マシーン」ってなんだそれ!

という具合である。

詳細を書いてしまうとこれから行く人の楽しみを削ぐことになってしまうのでそこは辞めとくとして、感想はというと、思ったよりも現代を風刺した内容が入っていることに好感が持てた。ただのパフォーマンスではなく、少し考させられる内容もあったという意味である。

さて、これから見に行く人にアドバイスをするとしたら…、思いっきり楽しみたいなら汚れたもいい格好で行くこと、だろうか。はっきりいって「ポンチョシート」なんぞほとんど関係ない、日本的なノリでいくときっと驚くはずだ。自分も数少ない選ばれ者になってしまったため(最左端前方に座ってた)、その後ずっと手を洗いたくて仕方がなかった。あと、少し短いかな、というのも正直な感想である。(面白かったということの裏返しかもしれないが)。

あと、このパフォーマンスが、今後日本人にどのようにして受け入れられているか、もしくは行くか、というのも非常に興味深い問題である。

参考サイト
Blue Man Group
投稿者 masato : 22:29 | コメント (0)

2008年09月25日

FIRE FIRST

30年以上生きていると、自分の生活に密着した私物(例えば服やバッグや時計など)に対する嗜好が確立してくる。色や形はもちろん、自分の生活スタイルを考慮して、どんなものが自分の生活にマッチしていて、どんなものを買えばそのメリットを最大限に生かせるかわかってくるのだ。

例えばバッグなら、両手が自由になり、かつ本や可能であればA4サイズのファイルが入り、かつ数冊の本を入れられる頑丈さをもちながら、かつ僕の私服の色使いに合わせやすく個性的なもの、という具合にである。そうやって年々自分のニーズが細かくなってくるから、なかなか自分の要件を満たす物に出会うことは少なくなってくる。だからこそ、気に入ったものに出会ったら少々高くても買うようにしている。

そんな僕の厳しい条件をここ1年ほど何度もクリアしているのが、FIRE FIRSTというバッグのブランド。昨年メッセンジャーバッグを使っていたのだが、今日もロフトでスカッシュ、フットサル向けに丁度いいサイズのバッグを見つけて一目惚れ。ぜひぜひみなさまチェックしてくだされ。

投稿者 masato : 02:17 | コメント (0)

2008年09月24日

平日夜のビリヤード場

2008092301.jpg早いものでビリヤードに真剣に(ある程度)取り組み始めてから半年が経った。時々モチベーションが下がってしまうこともあるし、腰が痛くてビリヤードすら億劫なときもあるが、基本的には平日夜のビリヤード場の雰囲気が好きだ。

平日夜のビリヤード場は、大半が一人で練習に来ている人で、みんな淡々と球を撞いている。(もちろん何人かはすでに顔見知りらしく、9ボールで勝負したりもしているが。)

世の中では、仕事帰りは居酒屋で一杯やりながら会社の愚痴や人の噂話をしてストレスを吐き出す。そういう人が多数派を占めるのかもしれないが、ここは少しでも上達したい、という空気に包まれている。

いつまでもこういう空気の中で生きていたい、と思う今日この頃である。

投稿者 masato : 00:56 | コメント (2)

2008年09月23日

言いたいことは絞る

(悪い意味で)印象的なドラマのラストシーンは「タイヨウの歌」。沢尻エリカ演ずる雨音薫(あまのかおる)がずっと待ち焦がれていた歌手としての舞台に立つ直前に倒れて、瀕死の状態で山田孝之演ずる彼氏に最後の言葉を伝えるシーン。これが興ざめ。脚本家も死ぬ直前だからいろいろ印象的な言葉を言わせて、視聴者を涙させたかったのだろうが、あまりに長すぎる会話に…誰もが「まだ全然大丈夫そうじゃん。」と思ったにちがいない。ドラマとしての不自然さを際立たせただけでなく、たくさんしゃべらせすぎたために、結局何を伝えたかったのだかはっきりしない。言いたいことがたくさんあっても本当に伝えたいなら、伝えるべきことは可能なかぎり少なくすべきなのだ。

デザインにおいても同じ。伝えたいことをたくさん画面に配置すぎると、結局何が言いたいのかわからなくなる、細かいことは、興味を持った人にだけ伝えて、最初はせめて1センテンスか2センテンス程度に抑えたいもの。最近、自分の気に入っていたデザインがクライアントの要望を素直に聞くがゆえに、徐々に目も当てられなくなっていくジレンマにたびたび襲われる。

だからこそこんなことを考えてしまったのだろうが、考えてみれば「言いたいことは絞る」というのはすべてにおいて共通するのだろう。口数の多い人が何か重要なことを言うより、口数の少ない人が言ったほうが重要に聞こえる。スラムダンクで流川(るかわ)が発する言葉に名言が多いのもそのせいだろう。

なんぴとたりとも、オレの眠りを妨げるヤツは許さん。

名言だ…。

投稿者 masato : 01:58 | コメント (0)