2005年3月アーカイブ

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
食わず嫌いで、遅ればせながらようやく村上春樹デビューとなった。
主人公の「僕」が恋する女性のすみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちることになった。ミュウは自分のことを「14年前のある出来事から自分を失った」と言う女性。「僕」とすみれとミュウという少し普通の人と違った3人が不思議に絡み合う。

3人それぞれに少しずつ理解できる部分がある。この物語の中では少し「変わった人」感を大きく表現されているが、彼等のような人は実際には世の中にたくさんいるのかもしれない。3人の中で僕は特にミュウの生き方、考え方に共感を覚える。そんなシーンを描いた箇所をいくつか挙げてみる。

「ぼく」がミュウと出会った時の印象。

ぼくがミュウにについていちばん好意を持ったのは彼女が自分の年齢を隠そうとしていないところだった。すみれの話によれば彼女は38か39だったはずだ。そして実際に38か39に見えた。ミュウは年齢が自然に浮かび上がらせるものをそのとおり受け入れ、そこに自分をうまく同化させているように見えた。

ミュウが過去を語ったときの一言

自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。いろんなことがうまくいかなくて困ったり、たちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。

登場する3人のような、普通の人とは違う考え方を持った人間は、自分を理解してもらえる人に出会えるか否かが非常に重要であるということを物語の中で訴えてくる。そしてその裏で、現実の世界」と、「気持ちや本能が求める世界」との接点のようなものをテーマにしているように感じる。

作者の言いたいことがなんとなく伝わっては来るが、正直僕には難しすぎる。10人が読んだら10通りの解釈の仕方があるようだ。全体的に「結局どうなの?」という疑問が残り、「後味が悪い」とまでは言わないが、不思議な余韻を残してくれた。

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オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
永田カズオ38才、妻ともうまくいかず、受験の失敗によって荒れた息子の家庭内暴力が日に日に増す中、ふと考えた。


死んじゃってもいいかなあ、もう

そこに一台のワゴンがやってきて、窓から顔を出した男の子が言った。「早く乗ってよ。ずっと待ってたんだから。」そして、そのワゴンはカズオを不思議な世界に連れて行った。

子供の頃、父親は大きく、そして言うことは常に正しい。そんな存在だった。もちろん怒られたこともある。今思うと時々理不尽な怒られ方をしていたようにも思う。それでも、あの頃の僕には度胸も気持ちを表現する言葉も足りなくて、自分の思いをぶつけることができなかったが、たくさんの言葉を身に付けた今ではいろいろ言い返せるかも知れない。もう一度あの瞬間に戻って自分の気持ちをぶつけてやりたい。そんな考えを持ったことがある人って意外と多いのではないだろうか。でもそれは決して実現することはない。

この本の中ではそんな実現することのない状況を見せてくれる。ワゴンでいろんな場所に連れて行ってもらったカズオは自分と同じ38歳の父親と会う。彼はそこでいろんな思いをぶつける。息子の素直な思いをぶつけられて戸惑う父親。そして、父親になって息子との接し方に戸惑っているカズオ。そんな二つの親子の関係を対比して子供の思いや父親の思いを伝えてくる。これから父親になるひとや子育てに悩む人にはなにか手がかりになるのかもしれない。

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オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
主人公の稔(みのる)は姉の家を訪問した際に姉の知佳子(ちかこ)は殺され、稔(みのる)に頭をバットで殴られ、1ヶ月の意識不明の状態に陥った。奇跡的に意識を取り戻すと、常人の数億倍の嗅覚を身に付けていた。稔(みのる)はその嗅覚を利用して知佳子を殺した犯人を見つけようとする。

犯人探しというよくある物語の中に嗅覚という不思議な題材を絡めてあり、そのことで人間の五感について考えさせてくる。
人は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という五感を備えながら、人の世界の大部分は視覚によって構成されている。例えば、嗅覚を失っても人は日常生活を普通にすることができるが、視覚を失ったとたんに1人では生活できなくなる。人の五感の利用率の中は、視覚だけで8割を占めているのである。僕ら人間にとってはそれが当然でも、生き物全体から見ればここまで視覚を重視している生き物は特殊である。例えば犬などはモノクロの視覚しか備えていないにもかかわらず人間の何倍もの嗅覚を備えているためそれを補うことができる。犬の五感の利用率は嗅覚が4割、聴覚3割、視覚2割と言われている。そのことで、犬は飼い主の機嫌の良し悪しも匂いから判断することができるのだ。また蟻などの昆虫も匂いを有効なコミュニケーションの手段として利用している。僕ら人間は視覚という一つの能力を重視して嗅覚を放棄してきたた。それによって不便なこともあるはずだ。例えば相手の気分など、嗅覚を利用すればわかりやすいことに対して、視覚しか手段のない人間は相手の顔の表情から読み取るという非常に非効率的な方法をとるのである。

最初はその奇抜な発想だけに頼った物語のような感じがしたが、読み進めて行くウチにそのテーマに引き込まれていった。

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オススメ度 ★★★★☆ 4/5
日本推理サスペンス大賞受賞作品。宮部みゆきの名作である。もう5年も前に一度読んだのだが、なぜかもう一度読み直してみたくなった。

主人公の守(まもる)は父親は横領の罪をかぶったまま失踪し、母親が早くに亡くなったことで、母親の姉の家庭で育てられた。そんな中、彼の周囲には妙な事件がおき始めた。3人の女性が立て続けに死亡したのである。そんななぞめいた事件の一つにかかわったことから守の周囲は動き始める。

周囲の目や障害にも負けない守(まもる)の強さや正義感に共感を覚える。そして読み進めていくうちに守の強さは周囲の人に支えられて形成されたものであることも伝わってくる。

守ると親しい近所のおじいちゃんは守(まもる)にこう言った。

「おまえのおやじさんは悪い人ではなかった。ただ、弱かったんだ。悲しいくらいに弱かった。その弱さは誰の中にもある、おまえの中にもある。そしておまえがその自分の中にあるその弱さに気がついたとき、ああ、親父と同じだとおもうだろう。ひょっとしたら親が親なんだから仕方がないと思うこともあるかもしれない。じいちゃんが怖いのはそれだ」

守(まもる)の通う学校の先生は守(まもる)にこう言った

「俺は遺伝は信じない主義だ。蛙の子がみんな蛙になってたら、周りじゅう蛙だらけでうるさくてらかなわん。ただ世間には、目の悪いやつらがごまんといる。象のしっぽをさわって蛇だと騒いだり、牛の角をつかんでサイだと信じていたりする。」

周囲の流れは風当たりがどんなに強くても、気持ちの持ちようで道は開けるということを教えてくれるのと同時に、その風当たりに負けてしまう人がいるのも仕方がなく、そんな弱い人を責めてはいけないのだとも教えてくれる。

さらに物語の中で「あんなやつは殺されて当然だ」という台詞が出てくる。実際に憎らしい人が死ぬことはめったにないにしても、「あんなやつは死んだほうがいい」という強烈な殺意を抱いたことぐらい、誰でも一度か二度はあるのだろう。しかし、僕らそうやって殺意を覚えることはあってもはそんなに簡単に人を殺したりしない。なぜなら、そこにはリスクが伴うからだ。リスクとは信用や社会的地位の失墜である。では、リスクを負わないだけの力を得たら人を殺したりするだろうか・・・。考えてみた。殺したりするかもしれない。ほんの少しの労力で、僕がやったとわからないのなら、僕が責任を問われることがないという確信があるのなら殺したかもしれない。きっと多くの人がそうなのだろう、人は力を得ると自分で裁きたがるのだ。「これが正義だ!」「悪いやつはこの世からいなくなれ!」と。としかし人には感情があり、感情がある以上、人を冷静に裁くなどできるはずがないのである。

これがこの本が読者に訴えてきた一番大きなテーマなのだ。僕はそう受け取った。ちなみにこの「力を得たことによって、自らの手で人を裁く」というテーマを中心に据えたのがその後の宮部作品「クロスファイア」なのだと2回目にして感じた。

守(まもる)が父親の最後の行動を知って一人つぶやくシーンは涙を誘う。

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オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
7つの物語で構成された短編集である。「八月の雪」という3つめの物語が印象的である。交通事故で右足を失った充(みつる)は家の中でおじいちゃんの遺書らしきものを見つける。これは一体なんなんだろう?そう思っておじいちゃんのことを調べてみようとする。

この世界に生きている人には例外なく、一冊の本にはおさまり切れないぐらいの物語があるということを再認識させてくれる。もちろん僕のおじいちゃんもおばあちゃんも、そして道ですれ違っただけの人生で一度しか会わないような人も、電車の中で隣にたまたまに乗り合わせた人も、例外などあるわけがない。どんな人にも敬意を払わなければならない。考えてみれば当たり前のことだ。

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オススメ度 ★★★★★ 5/5
第24回吉川英治文学新人賞受賞作品。

昭和20年。第二次世界大戦末期、すでに誰の目にも日本の敗戦は濃厚になりつつある時代、五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライを回収するための作戦が秘密裏に進められていた。17歳の上等工作兵、折笠征人(おりかさゆきと)、清永喜久雄(きよながきくお)、そして海軍潜水学校で教師を勤める絹見真一(まさみしんいち)もその作戦のために集められた一人であった。

戦争という抗いようのない大きな流れ。60年もの月日がたった現在ではその時代の生の声を聞くこともできず時代の一部分という認識しか持たない僕に、その大きな流れに巻き込まれた人たちの悲しみ、想像を絶する苦しみをリアルなまでに伝えてくれる。勝敗に関わらず戦争から生まれるのは悲しみや苦しみばかりだということを。

いくつか印象に残っているシーンをあげてみる。
アメリカ合衆国海軍で初の実戦配置に抜擢されたアディの最期は突然訪れた。

「魚雷衝突まで六十・・五十・・」 チーフはアディと視線を絡ませたのもつかの間、瞼を閉じた。「ジュリア・・・」という小さな囁きその唇から漏れた。アディはそれを聞いた途端。これで死ぬらしいと理解した。唐突に訪れた死の瞬間に呆然となり、慌ててガールフレンドの顔の一つも思い出そうとした。しかし、こういうときに名前を呼ぶに相応しい女性の顔は見つけられなかった。そんな相手を見つけるには短すぎる人生だった。まだやり残したことがたくさんある・・・

人によっては自分が死ぬことに気付かないまま最後を迎えることもある。主人公の征人(ゆきと)は自分と同じように敵の戦闘機の機銃を避けていた男の最期の瞬間を見た。

両手で耳を塞ぎ、甲板に顔を押しつけたその男は、後頭部に弾丸が刺さってもぴくりとも動かなかった。顔の下から流れ出した血を甲板に広げ、生きていた時とそっくり同じ姿勢で死んだ。あれでは自分が死んだということもわからなかったのではないか?特攻という自発行為の結果で死ぬならまだしも、こんなのは絶えられない。

また、日本海軍の最前線で無人島に流れ着き、生きるためには死んだ人間の肉を食べるしかなかった。そんな地獄の中を彷徨っていた彼等はある真理と直面した。

肉が喰える以上誰も死なない。そして誰も死ななければ肉は喰えなくなる−−


そんな戦争という舞台のうえで展開される、命の重さや人と人との信頼関係、信念が僕の心に大きく響いてくる。こんな生き方をしたい、こんな強い心を持ちたい。こんな行動ができる人でありたい。そう思わせてくれる登場人物ばかりだ。

主人公の征人(ゆきと)は同じ潜水艦に乗り込んでいる田口(たぐち)に見つめられてこう思った。

そう、この目だ。殺気を常態にした瞳の底に、やさしい光を蓄えた瞳。怒鳴りつける一方、部下の顔色を目敏く察し、ひとりひとりに気を配るのを忘れない目。おれに見えていたのはそういう目だ。反発しながら学ばされ、嫌いながら近づこうとしていた、一人前と言う言葉の先にある目。男として手本にできると信じた目だ。

ドイツで特殊訓練を受けて育ったフリッツは征人(ゆきと)の思ったことをすぐに口にする性格を見て思った。

あいつの強さの本質は、立場の優劣で人を隔てないところだ。誰をも理解しようと努め、傷ついても向かってくる愚直さだ。あいつの無責任なまでのやさしさは傷つくことを恐れない強さに裏打ちされたものだ。

大平洋戦争。大東亜共栄圏の建国というスローガンで正当化して植民地を広げて行こうとした日本。あの時代のことを考えると多くの人はこう思うのだろう。昔の日本人は愚かだった、と。自分達を客観的に見ることができずに、周辺国の国民の苦しみを考えずに、「自分達日本人は特別な存在なのだ。」という根拠もない理由によって突っ走っていたのだ、と。そうやって現代では大平洋戦争時代の日本人の生き方を否定して多くの人が生きているし、戦後の日本の教育の中でもそんな教えられ方をしている。

では、日本人が太平洋戦争までに積み上げて来た物はどこにいってしまったのだろうか。確かに大平洋戦争において日本人がしたことは非常に罪なことで簡単に許されることではない。しかし、あの時代には「カミカゼ精神」やら「玉砕」やら今聞くと冷めてしまうような言葉を掲げて戦争に向かっていった東洋の小さな国の国民は、周辺国とっては確かに驚異であり、「日本人」というブランドが存在していたのも事実である。しかし戦後60年を迎えた今、日本を見つめてみると、情報や文化や技術を取り込むことに焦り過ぎた結果、その中で生きているのは国民性の薄れた空っぽな人間たちである。そして、その「国民性の薄れた空っぽな存在」に「かっこいい」という感覚を覚えているのだから少し悲しくもある。

あの第二次世界大戦の時代に比べて明らかに自分が日本人であることに対する誇りが薄れているのだはないか、と今までにない気持ちを僕の中に喚起させてくれた。

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オススメ度 ★★☆☆☆ 2/5
新潮文庫WEB読者アンケート第4位。この言葉に惹かれて購入した。
一人の人間が、キリスト教に惹かれ、そしてその教えにしたがって自らの命を投げ出して多くの人を救う。そんな実際にあった話をもとに作られた物語。

明治初期を舞台にしていること。キリスト教の教えが多く主人公の周囲に取り入れられること、そして、自分の性格とあまりに懸け離れた人物像によってなかなか素直に物語を受け入れずらい。それでもこの本を読む前と後では生き方が少なくからず変わるかもしれない。
こんなふうにひたすら自分以外を思いやって生きれるなら、それもまた素敵な生き方なのかもしれない。しかし僕は「人生は一度きり」という考えの持ち主。したがって、やっぱり人生は自分のために生きることにする。

【Amazon.co.jp】「塩狩峠」

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